「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
東海道をゆく(笑)・・・・・・2009.08.11の記


広重「東海道五十三次・岡部」

 小雨が降っている。クルマは今、首都高の三軒茶屋を過ぎた辺りを走行中だ。交通量は多いとはいえまずまず流れているから、出だしは良しとすべきなのだろう。

 首都高の渋谷から用賀までの区間は、建設年代が古いせいか道があまりよくない。等間隔に並ぶ路面の継ぎ目からのショックも大きいし、舗装の荒れも目立つ。とはいえ、その時微かに感じた変なヒネリのような、あるいは轍に脚を取られたようなグニョングニョンした車体の揺れは普段と少し違う印象だった。ただ、今のクルマは足回りが硬く、以前の4WDよりは路面のちょっとした変化も忠実に捉える。一瞬、何か踏ん付けたのかと思ったものの、特に異状もないし、気のせいだろうとそのまま走り続ける。

 いつもはシーズンを外して休むおれにしては珍しく、週末から始まった盆の帰省ラッシュの真っ最中の今日、家族ともども関西に帰省しなくてはならない。前日に兵庫県の佐用界隈に大きな被害をもたらした台風9号が紀伊半島沖から東進中なのがいささか気懸かりなものの、まぁあそこまでの激烈な豪雨にはなることは天気図からしてもうないだろう。

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 大地震発生を伝える臨時ニュースがFMから流れ出したのは、その直後のことだった。あの僅かな挙動の変化は地震がもたらしたものだったのだ。

 すぐにラジオをAMに切り替える。こんな時はやはり、NHKのAMラジオの情報が最も迅速・確実で頼りになる。実はその前々日の夜にも関東はけっこう大きな地震が揺っていた。だからまた遠くの震源で大き目のがあったんか!?くらいにタカ括ってたら、続報はドンドン厭なことを伝え始める。なに!?震源は駿河湾だ、どこそこでは震度6弱だ、マグニチュードは6.6だ・・・・・・ひぇぇ〜!そら困るがな、おら〜今まさにそっちに向かっとるんぢゃわい。台風と地震のダブルパンチてどぉゆうこっちゃねん!?
 首都高からそのまま東名に入ってたものの、間もなく高速は通行止めになった。既に覚悟はできてたので失望はなかった。神奈川県下で電光掲示板が壊れたとかなんとかラジオは言ってる。クルマは全部厚木ICで下ろされた。幸い小田原厚木道路は止まってないので、取り敢えずはそちらに向かうしかない。
 ラジオから流れる地震情報はだんだん詳細なものとなり、こうしてクルマで走ってるおれにもおぼろげながら全体像が分かって来た。焼津から牧之原、御前崎にかけての沿岸部と伊豆半島の一部の揺れが激しかったこと、震度の割に大きな被害は出ていないこと、津波と呼べるほどの津波は起きていないこと、懸念されるいわゆる「東海地震」ではなさそうなこと、そして肝心の東名高速は大井松田ICから三ケ日ICまでの区間が不通となってること・・・・・・って、え゛〜っ゛!?三ケ日ゆうたらミカンに原人、浜松のまだ先ちゃうんかい!?どんなけ下道行かんならんねんな。トホホホホ。
 盆の期間とはいえ、悪法の極みの「千円の日」でなかったおかげか、それとも地震発生で出かけるのを急遽取り止めた人が多いのか、道路はまだ比較的空いており、アッちゅう間に小田原到着。依然ラジオは地震の状況をひっきりなしに伝えている。どうやら一般道は特に問題なく行けそうなので、そのまま箱根新道へ上がる・・・・・・っちゅうか、選択肢はそれかあるいは引き返すしか残ってない。何が悲しゅうて遠路はるばる関西まで帰るのに、九十九折れの箱根峠を越えてかんとアカンのや?わしゃ江戸時代の人間か?入り鉄砲に出女か!?
 箱根峠のてっぺんで時刻はちょうど6時半、癇に障るほどの明朗・溌剌そのものの声でラジオ体操が始まった。雲が低く垂れこめ、雨のそぼ降る箱根峠でラジオ体操・・・・・・まるでおれはアホだ。
 それでも比較的順調に下って三島、そして沼津。朝の通勤時間となり、国道1号線は急に混み始めた。災害状況を確認しているのか、パトカーや消防車、電気・ガスといったライフライン関係のクルマ、市の名前の入ったバンなんかの姿も目立つ。このままでは埒が開かないので、ナビの案内を無視してルートを脇道に取る。落ち着いた旧街道の宿場町の面影を残す家並みの間を抜け、田子の浦港の脇を通ると富士山が見えた。頂上を厚い雲に覆われた黒い山体はしかしデカいだけで、美しくも何ともない。
 しつこく国道1号線へ戻そう戻そうとするナビが拗ねるんぢゃないかっちゅうくらい、チョロチョロと間道選んで富士川を越える。不通区間はさらに西に延び、豊川ICまでがアウトとかラジオはヌかしとる。そんなに被害出てるんかぁ!?下道なんともあらへんやん。家も倒れてへんやん。念のためとかゆうて黄色いパトカーが巡回してるだけとちゃうん?
 それにしてもいい雰囲気の古い街並みが続いている。2階建ての切妻で軒の深い商家が並ぶ佇まいは街道筋特有のものだ。高速道路や大半がバイパスとなってしまってる国道1号を走ってると分からないが、広重の絵に描かれたような世界は今でもけっこう残ってるんだなぁ〜、と妙に感心してしまう・・・・・・無論、目的地まで400km以上を残した今の状況で、本来、風景に感心してる余裕なんてないハズなのだけど(笑)。まぁ、もうこうなっちゃった以上、イライラしたって始まらない。ハラ括るしかない。
 東海道本線に沿うように蒲原を過ぎると、急峻な山が海に迫って逃げ場のない難所の由比だ。ここでは東名と東海道線、1号線が並んでほぼ海際一杯を走っている。仕方なく1号線に戻ると渋滞しまくり。ノロノロと「ちびまる子ちゃん」の舞台の清水を通過すれば、静岡はもう目前、距離的には(笑)。
 1号線は脇道に出にくい高架区間ほど渋滞が激しく、クルマはほとんど動いていない。静岡をどのようにして越えたかは正確に思い出せないが、早々に1号線を外れ、とにかく東名が開通したらすぐに復帰することだけを念頭に、幹線道路を避け、ひたすら裏道を南に北に巻きつつ安倍川を渡り、宇津之谷峠越えで岡部に抜け、焼津市内を過ぎ、いつしかルートはこれまた混み合う国道150号よりもさらに南側、海沿いを御前崎に向かっていた。越すに越されぬ大井川は最も河口付近を渡る。朝の天気が嘘のように快晴だ。朝の揺れは実は前震で、今度は本震が起きて津波来襲したらひとたまりもないな〜、などとワケの分からぬ心配をしながら海沿いを行くと、不通区間が富士IC〜袋井ICに短縮されたというニュースが流れ始めた。
 ここからのナビの案内は不思議と冴えまくっていた。ところどころ屋根瓦の落ちた家も見られる榛原の町から、霜よけの扇風機が並ぶ牧之原台地の一面の茶畑の中を抜け、後から知ることになる崩落区間のすぐ脇を通って東名に沿うように菊川、掛川と過ぎれば、ようやく袋井ICの案内が見えてくる。みんなまだ1号線の渋滞に捕まってるのだろう、クルマはそれほど多くなく、何の苦もなく通過。
 時刻は12時前。ようやく高速道路に戻れた。高速上はこれまでに経験したことがないくらいにガラ空きだ。結局、家出てから何のかんので6時間ほど神奈川から静岡県下の一般道をウロウロしていたことになる。それがいいペースなのかどうかは分からなかったし、考える気にもならなかったが、ま、江戸時代の人に較べりゃ十分速いには違いない。

 ・・・・・・・禍福はあざなえるなんとやらっちゅうか、逆に袋井以降のルートは大阪の前後を除くと、これまで経験したことがないほど快調そのものだった。色々ややこしいことになりかねないのでここで具体的にどれだけスピードを出したかは敢えて書かないが、やっぱターボの威力は絶大だ。途中数ヶ所の休憩をはさんだにもかかわらず、自分でも驚くほどのハイペースで伊勢湾岸〜東名阪〜新名神〜京滋BP〜中国道と抜け、播但道の終点・和田山を出たのはそんなに遅い時間ではなかった、とだけ書いておこう。

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 防音壁に囲まれた単調極まりない風景、ダラダラといつまでも続く渋滞、ようやく解消したらしたで追い越し車線にへばりついたままのバカでトロいクルマ、動くシケインのような枯葉マークの年寄り、加速もまともにできないのに追い越し車線にフラフラと出てくる軽自動車や長距離トラック、レーサー気取りで蛇行して抜いて行く外車、昂る神経・イライラ、溜まる疲労、襲う睡魔・・・・・・クルマによる盆暮れの帰省は、さしたる苦労のなくなった現代人にとって最大の難行苦行の一つだ。実際、悲惨な事故も多い。

 おまけに高速道路の休日千円なんて天下の愚策も始まった。さらには民主党が政権奪取すれば無料だという。それが実現したらますます状況はひどくなるに決まってる。どだい莫大な維持費をどこから捻出するツモリだ?麻生だ鳩山だとかまびすしいが、今の七光り政治家は揃いも揃って本当に苦労知らずのバカばっかしだ。一体全体、高速道路をどうしようというのだろう?

 不謹慎の誹りは受けてもいいから、敢えて言おう。自分にとって今回の仮称・静岡沖地震による一般道大迂回は、かように苦痛なだけの帰省からすればナカナカに楽しめる体験であったと共に、完全に政治家のいいオモチャにされてる高速道路について改めて深く考えさせるための一種の実験にもなった気がする。

2009.08.16

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