「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
「温泉めぐり」を読んでみた


ナカナカ実直で好人物そうな風貌の田山花袋

 ・・・・・・誇る文豪田山花袋

 大阪のどこの家庭にもたこ焼き器があるように、群馬県民の家庭に必ずあると言われるのが、「上毛かるた」である。戦争によって荒廃した郷土ならびに教育の復興を願って戦後すぐに編纂されたものだ。その「ほ」はこのような文句となっている。

 ハッキシ言って近代文学におれはムチャクチャ詳しい。しかしそぉ豪語できるのはせいぜい大正末期辺りからで、実は明治文学にはトンと疎い。まぁ鴎外とか漱石とかの超有名どころをつまみ食いでしか読んでない。そんなんだからちょっと地味めな花袋については読んでおらず、詳しいことはよぉ分からんのだけれども、とにかく文豪なのである。「蒲団」なのである。「田舎教師」なのである。ゾラやモーパッサンに影響を受けた自然主義文学の旗手なのである。一時代を築いた人なのである・・・・・・らしい。そしてこの人、当時としては異常なまでの旅行好き、温泉好きなのだった。

 で、岩波文庫からこの文豪・田山花袋の筆になる「温泉めぐり」が復刊されてるのを最近知って、買ってみることにした。意外なことにそこそこ堅調に売れてるみたいで、行きつけの巨大書店でもこの本のあるべき場所だけがついさっき売れたかのように隙間ができている。仕方なく取り寄せてもらった。奥書きを見るとこのテの本にしては珍しく、一昨年の初夏のころの発行から既に4版を重ねている。おカタい岩波の、それも古い本の復刊でこれは大した成績といえるのではないだろうか。

 巻末の解説等も参考に概要を述べるなら、この本は初版が大正7年(1917年)、今から90年以上前に袖珍判っちゅうて今で言うポケットサイズで売り出された。タイトルや大きさからも想像がつくとおり、日本全国の温泉についての簡便な旅行ガイドみたいなものであった。現に、大正15年の改訂増補版(おれの買った岩波版の底本となっている)では、その後汽車の路線が通ったとか何とかおおむねアクセスに関しての注釈が付加されている。こうして時代性を反映させた点で当時のムックとも呼びうるだろう。日本の温泉紀行文としても温泉ガイドとしても最古のものであり、名作と称されている・・・・・・。

 今回はその感想文だ。タイトルは「ニコ動」にでもありそうなものにしてみた。

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 はぁ!?
 どこが文豪やねん!?
 どこが名文やねん!?

 これが最初の読後感である。解説書いた人も困りあぐねて同じようなこと述べてるが、誰だって読めば同じような感想を持つに違いない。とにかく書き飛ばしまくってるのである。いやもう「書き散らかしてる」「流してる」と言っていいかも知れない。

 たとえば表現の紋切り型のワンパターンさはどうだ。富士はいつだって「晴雪」だし、山水の深さはそこが日本のどこだろうが「山巒が重畳、雲煙が坌涌、嵐気常に揺曳、谷は鳴動」と決まってる。ウソつけ。また、温泉場が歓楽系であれば「白粉と臙脂の気分の漲る」である。他にもちょっと気の利いた言い方ないんかよ。
 当時、小説家に担当編集者が付いたのかどうかは知らないが、もしいたなら絶対に「センセ、この言い回しもう何度も使ってますよぉ~」とボヤいたに違いない。そいでもって他にも「渓潭」だとか「奔湍」だとか小むつかしくも大袈裟な漢文表現を至るところにちりばめといて、「白根登山」の章では他人の紀行文を「漢文の常習の誇張沢山な文字」なんて言ってのけてる。

 おまけに主観のカタマリ、大雑把、紹介の順番もヘンで、かつ所々論理が破綻してたりもする。
 大体において日本全国はおろか最後は満鮮(・・・・・・あ、当時は日本領になってたんだ)にまで足伸ばしておいて、駆け足も駆け足、僅か360ページに力業で収めちゃってるのである。どう考えても紙幅が足りない。なのに気分の赴くままに脱線しては友人や家族とのエピソード、古伝の類にもヘーキで何ページも割いたりしてる。これぢゃ温泉を論じるのも勢い断定口調、っちゅうよりはむしろ「キメ打ち」みたいな言い方ばかりになってくるのも止む無し・・・・・・ってアカンがな。それにその価値観の根本も、古典や漢籍、水墨画の素養をベースにしただけの感じでぶっちゃけ新味には乏しかったりもする。
 記述の順番がヘンなのは最初の数章だけでも分かる。イントロでさら~っと各地の温泉を列挙しといて、そっから東京からも近い南伊豆の温泉についてまとめる、って滑り出しは悪くない。ところが書いてる途中で別府・亀川温泉のことを急に思い出しちゃったもんだからそれをクドクド書いて、ハッと気づいて慌てて湯ヶ島に引き返す、なんて構成になってる。ガイドやろ?伊豆と九州を並べちゃ読者は混乱するで。
 論理の破綻としては、褒めるつもりが貶して、でもそれはちょと気の毒なんでやっぱりちょと褒めた、みたいな言い回しになっているのがあちこちに出てくる。諏訪湖を述べたくだりなんて、結局いいんだか悪いんだか好きなんだか嫌いなんだか何だか良く分からない。口調はズバズバと明快なのに中身はムチャクチャ・・・・・・酔っ払いがクダ巻く政治談議のようでもあるな(笑)。

 つまるところガイド本としては、それも現代の微に入り細を穿ったような懇切丁寧なガイド本に慣れた我々の目からすれば、ほとんど失格なのである・・・・・っちゅうかガイド本だからこそ、このようにお気楽に手抜きしまくった、と言えるのかも知れない。

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 では、この「温泉めぐり」がダメな本か?っちゅうと断じてそうではない。実に面白くおれは読了することができたし、既に何度か読み返しさえもした。その稚気溢れる天真爛漫さが、ロクに鉄道網も整備されてない時代に日本中を駆け回る恐るべき行動力が、文壇からはもはや盛りを過ぎたと見られてたオッサンのテンション上がりっぱなしの怪気炎ぶりが、端折りまくってスピード感溢れる文章の上に縦横無尽に展開されてて、読んでいて本当に痛快なのだ。ほとんどタテノリパンクみたいな疾走感に全編が貫かれている。

 論理的には矛盾と破綻だらけなのだけれど、そこからはラジカルな部分で彼が旅や温泉を心の底から愛していたことがひしひしと伝わって来る。最初の頃は田舎式だとか汚ねぇだとかけっこうコキ下ろしときながら、何のかんので自分の故郷・館林に近い薮塚・西長岡の両鉱泉を何度も何度も登場させ、結局は褒めてるのもなんとも可笑しくて憎めない。

 一方でさすが後世に名を残す作家と言える嗅覚の鋭さもちょっとばかしは発揮されている。別府がやっぱ一番だぜ!と断言して、ここが侘寂/歓楽、湯治/観光といった相反する性格を全方位的に含んでいることを既に喝破しているし、どちらかといえば関東贔屓な中で熊野を絶賛したり、山中の小さな温泉はたいてい「二・三あるが大したものではない」などと軽くいなすところを、棚倉の湯岐や栗駒界隈等についてはキチンと評価してる所は、様々な過去の周遊記についての素養というバイアスから抜け出した彼のオリジナリティであり、現代にも通じる優れた審美眼と呼んでかまわないだろう。また、交通網の発達が零細な温泉場を衰退させて行くであろうことを、既にこの時代に予見しているのにも感心させられた。

 さらに失われ行く風物に対する眼差しが良い。「下部の湯」の章では温泉のことそっちのけで(何と温泉については会話の中での伝聞が数行書かれてるだけ、笑)、衰え行く一方の富士川下りの水運についてエラく丹念に描写されている。それは温泉ガイドとしては完全に平衡を欠いているのだが、哀惜の念を湛えた一個の作品としては読ませる。どうやら花袋センセ、生まれた舘林が利根川と渡良瀬川のそれで栄えた町だったせいか、水運っちゅうのにかなりの思い入れがあったようで、他にも寂れた河港について言及している箇所が多い。

 もちろん忘れてはならないのは、ムック本として明治から大正初めにかけての貴重な時代の証言となっていることだ。これはもう挙げだすとキリがないけれど、温泉街の櫛比する木造2階建て・3階建ての旅館の風景しかり、そこに向かう温泉軌道や鉄道馬車、乗合自動車しかり、当時の温泉・鉱泉宿が村の銭湯の役割を果たしていたことも、また、湯治が日本の行楽においてひじょうに重要な位置にあり、今からは想像もできないくらい温泉街にはウジャウジャと人が溢れていたこと、等々すべて活写されている。逆に常磐湯本が当時廃業寸前にまで追い込まれてたこともおれはこの本で初めて知った。ユニークなところでは、温泉はないけど海水浴場はある、ってな調子で温泉と海水浴がほぼ同列に論じられてるのも面白い。

 また、今では失われてしまった温泉についての貴重な情報源でもある。これまた挙げだすとキリが無いほど出てくる。ガラメキ温泉、平野鉱泉、生瀬鉱泉、立山温泉、如法寺温泉・・・・・・なにより何度も取り上げられた大のお気に入りの西長岡鉱泉にしたって、昭和30年代初頭に火事で無くなり、今はゴルフ場になっていると言われるし、伊香保の章で触れられた榛名山の二ツ岳蒸湯もこの本が書かれたのと相前後して噴気が止まり廃れてしまって、今はただ登山道の途中に小さな東屋が建つだけらしい。

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 「温泉といふものはなつかしひものだ」

 本はこのようにまことにざっかけない文で始まる。しかし、この言葉は百年近くの時を経た今でも率直に心に響く。そう、温泉とは懐かしいものなのだ。

 ちなみに彼は改訂版発行の折にも本文はほとんど修正していない。おそらくは温泉という風物そのものが移ろい行く儚い存在であり、自分の記述が図らずも時代を鮮やかに切り取ったドキュメンタリーとなっていること、そして失われた風景は二度と戻らないことをよく分かっていたからだと思う・・・・・・ま、単に手直しするのがめんどくさかっただけなのかもしれないが(笑)。

 ともあれ「温泉めぐり」、温泉好きを自任する者ならば是非一度は読むべきだろう。



※参考資料
「上州東毛 無軌道庵」(http://mukidouan.exblog.jp/)
「しぶかわお宝調査団」(http://newshibukawa.cocolog-nifty.com/blog/)
「上野鉱泉誌」(国会図書館蔵 http://porta.ndl.go.jp/)


岩波文庫の常でいったん売り切れると次はいつ出るか分かりません。

2009.11.22

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