「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
静かに、埋もれる・・・・・・柳沢鉱泉


柳沢鉱泉「清水屋」玄関(ギャラリーのアウトテイクより)。

 那須の柳沢鉱泉は随分以前から気になるところだった。

 まだ今のようにネットが発達していない頃からその存在だけは知っててマークはしてたのだけども、地図で見ると立地が別荘地帯だったりする。異常に複雑に入り組んだ道で果たして辿り着けるのか?ってな不安(以前のクルマにはナビがなかったのだ)、それで行ってみて単なる日帰り系「**の湯」みたいなハズレだったらどうしよう、ってな気持ち、あとは那須・塩原一帯で効率よくコースを組もうとすると、ポツンと離れたここがどうにも組み込みにくいっちゅう実際上の問題があって永年の懸案となったままだったのである。

 次第にネット情報が氾濫するようになり、懸念していたことは杞憂であるらしいことは分かってきた。那須・塩原方面は今さら感がややあって敬遠してたのも、「基本に帰る計画」に基づいて改めて回ってみる気になって、ようやくこの度の訪問となった次第だ。

 結論から言っちゃうと、柳沢鉱泉「清水屋旅館」はとても良かった。そこに流れる時間、充ちた空気、いずれも素晴らしいものだった。

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 地図で見るとここ、場所的には那須ハイランドパークって遊園地の南南東1.5kmくらいのところに位置してるから、そんなに鳥も通わぬ山の中にあるわけではない。周囲も高原の雑木林と畑、牧草地が混在したようなところで開けた印象。問題はそこまでの道だ。なんかそぉゆう法律でもあるのか!?と茶々を入れたくなるくらい、別荘地っちゅうのはとにかく道がややこしいものと相場が決まっている。ここもその例に漏れず細い道が縦横に走っていて、自分がどこを走ってるのかサッパリ分からなくなってくる。

 赤い鉛丹屋根で平屋建ての柳沢鉱泉はその狭い別荘地の通りから少し下がったところにヒッソリとあった。元々ここに昔からあったのが周囲が別荘地として拓かれてそのまま取り残されたような雰囲気である・・・・・・とは申せ、そんな古い木造の建物ではない。鉄平石が貼られた明快でシンプルな入り口付近の造型、初めからアルミサッシュが入ってたと思われるグラッシーな縁窓の雰囲気からして、昭和40年代くらいにできたものではないかと思われた。
 玄関脇の座敷の窓が開け放たれててTVの音が聞こえる。恥ずかしながら今のおれのクルマは腹に響くナカナカ勇ましい音がするので、「ごめんくださぁ〜い!」などと間延びした声を上げるまでもなく、玄関先に女将と思われるオバチャンが出てきた。

 入浴料はたったの350円。ちなみに現在の東京都の銭湯料金が450円であることを考えれば、これは沸かし湯で燃料代のかかる冷鉱泉としては破格の値段だと思う。
 廊下の両側に部屋の並ぶ館内は造りは新しいとはいえいかにも湯治場の佇まいで、余分なアメニティや虚飾の類は一切なく、極めて簡素。唯一目を引いたのがおそらくは昔の建物にあったのを引き継いだらしき古くて大きなボンボン時計だった。よく鉱泉宿にありがちな手入れが行き届かなくなって荒廃したような雰囲気は微塵もなく、隅々まで掃除が行き届いてるのが嬉しい。リノリウムの廊下なんてピカピカだ。
 古いところをおれはしばしば紹介するので誤解されてる方も多いと思うが、おれはボロいのは全然OKだけど、小汚いのはぶっちゃけ嫌いである。

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 浴室は斜面に沿って地下に降りたところにあった。入口付近同様の鉄平石でしつらえられた小さな混浴の浴室には鉄錆色のいかにも鉱泉を思わせる湯が湛えられた湯船が一つあるだけ。この潔さがいい。入る前に「お湯の上に浮いてるのは成分が固まったもので、ゴミぢゃないですから」と女将に念押しされた通り、薄氷のような、あるいは雲母片のような析出成分が表面をビッシリ覆っている。成分が濃厚な証拠である。色は異なるが、おれは小谷温泉「熱湯荘」の湯を想い出した。
 本当はこの表面を覆ったパリパリを壊さないように入りたかったが、ここもまた鉱泉の例に漏れず猛烈に熱い。ジャカジャカうめまくってるうちに湯と共にそれは溢れてしまった。

 窓の外には若干伸び気味の芝に松の植わった庭が見える。源泉槽と思しき苔に覆われた四角いコンクリート、隣にはポンプ小屋のようなものも見える。そしてさらにその向こうには廃屋となった明らかに旅館と思われる建物が見える。つまりここはかつて一軒宿ではなかったのだ。

 それにしても静かだ。休日の午後だというのにこの森閑とした静けさは何なのだろう?初夏の溢れる陽光が射し込む中、湯の波打つ音が止むと、まったく何一つ音がしない・・・・・・いや、ホントは鳥の鳴き声や木々のざわめきくらいはあったんだと思う。でも、そんな風に思えてしまうほど冷やかなまでの静謐の気配が満ちていた、とでも言った方が正確なのかもしれない。湯はちゃんと熱いのに、だ。瞑想空間みたいだ、と思った。
 オカルトチックなことを言うようだけど、人がワサワサひっきりなしに押し寄せるところには、いくらそのとき人がいなくても人のせわしない気配のようなものが残っているものである。しかし、ここにはそれがない。

 実際に風呂に入ってた時間はせいぜい30分だったと思うが、何だかとても長い時間も過ごせた気分になったのだった。

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 別に眺望絶佳なロケーションに位置するワケではない。周囲は特徴のない風景だ。
 別に風格のある建物があるワケではない。フツーの平屋の建屋だ。
 別に古風な浴室なワケではない。混浴ってだけで、たんに四角い部屋に四角い湯船があるだけだ。
 別に個性的な湯なワケではない。濃いけれど冷鉱泉には良くある泉質だ。
 
 そんな詰まらない属性について知ったかぶりの論評をあーだこーだ並べる気が失せるほどの「確かな気配」を漂わせて、柳沢鉱泉は高原の別荘地帯の外れで、静かに、埋もれている。


新緑の裏庭を眺める(同上)。

2010.07.21

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