「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
暗がりの湯・・・・・・塩原元湯


ゑびす屋「弘法の湯」源泉口をおっかなびっくり触る。

 塩原最古の湯と言われる元湯温泉は、新湯温泉と並ぶ硫黄分たっぷりの荒々しい泉質が特徴である。ただ、いかにも火口らしいガレ場から硫化水素臭漂う噴気の上がる新湯に比べると、周囲を深い緑に囲まれたここはあまり火山らしさが感じられない。しかし、すり鉢状になった地形から何となく窺えるように実は古い火口底に当たるらしい。
 有史以来、大きな活動はないものの、塩原は高原山を中心とするれっきとした火山群の中に点在する温泉郷なのである。

 今は3軒の旅館が固まるだけの静かな雰囲気で、歓楽的だったり奥座敷的だったりといった温泉場が大半を占める塩原に於いては、何となく秘湯の湯治場的な雰囲気が強く感じられる佇まいが好ましい・・・・・・たってまぁ、別に自炊棟が建ち並んでるとかではないんだけれどね。

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 これまでにおれは「大出館」と「ゑびすや」に入らせてもらったことがある。最も歴史が古いのは「元湯旅館」らしいが、ここには入ってない。いかにもちょっとハズすおれらしいっちゃおれらしいんだけど、単にもうここが元祖だけにいっちゃん大きくて観光っぽいからである。混浴でもなくなっちゃってるしね。
 別にここでなんぞ笑えるようなおもろい出来事があった、ってほどではないのだが、いずれにも共通して言えることがあった。どちらも内湯の印象が夜のようだった、ってことだ。

 「大出館」を訪ねたのは2005年のことだった。温泉では一番奥の最上部にある旅館で、あとの2軒が見下ろせる位置にある。その時の写真を引っ張り出してみると(・・・・・・っちゅうても画像データは外付けHDDにバックアップしてるんで、PCに繋いでフォルダを開くだけっす、笑)、内湯とはいえ大きな窓もあってそんなに実は暗くなかったりする。なのにおれの記憶の中ではとにかくひじょうに暗かった印象がある。

 ひとつにはそれは「墨乃湯」の名前が示す通りの、黒い湯の花が漂う真っ黒な泉質ゆえに刷り込まれたものだろう。しかし、同じ浴室内で隣り合う別源泉の湯舟には真っ白ないかにも硫黄泉らしい湯が張られていた。こちらは確か「鹿乃湯」って名前だったかな?
 また、古びた浴室のコンクリートの壁が黴で黒ずんでたこと、さらにその壁に冷やかな光を放つ蛍光灯が並んでたこと、館内も含め他の客の出入りがなくて静まり返ってたことなんかも、記憶の改竄を助長する要因となっていると思われるが、そのような温泉、日本中にいくらでもあるわけで、決してここだけが特別だったワケではない。他にいくつか点在する浴室も改めて写真で確認してみると窓越しに外の景色が大きく写ってたりするので、やはり実態としてはそんなに暗くなかったのだ。
 記憶なんて何とも不確かでいい加減なもんだと思う。しかし、それでもなお大出館の浴室に対するおれの印象は森閑として深く、沈み込んで行くような「夜」とか「闇」といった「暗がり」のイメージなのである。誤解なきように申し添えるならば、もちろんそれは陰気ってなネガティヴな意味ではない。

 イメージっちゅうのは得てしてそぉゆうモンで、裸のラリーズなんかもそんなんだ。謎めいた活動歴、中心人物である水谷孝の往年の澁澤龍彦やヴェルヴェッツを髣髴とさせる(要はおサイケな、笑)黒ずくめの格好とサングラス、「夜、暗殺者の夜」・「夜より深く」といった曲のタイトルや歌詞、そして何よりアシッドでダークな音・・・・・・まぁ、これほどお天道様の下が似合わないバンドも珍しいのだけど、YOUTUBE等で探すと、昼日中から青天井の野外ステージで演奏してるシーンなんかが出てくる(1976年石川・獅子吼高原)。単調なリズム体をバックにお経のようなエコー掛けまくりのヴォーカルとキヨョョ〜!ギョババ〜ッ!バリバリバリ〜!って激しくノイズを放つギター。いやもう見事なくらい、たるみきったオーディエンスも含め牧歌的っちゅうか長閑な周囲の風景に似合ってないんだわ、これが(笑)。彼等も落ち着かなかったのか、元々1曲が長く演奏曲数は少ないのがこの日はさらに少なく、2曲演っただけで引っ込んぢゃったらしい。
 そぉいや〜、ジャパノイズの雄であるインキャパシタンツでも何か山の中で真っ昼間から演奏してる動画があるが、ピーピーガーガーキャーキャーとデブの巨漢とチビのオッサンの二人が痙攣しながら膨大なノイズを放出させてる姿はぶっちゃけかなりマヌケで滑稽だ。

 ともあれラリーズにせよインキャパにせよ、彼等は昼間の陽光の下だとどうにも収まりが悪い気がする・・・・・・全然関係ない話やったな(笑)。

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 「ゑびすや」を訪問したのはつい先日だ。そして驚いた。ここの浴室もまたやはり同じような「夜」とか「闇」を思わせるものだったのだ。

 ここは温泉の一番下に位置し、3軒の中では最も古い佇まいを残している。つまり一番小さくてボロい、っちゃぁミもフタもないけど、いかにもおれ好みの温泉宿らしい外観だ。今でも湯治の逗留客を受け入れているのも好ましい。着いたのが早く、風呂はまだ掃除中とのことで待たせてもらう。しかし、宿の人は嫌な顔一つせず大急ぎで準備してくれただけでなく、定刻よりも随分早くに入れてくれた。待つ間、ロビーと呼ぶにはささやかな帳場前の広くなった所をウロウロしてて、吉田茂の署名の入った手紙が額縁に入れられて飾られてあるのを見つけた。何々?昭和天皇の乳母だぁ!?誰がや!?
 階段を下ったところにある浴室は入口や脱衣場付近こそ最近改築されたようで木の色も未だ新しい・・・・・・要は良くありがちな木の造りなのだが、ドアを開けて浴室内に一歩踏み込んで、おれは大袈裟ではなく息を呑んだ。

 窓はあるものの大きなガラリのために外光は射さず、光源はポツンポツンと並ぶ白熱灯の黄色い光だけ。それらに薄ぼんやりと照らし出された羽目板張りで格子天井の薄暗い浴室内の真ん中には、緑灰色の湯を湛え析出物でゴテゴテになった浴槽が二つ。一つは「弘法の湯」といって5分おきくらいに間欠泉が噴き出す。言うまでもなく激熱。もう一つは「梶原の湯」といってかなりぬるめ。目に特効ありとのことだが、こんな硫黄分濃厚な酸性泉で目をパチパチやってエエんかいな?

 ともあれ、それらあらゆるものが黴やら苔やら、或いは永年の湿度に曝されたことによる化学変化でもあるのか、黒や灰色、茶色を中心とする様々なトーンで複雑玄妙な、っちゅうよりは有機的でグロテスクとも言える模様を描いている。それはまるで鍾乳洞の内部のようでもあり、夕闇せまる古い村の家々の壁のようでもあり、いつか見た悪夢の中の景色のようでもあった。実際、弘法の湯の湧き出し口には析出物が堆積して一面に細かな波状紋を描く見事な円錐形の石灰華(?)が出来ている。

 そのうちヨメもやって来た。説明し忘れてた。ここは一見男子浴室のような作りになっているけれど、女湯の方とは鍵の手になった通路で繋がった混浴っちゅう構造になってるのである。まぁ元はこっちだけだった所にオマケで女湯を建て増したのだろう。それはともかく、彼女も一種独特の異様な浴室内の雰囲気に驚いている。
 まだ他に誰もいないので女湯の方も入ってみたが、こちらは最近建て替えられたらしく、同じく羽目板張りの似たような作りになってる。大きな窓から陽光の射し込む普通に明るい、そして適度に古風な浴室、これはこれで悪くはない。しかし、元々からある混浴の方の浴室の圧倒的な暗がり感を体験してしまうと何とも物足りない。もし、これを読まれてる中に女性がおいでで、温泉が好きで、そしてゑびすやに行く機会があったなら、恥ずかしがったり怯んだりすることなく混浴の方に入ることをお勧めしたい。

 ・・・・・・上で「グロテスク」とおれは書いた。その語源はグロッタ(洞窟)にあると言われる。イタリアルネサンス期に貴族の間で彼等なりの粋だとか数寄だとかを追及した結果、人工洞窟を拵えることが大流行した。とりわけ中でもグニュグニュ・ウネウネした作りのボーボリ公園内にあるブオンタレンティのグロッタが直接の語源になったんだそうな。

 その伝で言うならば、図らずもこのゑびすやの浴室の暗がりは、紛うことなきグロッタである。つまり人工洞窟だ。

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 本来の外来入湯を受け付ける時間になった。休日だしグズグズしてるとすぐに日帰り客が詰めかけるだろう。そうなると落ち着いては入ってられない。宿を辞して外に出ると、ついさっきまでの夜のような暗がりが嘘だったように真夏を思わせる日差しが照りつけている。

 いつか本当の夜中に、心行くまで元湯のシブい浴室に入ってみたいもんだと思った。


梶原の湯の看板の前で

2010.09.05

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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