「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
何も無いことは素晴らしい・・・・・・入間沢鉱泉


2階から見た源泉井戸とそれを祀る祠の様子。


もちょっとちゃんとしたバナー作ったらいいのに・・・・・・(リンクしてます)

 昭和43年(1968年)、とゆーから今からもう40年以上前の話である。日本に巨大恐竜は存在しなかったという古代生物学界の通説をひっくり返すような大発見を一人の高校生がやってのけた。有名なフタバスズキリュウである。大体においてアカデミズムの世界っちゅうのは閉鎖的かつ排他的、また後ろ向きで保守的な所であって、ナカナカ在野は認めてもらえない。その化石が最終的にホンマのホンマの新種と認定されたのは2006年のことだった。
 ただ、認定されようとされまいとゼニ儲けのネタには大いになるワケで、福島県はこれを最大限観光資源として活用していて、バカでっかい骨格標本がミュージアムみたいなトコに飾られてたり、何か子供騙しの恐竜ランドみたいなものが作られたり・・・・・・と、出てきたものが出てきたものだけに骨の髄までしゃぶり尽くすような利用ぶりである・・・・・・ああっ!あまりにしょ〜もない!失礼しましたっ!!

 さて、そのフタバスズキリュウが発見されたポイントの少し上流にあるのが、今回紹介する入間沢鉱泉だ。一軒宿の名前は叶屋旅館という。

 最初に申し上げるならばこの旅館、その実に鄙びた佇まいとは裏腹に、キッチリIT化を進めている旅館でもある。上に掲げた公式ホームページを構えるだけでなく、あの「じゃらん」にだって登録されてたりする。ナカナカやるのである。見つけたときは流石にかなり驚いたのだが、決してそれを悪いことだとおれは思わない。今の時代一見客の集客を図るなら、ハデハデしい看板や、どんだけ効果が見込めるのか分かんないような小さな広告に金遣うよりも、ITメディアに打って出た方がよっぽど効果見込めるし、来て欲しい層にターゲットを絞った訴求も可能だろう・・・・・・まぁ、「じゃらん」だと利用に応じてピンハネされたりするけどね。

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 ナビの案内するルートが何だかおかしいと気付いた時にはもうダートに入っていた。縮尺を上げてみるとしかし、宿はその細い林道の先にある。所詮は機械、たまにどうにも配慮の足りない時がある。
 対向車が来たら離合できない川と崖に挟まれたその狭い道を恐る恐る進んで行く。以前のクルマならサブトランスファーを4WDに突っ込んで苦もなく駆け抜けることもできたのだろうが、今のクルマは最低地上高が笑えるほど低い。おまけにエアロパーツも付いてる。今更Uターンするポイントもなく、とにかく抉れて深くなったところを避けながら進んで行くしかない。
 そのうち道が簡易舗装に変わったな、と思ったら、もう宿らしきものが前方右側に見えてきた。何のこっちゃない、ちょっと遠回りして下流から回り込めば余裕で着いていたのだ。

 旅館の前は建物の大きさからすると異様に広い駐車場となっているが、まだ時間が早いのか1台も停まっていない。敷き詰められた細かい砂利にも轍の跡はない。何だか神社の境内みたいだ。そこにザーッと大きな音を立て砂利を蹴散らし進入していくのは少し気が引けた。白いモルタル壁の二階建ての建物は古い役場とか病院を思わせる。玄関は不思議なことに大きな差し掛け屋根の突きだした部分ではなく、その隣の勝手口のようなところ。控えめな白抜き文字がなければ普通の民家に来たみたいだ。あとは平屋の離れが一棟。
 迎えてくれたのは腰の曲がった・・・・・・とはいえまだそんな年にも見えないお婆さん。廊下や階段には全て赤い絨毯が敷かれてあり、さっそく2階の部屋に案内される。泊まり客が少ないのか、食事をする部屋と寝る部屋を別々に用意してくれていた。

 ・・・・・・少々早く着きすぎてしまった。まだ3時半である。おれは宿に着くともう基本的に一歩も外に出たくないタイプなのでまだいいが、出歩きたい人にここは少々キツいかも知れない。というのも、周囲にホント何もないからである。まさに地名通りの沢・・・・・・つまりは浅い谷の出口にあって周囲は田圃と低い稜線の雑木林だけが広がる。後はこの旅館がポツンと立つだけだ。
 しかし、館内にいたところこれまた大してすることがない。外装は手を掛けられて新しくなっているが、元は湯治場の建物だったのだろう、規則正しく小さな部屋が並ぶだけだし、そのリニューアルのために如何にもレトロな佇まいっちゅうワケでもない。ちなみに全ての部屋には鳥の名前が付けられていた。
 唯一ちょっと珍しく思ったのは、2階の廊下側の一部が引戸になっていたことくらいだろう。無論、開けて出れば下に落っこちる(だから厳重に施錠されていた)。まるで赤瀬川源平のトマソンである。想像するに、かつては裏に別棟でもあって、ここから中二階の廊下で行き来することができたのかも知れない。そういえば表の駐車場の不自然なまでの広さにしても、昔はそこにまた別の建物があったのではないかと思わせる。

 風呂が沸いたとのことで、さっそく入る。浴室は離れの方にある。こちらの方が新しい建物だ。玄関から見て廊下の左側に隣とはアコーディオンカーテンで仕切られた小部屋が並んでおり、どうやら宴会場の大広間兼日帰りの休憩室となっているようだ。反対にある風呂は時間が早いので一緒に入らせてもらえたが、基本的には別浴。男湯は直線基調のずいぶん新しい造りだが、女湯の方が薄水色の細かいタイル貼りとなっていて古めかしい。以前は混浴だったのを建て増してして男女別にしたものと思われる。
 湯はこの辺一帯の鉱泉群に共通するもので、ただもう「清澄」という表現が似合いそうなアルカリ泉。それがライオンの口から小さめの湯舟に吐かれている。窓からは裏の空き地と軒下に浴衣の干された物置、茂みの斜面が見えるのみ。先刻下って来た道が横切っている。鉱泉の湧出量は豊富なようでコンクリートの井戸や四角い貯水槽らしきものも見えるが、浴室からの景色としては湯治場の鉱泉らしく至って地味なものだ。

 風呂から上がったおれは、2階の窓縁の籐椅子に座って段々と暮れなずんで行く風景を見ていた。茫々と広がる稲刈りの終わった田圃、低い山の端、離れの屋根、源泉井戸と祠、その前の小さな鯉の池・・・・・・看板もネオンサインも、否、電柱さえも見えない。それらが段々と夕闇に沈んで行く。静かな時間、静かな平凡。

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 夕食の時間になって、部屋で配膳をしながら女将さんがいささか申し訳なさそうに「こんな何も無い所にお越しいただいて」みたいなことを言う。それはあるいは「粗餐」みたいな謙譲の常套句だったのかも知れないが、むしろおれは今の時代、この清々しいまでの何も無さは誇るべきことなのではないかと思ったのだった。
 観光だけにとどまらず、道具にしたって、食い物にしたって、否、組織や社会の仕組みや法律・・・・・・ありとあらゆるものに於いて「足し算」や「積み上げ」ばかりが蔓延している。おれはそんな風潮にかなり辟易し、そして疲弊している。煩いったらありゃしない。

 ・・・・・・何も無いことは、それはそれで素晴らしいのだ。

 その晩、おれは久しぶりに夢も見ずに眠った。


男湯浴室。深い石の色が美しい。

2009.12.24

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