「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
姫川を行く(1)・・・・・・奉納温泉


ギャラリーのアウトテイクより。僅かに白濁した湯が良く分かる。

 青木湖近くの湿原に端を発し、糸魚川で日本海に注ぐ姫川は、その女性的な名前とは裏腹に凄まじい暴れ川である。立山連峰から富山に流れる成願寺川の治水・治山が進んだ現在、ひょっとしたら日本一と言っても良いのではなかろうか。

 実際に走れば分かるが、その全長の割りにとにかく高低差が大きいだけでなく、背後に北アルプスが聳えて雪解け時の水量なんかが多いのもあってか、谷がエラく深くて急峻である。その斜面に延々とスノーシェッドに覆われた国道と大糸線がへばりつくようにして並行して走り、僅かな集落が点在している。おまけに盛んな造山活動の影響でもあるのか、この辺りは日本有数の地滑り地帯でもあって、年がら年中いろんな災害防止や復旧の工事が行われている。
 つまり大変な場所なのである。しかし温泉ってーのは大変な場所に湧くことが多い。だから姫川沿いには素晴らしい佇まいの温泉がいくつも点在している。どこも規模的にはこじんまりしているのが好ましい・・・・・・いや、好ましかった。

 1995年だったかの記録的な集中豪雨によって、流域一帯ではあちこちで巨大な山津波が発生した。それらを集めた姫川は大氾濫を起こした。大糸線は何年も不通になり、たしか新しくこしらえたばかりのバイパス道まで流されて廃道になったくらいに被害は甚大だった。それによって大好きだった蒲原温泉や猫鼻温泉も消滅してしまったのである。不細工な大仏がランドマークだった白馬大仏温泉も今や廃墟物件としての方が有名なくらいだ。最も規模が大きく、若干の温泉街まで形成されてた姫川温泉にしたって多くの旅館が流され、以来、スッカリ衰微してしまった。今はたった3軒の旅館しか残っていない。

 随分長くこの地に向かうことを避けていた。やはり、記憶に残る場所が失われるのは切ないもんで、足が重くなってしまう。再び訪れたのは最後に訪問してから20年近く経ってからだった。
 ・・・・・・っちゅうてもそんなん、おれ個人のつまらない思い入れの結果に過ぎない。実は明治の終わり頃にもここ、姫川の流域では巨大な山体崩壊が発生しているのである。山がほぼ半分に割れた、っちゅうんだからガイな話で物凄い。当然流域の被害はそれはそれは甚大なもので、幾つもの村や田畑が放棄を余儀なくされたのだった。それまでの風景を愛してた人からしたら、見るに忍びない光景がそこには広がってたものと思われる。つまりはおれが気に入ってた風景にしたって、実は空恐ろしい災害の後の光景だったワケだ。

 ま、それはともかくとして、このあたりの温泉にはしみじみしたトコが多い。

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 奉納と書いて「ぶのう」と読む。名前の元になったのは奉納山、という地味な山だ。以前訪問したときに行きそびれて、ずっと気になってたところではあった。

 おおよそ小谷温泉を南に尾根筋を一つ越えたあたり、中土という駅の近くから国道を東に折れ、細いクネクネ道をひたすら登り詰めたどん詰まりの高台に悄然と建つ冷鉱泉の宿だ。付近に他に民家は一軒もない。曇天の空の下、一叢の色とりどりのコスモスが咲いてるのが儚くも寂しげで、何だかこの人里離れた一軒宿にはとても似合ってるような気がする。旅館で飼ってるのだろう、ネコが人馴れした様子で擦り寄ってきた。ニャァ。

 勾配の異なる切妻屋根を組み合わせたちょっと山小屋風の一軒宿は、それほど古いものでもなさそう。昭和40年代くらいのではないか。車寄せの差し掛けが巨大な原木の柱で支えられてるのと、大きな一枚板に奉納温泉と書かれたのが玄関上に掲げられてるのが目に付くくらいで、他にこれといって華美な演出がないのも、より一層登山基地のような雰囲気を盛り上げる。開いていた窓から覗いて見た客室もやはり簡素な造りだった。駐車場はかなり広くそれなりにお客さんが多いことが伺えるが、盆を過ぎると急に静まり返る信州らしく、平日ってコトもあって一台もクルマは停まっていない。
 早速入湯をお願い。声を張り上げると飾り物でコテコテになって本来のフロントとしては最早機能してない帳場の横の食堂のドアが開いて若女将と思しき人が出てきた。奥では小さい子供のはしゃぐ声が聞こえる。この家の子だろうか・・・・・・って、コラコラ、壁に落書きしたらアカンやんか(笑)。

 他にお客さんもいないしご家族でどうぞ〜、と男湯の方に案内された。脱衣場は白塗りの壁が無個性な、っちゅうかぶっちゃけいささか殺風景な印象。これまた素っ気ない、事務所の入り口みたいなアルミ扉を開けて浴室に入る。
 浴室もこれといった特徴のない四角い白タイル張りの良く言えばプレーンな、悪く言えばやはりちょっと殺風景ともいえる造りで、三角の浴槽にはホンの僅かに白濁した湯。泉質はあくまで柔らかく、それほど温度も高くないのでユックリ寛げる。
 そうして落ち着いて改めて見回すと、平凡極まりない浴室の光景からもいろいろ面白いものがだんだん見えて来る。どぉにもおれはイラチでいかんな〜。

 まず驚くべきはその析出物で、浴槽への注ぎ口も洗い場の冷たい源泉口も、どちらも鍾乳石のように------っちゅうか石灰分が凝固したのが鍾乳石なんだからそのまんまか(笑)------とにかく石灰分が石灰華となってグニョグニョと盛り上がり、自然のオブジェとなっている。薄っすら白濁した湯といいかつて訪ねた小谷温泉もたしかそんな感じだったような記憶があるので、このあたりに共通する泉質なのかも知れない。朝一番とかなら湯の表面にバリバリに皮膜ができてることだろう。

 2方に設けられた大きな窓の外に目をやると、何本も木の棧が渡されてるのが分かる。窓を開けるとそれは目隠しにするにあまりに隙間がスカスカで、どうやら雪囲いらしかった。面白いことに1辺の側は棧の上からブルーシート、ドカシーちゅうやっちゃね、あれで完全に塞がれてしまっている。登山道が目の前にでも通ってるんだろうか。でもこっちは男湯なんだからどぉでもいいと思うけどな〜。

 そのうちクルマが砂利を踏む音がしたと思うと急に表が騒がしくなった。男女10名ほどの声がする。声や話し方からするに中年の男女の集団だ。棧の隙間から見るとマイクロバスが上がって来ている。登山帰りかもしれない。
 それにしてもオバハンっちゅう生き物は二人以上集まると、とにかくひたすら遠慮会釈なくけたたましく喋り捲るモンで、「姦しい」っちゅう漢字が如何に正しいのかが良く分かる。彼女たちがおれたちが入ってるのとは反対側の女湯に向かったのも手に取るように分かった・・・・・・ってコトはオトコ衆はおれたちが出るのを待ってるんだろう。急がなくてはならない。

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 辞して宿の外に出る。相変わらず天気は曇りのままだ。
 沈潜したモノクロームな景色の中、コスモスの色が控えめだけど眩しい。
 山々に掛かっていたガスはそれでもだいぶ晴れ始めた。明日は晴れだろう。

 そのとき撮った写真はおれの最もお気に入りの一枚になった。


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2010.10.12

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