「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
村の湯(U)・・・・・・玉山鉱泉


ギャラリーのアウトテイクより旅館全景。かつての本館との渡り廊下の屋根が残る。


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 福島県いわき市は鉱泉の宝庫・・・・・・という言い方は実態を正しく表していないのかもしれないと最近思い始めた。どこか美化してしまって抱える問題を糊塗してしまうことに気付いたのだ。だから日本最後の鉱泉密集地帯である、とでも言った方がより正確な気がする。もちろんそこに「ずいぶん減りはしたものの」って但し書きがつくのは言うまでもない。

 そんな中の一つ、玉山鉱泉はいかにも「村の湯」といった佇まいを感じさせるところである。

 「村の湯」に明確な定義があるワケではない。ギミックがない、ってな表現をおれは良くするが、それがどういうことかと言えば、だいたい次のような感じになるのではないだろうか・・・・・・草深くはあるが山深くはなく、近所に有名な寺社仏閣も名勝奇勝もなく、名物郷土料理も特産品もなく、あくまで風景は無個性で全ては平々凡々としている中に、これまたあまり特徴のない泉質の鉱泉を沸かした、建物もなんかも新しくも古くもないフツーの小さな宿がある。かといって決して観光や歓楽を拒絶してるワケでもなく、ボロ過ぎもせず、看板も出てるし、近隣の宴会なんかも受け入れてて空地には古ぼけて少々シルに錆の浮いたマイクロバスなんかが置いてあったりもする・・・・・・おれのイメージとしては大体そんなんだ。もちろん全ての要素を満たしている必要はないし、侘しくて貧しげな宿に限る、とも思わない。

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 常磐道・いわき四倉ICの西方、山に分け入っていく県道が大きくカーブしたところ、温泉神社のある低い山を中心に3軒の旅館が固まる。それが玉山鉱泉だ。屋号が「藤屋」「玉屋」「石屋」と、区別さえできりゃそれでいいや〜って感じで適当な名前なのが面白い。玉屋はあまり大きくはないものの立派な鉄筋コンクリート3階建てに建て替えられているが、後の藤屋と石屋は昔ながらの木造和風旅館である。周囲はただもう農村風景であって、風景についてこれ以上何かを語るのはむつかしいくらいにフツーだ。ちなみに各旅館とも公式ホームページを持ってたりする。時代に合わせて情報化を進めるのは悪くないことだろうし、ヤル気が感じられて良い。
 3軒の中では一番こじんまりしてそうな石屋旅館をおれは尋ねた。鉱泉の例でアポなし突撃しても湯が沸いてないどころか、湯船に水さえ張ってないこともある。だから、もちろん事前に電話でお願いしておいた。玄関で料金を払おうとしてる所にタッチの差でいかにも観光な雰囲気の50がらみの夫婦が来たが、そっちはアウト。だって、まだ片方しか湯が沸いてないんだもん。

 浴室は重厚に黒光りした木の階段をいったん2階に上がり、すぐまた階段を降りたところにある。どうやら玄関から直行すると厨房の中を横切ることになってしまうからだろうが、なんとも不思議な造りだ。2階の踊り場で見た部屋の戸は板絵とでも言えば良いのだろうか、天然木をスライスしたものを意匠に見立てたような、他にあまり例を見ない凝ったものだった。

 近年建て替えられたと思われる左右で男女に分かれた浴室は、家の風呂と大差ない大きさのところも多い鉱泉旅館にあってはかなり広い方だろう。入口のガラス戸の繊細な飾り格子が美しい。通されたのは男湯だったが、2面が大きなガラス張りになった黒御影のモダンな造りは、侘び錆び鄙びって切り口ばかり求める人にはいささか拍子抜けするものかも知れない。窓からは庭と迫る疎林の裏山、大きな源泉槽が見えるだけだ。
 無色透明で柔らかなアルカリ泉に火傷しそうなくらいに熱い湯は似合わない。最初はちょっとぬるく感じるくらいが適温だったりする。ここはまさにそんな感じだ。まぁ、オバチャン景気よく沸かし続けてくれたのか、出るころにはかなりの熱さになってたけれど(笑)。

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 風呂上がって改めて旅館内部をよく観察して見ると、部屋の戸だけでなくどこもかしこもが物凄く凝った造りになっていることが分かる。廊下の天井の柴を並べて組み合わせた格子や、部屋の入り口の上の小さな差し掛け、どれも一手間も二手間もかかっている。座敷の床の間の磨き丸太なんかもマニエリスティックなまでに曲がりくねったのをピカピカにしたものだ。感心してると女将さんに話しかけられた。

 ------この建物、元は別館だったんですけど釘を一本も使ってないんです。
 ------え!?・・・・・・ってコトは本館が別にあるんですか?
 ------本館はその前の、お客さんがクルマ停められてる後ろあたりにあったんですけどね、10何年前に取り壊しました。
 ------そっちが湯治向けかなんかで、こっちは観光客向けだったんですね。それにしても釘を一本も使ってないとは・・・・・・。
 ------はい、木はうちの山から伐り出したものをそのまま使ってて、だから梁なんかは建物の端と端で太さが違っているんです。
 ------あ、ホンマや。あっちの方が太いわ。こんな木が伐り出せるってスゴい山ですね。
 ------松茸も取れます。今年はまだあまり出てないんですけど。
 ------スゴっ!
 ------あの階段も欅の一枚板でできています。
 ------へぇ〜!
 ------昔はどこの旅館にも自分のところに住み込みの大工さんとか左官屋さんがおりまして、その人たちで作ったんですよ。
 ------じゃ、もう随分古い建物なんですか?
 ------いえ、そんな大昔ではなくて・・・・・・確か昭和31年に建てたんだったかな?
 ------!?・・・・・・もっと明治時代とかそんなのかと思ってました。

 女将さんの口調からはかつての盛況を懐かしむ様子がなんとなく窺えた。

 昭和31年・・・・・・1956年だから、今から僅か50年ほど前のことである。今の眠ったような温泉の様子からはまったく想像もつかないが、その頃ここには鈴なりの浴客が溢れ返り、別館を建て増すほどに大繁盛していたのだ。板前なんかとともに大工や左官を住み込みで抱えておけるだけの規模もあったのだ。
 たしかに旅館の前は如何にも元は建物があったらしい四角い更地になっている。建物の外には渡り廊下の屋根らしき残骸もある。見渡すと隣接する玉屋にも元は建物があったと思われるような空地があった。いや、旅館だって3軒どころか何軒もあったのかもしれない。かつて村の湯はもっともっと活気づいていたのである。

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 もう老いの繰り言っちゅうか、いつもの話の展開になってしまうのでくどくどしくは書かないが、依然数多くの鉱泉が残るいわき界隈の、それも一軒宿ではなくそれなりの規模のところでさえ、これが寂しい現実なのである。

 いささか複雑な気分でおれは次の目的地を目指したのだった。


湯気で曇り始めた浴室内にて。

2009.12.05

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