「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
三度目の正直・・・・・・成沢鉱泉


この「どくじゃ」っちゅうのはこれからも残して欲しい効能だわ。


池を囲むように建つ「成沢ノ湯」全景。重い屋根と青い壁が印象的。

 残したい風景なのにその素晴らしさを語るのがむつかしい風景、それこそが最も残すべき風景なんだろうなぁ〜、って近頃ますます強く思う。

 盛んにビンボ臭い食べ歩きブログが林立するラーメンの世界だってそうだ。ホントにいいのはこれ見よがしで演出コテコテ、味もコテコテな店ではない。フツーに鶏ガラと生姜、ネギなんかで出汁取って、醤油の返し作るときに出来たチャーシューをピロッと入れて、あとはシナチク・ナルト・ほうれん草くらいが一番飽きがなくて良かったりするし、その他者との差異を付けにくいフィールドで「美味い」と唸らせる店こそがホントにいい店なのだけど、でもでも、得てしてそぉゆうのはあまりにフツーすぎて昨今はなかなか人気店として浮上して来ないのである。
 日本人が化学調味料を初めとする様々なハッタリに味蕾を麻痺させられてちょっとやそっとのコテコテしい味には不感症になってしまったように、観光もまた、いろんなあざとい属性だらけでないと誰も満足しなくなってしまった。その強欲、貪婪は一体どうすればちったぁ治るのだろう。

 今回取り上げる成沢鉱泉も、そんな「語るのがむつかしい」系の、平凡な草深い片田舎にひっそりと残る鉱泉だ。

 実はこの鉱泉、過去に2回訪れて見事に空振りしてる。どっちも留守だったのである。正直、もうツブれてるんではないかとも思った。だってさ〜、どう考えても見た目がアレなんだもん、狭い山の集落沿いの道に小さい看板が出てる以外、マトモに営業してる雰囲気がないんだもん。

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 三度目は数日前にあらかじめ電話を入れておいた。意外に快諾が得られて逆にちょと拍子抜け。念には念を入れて、当日の朝、沸かし忘れてても間に合う頃合いを見計らって、向かう途上のクルマの中からもっかい電話。最近は鉱泉だけは気の向くままにフラリと飛び込むのはしなくなった。

 アプローチは全然むつかしくない。磐越道のいわき三和ICで降りてせいぜい10分もあれば着く。いわき市内に向かう国道49号線を、おそらくは旧街道と思われる狭い山道に折れて、そのまま少し行ったところだ。迷うことはないだろう。集落の中ほどにコカコーラのロゴ入りのプラ看板が出てるのですぐ分かるが、看板以外は周囲の田舎作りの家と大差ない外観である。

 看板は縦書きで「鉱泉・成沢の湯」と書かれた上に、小さく横書きで効能が並べられている。「ひふ病」はまぁ分かるわな。「きりきず」「うちみ」「骨折」「りゅうまち」・・・・・・それらも分かる。でも「どくじゃ」っちゅうのが良く分からない。毒蛇っちゅうたらマムシとかヤマカガシなんだろけど、そんなんに噛まれたら鉱泉くらいに浸かったって治らんのではないか?病院行くのが先とちゃうんか?どだい今時そんなに毒蛇に噛まれる人が沢山おるのか?と素朴な疑問が湧く。

 ともあれ、かつては野良仕事で毒蛇に噛まれることはそれほど珍しいことではなかったのは事実だ。今のようにゴム長もズボンもなく、様々な耕作機械もなかった時代、人は体のあちこちが外界に露出し、直接いろんなものに触れることが多かったから、蛇だけでなく蛭やら百足やらといった気色悪い毒のある生き物に噛み付かれるリスクはひじょうに高かったのである。つまりここはロケーションだけなく生活レベルでも、「村の湯」としてこれまでやって来たワケだ。

 自宅を兼ねた宿は大きく4つの建物がつながって出来ている。通りに一番近いところにモルタルの小さな2階建て、その奥にくっついて古風な瓦葺の平屋。ここが入り口となってて、玄関には金文字で「成沢の湯」と出ている。そこで回廊が直角に折れて途中に湯殿。さらに回廊を行くと小部屋の並ぶ重い切妻屋根の木造2階建て・・・・・・それらが池を囲むようにL字型に並ぶ。おそらく宿泊棟は木造2階建て部分なのだろう。廊下に張られたロープにはそこそこな数の古タオルが掛かってるトコからすると、今でもそれなりに常連の湯治客はやって来るのかもしれない。
 オバチャンに案内されて早速風呂へ。まだ朝早いというのに東京くんだりからやってきた家族連れに、若干奇異の念を抱いてるようだった・・・・・・そらそうか。

 湯殿としてずいぶん天井の低い浴室は混浴で、4人も入ればギュウギュウ詰めの小さな湯舟が一つだけ。スタイルとしては如何にも鉱泉らしく、そして真に古風なものだ。脱衣場と洗い場に壁や仕切りがないのもこれまた古風。しかし、実際は湯舟や床は元のを残したまま建物は近年建て替えられたらしく、新建材なんかも使われてあったりする。宿の家族もここを使ってるようで、窓のところには大きく「新妻用」と書かれた今風なシャンプーのボトルが置いてあった。

 黒ずんで年季の入った湯舟の蓋をめくると、恐ろしく熱く沸かされた湯はごく僅かに濁った淡黄色。壁から突き出たバルブの取れた古い鋳物のカランからは、冷たい水が勢い良く大きなプラスチックの漬物樽に出しっ放しになって溢れている。手触りに若干アルカリっぽいぬめり感があるから、多分これが沸かす前の源泉なのだろう・・・・・・これで大体描写し尽くしたかな?(笑)。ずいぶん丁寧に書いたつもりだけど、でも、鄙びた鉱泉の佇まいなんてこんなもんだ。だからいいんだ。

 浴室内には明るい春の光が注いでいる。諦めずにしつこく何回もトライした甲斐があった・・・・・・ってーか、ツブれてなくて良かった。まぁ、たとえ廃業したところで家の風呂としては使われ続けるだろうし、それこそ新妻もいらっしゃるようだから、そう簡単に消滅したり、無人の廃墟となってしまうことはなさそうだけれども。

 ・・・・・・表に出ると、道路にドベッと大きな蛇が寝そべっている。毒蛇の類ではなく青大将だ。めったにクルマも通らないので、無防備に通りの真ん中で長く伸びている。日光浴で身体を温めてるのだろう。山がちの村にも遅い春が来たのだ。

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 蛇ついでに蛇足ながら、いわき周辺の鉱泉群について現状を少々整理して終わることにしよう。

 「あぶくま洞」の北の山にあった「欠入駒ヶ鼻鉱泉」、さらに西方の「日影ノ湯鉱泉」、なぜか今でもGoogleマップに出てくる「湯ノ本鉱泉」はとうの昔に廃業している。すぐ周辺でも「相子島鉱泉」「銅谷鉱泉」は初めて訪問した10年ほど前で既に休業状態だったし、「川部鉱泉」「カンチ山鉱泉」も近年ついに力尽きた。これまたGoogleマップにはいまだ掲載の「元湯鉱泉」も遅くとも80年代半ばですでに消えてしまっており、少し南に下った「錦鉱泉」「熊ノ湯」もおれの知る限りでは相当昔に廃業しちゃってる模様だ。また、仄聞なものの「入ノ元湯」「中ノ湯」と2軒の大きな旅館のある高野鉱泉については、大昔は他にも旅館が点在し、鉱泉郷とも呼べる様子だったらしい。

 ・・・・・・要はかなり惨憺たる有様なのである。おれのサイトを参考に未だ残る零細な鉱泉群に行かれるのを、別に勧める気も止める気もない。ただ、もし出掛けられたならば、それらの置かれた厳しい現状と共に、ヒッソリ消えて行った地味な鉱泉がたくさんあるんだ、ってことにちょっとだけ思いを馳せていただければなぁ〜、と願う。ではでは。


素朴な雰囲気の浴室。細かいタイル貼りがシブい(全てギャラリーのアウトテイク)。

2009.12.12

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