「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
甘湯新湯に下る


甘湯沢をバックに(ギャラリーのアウトテイクより)

 手許にある昭和61年版「東日本温泉案内(日本交通公社出版事業局)」という古い本を見ると、その時点で既に甘湯温泉「甘湯館」は当分休業中であることが記載されている。休業となった温泉旅館が何事もなく元通り営業再開した例は残念ながら聞いたことがない。おそらく一軒宿の「甘湯館」はそのまま廃業してしまったんだろう。いずれにせよ20年以上も前のことである。

 余談だけどこの本、おれが温泉に興味を持ち始めた頃、一般的に入手できるガイド本ではもっとも紹介の仕方がフラットちゅうか、有名/無名に係わらず何でも載せているので随分重宝したものだ。西日本編はもっと古い版を持ってたが、旅で酷使するうちにバラバラに崩壊してしまって今は買い直した平成元年版しかない。もったいないことをした。

 甘湯温泉のあった小太郎ヶ淵ってトコは塩原では最も寂れた観光地ではなかろうか。そらまぁ、悲恋の末の身投げ、なんて伝説が名前の由来なんだから、あんまり堂々と目立つ場所では辻褄が合わなくなる。これくらいの地味さ加減が丁度なのかもしれない。メインルートからはかなり離れており、他に特に何の見所があるわけでもなく、10数年前に訪れたときには、古い茶店みたいなのが一軒あるきりだった。そっから少し奥に入ったトコに甘湯温泉はあったと言われる。上記の本で休業してることは知ってたものの、ひょっとしたら湯だけは残ってるかも・・・・・・などとスケベ根性丸出しで行ってみたワケだ。しかし、淡い期待は見事に裏切られた。ちなみに川の水量は身投げしたら溺れるよりも岩に頭をぶつけて死ぬんぢゃないかっちゅうくらい(笑)。どこが淵やねん!?ってツッコミたくなる。

 この上流に野湯があるらしい、ってことは実は当時既に知ってた。情報源は多分、箒川沿いに点在する有名な露天風呂のどっかで地元のオッサンから仕入れたモノだったと思う。思えば長閑な時代で、露天風呂には地元民と物好きな浴客がチョロチョロ来る程度で、鬱陶しいワニも、我が物顔に何時間も粘る下卑たオッサンオバハン連中も、勘違いした乱交系のグループもいなかった・・・・・・っちゅうか、いてもそれほど目立つ存在ではなかった。いろんなマイナーな秘湯情報にしたって、そんな風に現地で出会った人に偶然教わって、ってなパターンが多かった。情報化の恩恵と弊害は悩ましい問題だ。
 しかし、その野湯が一体どの程度のものなのかも分からなかったし、子供はまだ小さく、ゴロタ石だらけの沢を遡って行くのも危険だし、それにそもそも到着したのがヘタに深入りすると夜になってしまうような時間だったので、そのときはそのまま引き返したのだった。

 長い時間が過ぎた。

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 新しく出来た日塩道路へのバイパスにはスッカリ真夏を思わせる日差しが照りつけている。そこを外れ、林道に入り甘湯沢に沿うようにして少し下る。今のクルマは最低地上高が低いから以前のようにドカドカと不用意にダートに踏み込んではいけない。前のバンパーの下にはチンスポってなエアロパーツまでついてるもんだから、普通に国道走っててロードサイドの店に出入りするときも慎重にハンドルを切らねばガリッとこすったりするくらいなのだ。

 這うようにして進み、広場になったところでクルマを捨てて歩き始める。ヘアピンカーブで急坂を下ると沢に到着。途中では休日返上で原木の伐り出しを行っていた。小さな橋で川を渡り、さらに道はだらだらと下りながら流れに沿って続いている。頃合いを見てさらに道をはずれ足元のおぼつかない杉林の斜面を慎重に降り、苔むした大きな岩がゴロゴロする沢伝いに行くと、呆気なくそれは見つかった。朝早くてまだ気温が低いせいだろう、うっすらと湯気が立ち上っている。

 10数年の間にその無名の野湯には通称とはいえ「甘湯新湯」なる名前もつけられ、関東近辺の野湯としてはスッカリ有名な存在になった。「新」とは冒頭で触れたかつて存在した甘湯温泉に対しての「新」ではないかと思われる。以前はおれがウロウロしたように小太郎ヶ淵から遡上して行くしかなかったのが、道路が開削されたことで上流から容易に回り込めるようにもなった。いや〜、それにしてもあの時ムリして行かなくて良かった。行ってたら絶対エラいことになってた。下からマトモに行ったら2時間はタップリ掛かるらしい。

 沢のすぐ脇、大きな岩の下が天然の湯溜りになっていて、大きさといい温度といい丁度いい感じ。湯は斜面を少し上がったところにある岩の隙間からチョロチョロ湧出し、流れるところは鉄分で錆色に染まる。源泉はかなり熱い。周囲に人工的な設備は何一つなく、衣類はその辺に適当に脱ぎ捨てるしかない。一説には誰かが持ち込んだドカシーで湯船を拵えてあるなんて情報もあったが、撤去されたのか見当たらない。いいことである。野湯に入るのにドカシー持参ってのは良く聞く話だが、持ち込んだ以上は放置せず、キチンと持って帰って欲しいもんだとつくづく思う。
 静かに足を入れておれもヨメも引き攣った苦笑い。あまりに澄んだ湯なので迂闊だったが、ここもまた野湯の例に漏れず底は沈殿して堆積した落ち葉やコケでモラモラのヌルヌルになっていてかなりキショク悪いのである。腐葉土の水溶液みたいなモンだな、こりゃ。おまけに熱いのは表面だけで底は水に近い。だからといってヘタに掻き回すとモラモラだらけになってしまう。ううう。

 まぁ野湯なんてもんはそもそも快適に入浴を楽しむためのものではない。たいていの場合、湧出量だって知れてるし、温度だってあまり期待は出来ない。マトモに身体を沈めるだけの深さがあることの方が珍しい。周囲で有毒ガスが発生していたり、危険なガレ場にあることも多い。どだい快適な湯であればとっくの昔に旅館が建ってる、っちゅうねん。畢竟、自然の中にホンの僅かの間居候させてもらって、いささかクサい言い方だとは思うけど、プリミティヴな自然との一体感みたいなんに浸れれば充分なのである。そう、湯に浸るのではないのだ。
 日本の温泉文化自体、元来アニミズム的傾向の強いものだけれども、野湯は湯に入る行為がどぉこぉっちゅうより、純粋に原始回帰的な体験として面白いワケだ。ハハハ、エラそうにぶっても仕方ないな、要は自然の中でハダカになってうろうろしてるだけ、っちゃそれまでなんだから(笑)。

 ともあれこのような佇まいが、アクセスの良さが災いして今や露天風呂に関しては悪名高いと言ってもいい塩原の奥地で、大きく荒らされることもなくヒッソリと残っているのは実に喜ばしいことだと思う。

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 視界の端にシュッと動くものが映る。目を凝らして見ると薄暗い沢の下流から釣客が竿を振り振りユックリと遡上して来てる。そのカラフルな釣り糸が宙を舞ったのが見えたのだ。そぉいえば林道の空き地にはツーリングワゴンが1台、先客で停まっていたことを思い出す。おれは川も海も池も釣っちゅうもんをしないので、果たしてこの苔むした巨岩が続くさほど川幅も広くもない流れに一体どれだけ魚影が濃いのかは分からないが、絵的には何となくこの沈潜した景色に釣客の姿は似合うようには思った。できれば裾をからげた着物に腰に竹を編んだ魚籠でもつけて菅笠でも被ってたらもっと日本画の点景のようでシブくて面白いのに・・・・・・などとしょうむない感慨に浸ってる場合ではないし、ノー天気に野湯に浸ってる場合でもない。見ず知らずのオッチャンを(・・・・・・って遠目に分かったわけではないが、何だか渓流釣りする人のカッコってオッサン臭いんだよな、笑)驚かせてもいけないので、おれたちはそそくさと服を着込んだのだった。

 甘湯新湯、誰にでも勧めたいとは思わないし、誰が行っても楽しい温泉ではないだろう。入りもせんクセに観に行くだけ、なんてーのも止めていただきたいな、とも思う。でも、何はともあれ、こんな手付かずの野湯がまだ関東近辺の大観光地に残ってることはナカナカ小気味よくも愉快なことだ。それだけは間違いない。


同じくアウトテイクより、下流をバックに。
湯溜りがけっこうな大きさであることが分かる。


2010.08.21

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