「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
清遊へのいざない・・・・・・白山鉱泉


雰囲気溢れる「白山荘」玄関。隷書が見事

 今時「清遊」なんてほとんど死語だ。「せいゆう」っちゃ100人中100人が「西友」とか「声優」と書くに決まってる。
 そもそも「清遊」ってどぉゆう意味やねん?ってトコから始めよう。おれ自身もあまりよく分からずに使ってた。志低くお手軽に(笑)パソコンでYahoo辞書を引くと次のように出ている。

    1 世俗を離れて風流な遊びをすること。また、その遊び。「山野に―する」
    2 多く手紙文で、相手を敬ってその遊びや旅行をいう語。「当地へ御―の折にはお立ち寄り下さい」

 ほほぉ、これまでおらぁどうやら「1」の方の意味でこの言葉を振り回してた、ってコトが良く分かった。「世俗を離れて風流な遊びをする」・・・・・・つまりは、世の色んな流れから離れて上品に遊ぶ、っちゅうこっちゃね。でも一体全体「上品に遊ぶ」って何や??

 白山鉱泉「白山荘」にはその答えがあるような気がする。

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 那珂川西岸に緩やかに広がる河岸段丘が山裾に交わる所にその一軒宿はあった。小さな看板を頼りに国道を外れ、村の旧道をさらに外れて見渡す限りの畑の中の細い道を行くと着くのだけれど、およそ旅館があるとは思えない見事に何にもない田舎道だ。畑が切れて山に入ろうというところ、数台が停められるいい感じに錆と苔の黴の回った鉄骨組のガレージがなければ、そのまま気付かず通り過ぎてしまいそうになる。斜面が石積みの不規則な雛壇状になった高台に民家のような母屋が見えた。とにかく宣伝しないのが方針なのか遠目に分かる看板らしきものは建物の周辺に見当たらない。
 玄関まで着いておれはちょっと感動してた。実はここ、かなり以前から気になっていた鉱泉なのだけれど、なかなかコースに組み込めなかったり、他の所をハシゴしてる内にタイムアウトになったりしてこれまで未訪になっていたのである。おれはとにかく古めかしい木造旅館が好きだから、予想以上に時代を経た佇まいだったことに感激してしまったのだ。大当たりの予感がする。

 建屋はとても不思議な構造になっている。瓦葺のお寺の庫裏のような小さな母屋を中心に、鉛丹葺の赤い屋根のいくつもの離れが渡り廊下でつながっているのだ。日本旅館にありがちな増築に次ぐ増築の結果だろうとは思うが、それが他に見たことのないような極端にミニマムな形でここにはある。部屋数は全部で10部屋くらいだろうか。
 軋む廊下を通って一室に案内される。2方が窓になった明るい部屋だ。もう5月だというのに未だに布団の掛けられた炬燵が置いてある。まだまだ朝晩は冷え込むのかも知れない。鴨居には達筆な額。読んでみるといずれもこの旅館をモチーフにした連歌であったり、横に一句書いてそれを頭字にタテに和歌を並べたりした凝ったモノだったりした。
 そういや玄関前に掲げられた額も見事な隷書だったし、靴脱ぎの周りにも達筆な額や絵が掛けられていた。そのような趣味の人が数多く訪れては残していったものなのだろう。宿泊費代わりにこぉゆうものを置いていければ楽しいだろうな〜、と思う。

 窓を開けるが、取り立てて眺望が開けるワケではない。庭の丸く刈り込まれた躑躅と一段下になった部屋の屋根、新緑の森が見えるだけだ・・・・・・と、いきなりアルミの網戸が外れた(笑)。建物に微妙に歪みが出ていてハマリが悪い。
 100円TVのスイッチを入れたものの、祭日の夕方なんてロクな番組やってない。館内探検しようにも、5分もかからない。することがなくなってしまった。無聊也、退屈也、有閑也、徒然也・・・・・・ああ、額にアテられたか自分も何だか漢語チックになってしまったやおまへんか。

 その内、風呂の用意が出来ましたとのこと。ゴルフ帰りのお客さんがもうすぐ戻ってくるので今逃すと夕食後になりますがどぉしますか?と問われて躊躇うことなくすぐに入ることにする。狭い廊下を挟んで浴室のすぐ目の前が厨房。隣の20畳ほどの細長い座敷も目の前だから迂闊に開けると丸見えだ(笑)。風呂はどうやここにしかないようなので入れ替え制の混浴なのだろう。
 引き戸を開けるといきなり洗い場が見える。関東以北に多い、脱衣場と洗い場にまったく仕切りのないタイプである。温泉マニアの間では有名な、舟の形をした3人も入ればギュウギュウの小さな湯船が壁際にあるのも見える。まるで駄洒落だ。横にはチャンと「白山丸」などと書いてあったりするのも芸が細かい。さらにはこれまた屋根や滑車、釣瓶までも忠実にこしらえて井戸のように仕立てた源泉井戸。まぁ、どちらもたしかにちょっと風流と言えるが、直喩ちゅうか何ちゅうか今一歩ヒネリが足らんってーのが素朴なご愛敬とも言えるし、あまりにベタ過ぎて却ってシュールで斬新とも言えるだろう。

 風呂から出るとそのまま座敷にて食事。那珂川で獲れたっちゅうモズクガニが真っ赤に茹でられて鎮座している。豪華絢爛ではないけど、どれもこれもとても美味くて箸が進む。ゴルフ帰りのお客さん、とやらは隣になった。オッサン4人組とかを勝手に想像してたら中年の男女カップル。口のきき方からして明らかに夫婦ではない。ま、「密会の宿」の役割もここは担ってるのだろう。全部屋離れだから、いろんな意味で好都合だわな(笑)。

 部屋に戻る。当然することはない。茶を啜る。今日撮った写真をデジカメでボーッと眺める。TVを観る。みんなでトランプをする。いい加減眠たくなったところで就寝・・・・・・。

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 もうお分かりかと思うが、周囲のロケーションを含めここ白山荘にアッパーなものは何一つなかったし、何一つ起きなかった。実に淡々とした、有り体に言えば退屈極まりないローテンションな時間をただひたすらボケ〜ッと過ごしたのだった。
 ぢゃぁそれが面白くなかったのかっちゅうと、決してそうではない。そりゃ〜ゲラゲラ大笑いしたり、アンギャーッ!と仰天するようなことはこれっぽっちもなかったけれど、ただもう無為に過ごすことでその対極の、まるでゆっくりと意識を失って昏睡状態に陥って行くような・・・・・・ある種のドラッグにも似た、いわば「タナトス的な至福感」と呼ぶべきものに確実に浸ることができたのである。そして言うまでもなくそれは深いリラックスに他ならない。

 翌朝、「有難う存じます〜」という大女将のちょっと変わった言い回しに送られて、おれ達は「白山荘」を後にしたのだった。
 もし今のままの佇まいを残しているなら、またいつか泊まりたいと思った。

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 でもホント、具体的に清遊、ってどんなコトすりゃいいんだろ?

 ・・・・・・宿に1週間ほど逗留する。食い逃げと思われたらアカンので当然前金だ。
 別に具合悪くて湯治に来たんぢゃないから、朝ごはん済ますと浴衣に下駄ばきで近くの山を散策する。あるいは、野良仕事の人々の邪魔にならない程度に会話を交わしたりなんかする。釣道具を借りて川辺に行ってもいいかも知れない。いずれにせよセカセカせず、ゆったりまったり大らかにしていることが肝要だ。
 昼前には戻って、軽いお昼の後は小一時間ほどの午睡だ。昼寝ではない、ここはやはり午睡と呼びたい。
 目覚めたら窓際に端座して書き物をする。鉛筆!?ダメダメ!!ましてやパソコンなんて世俗の塊のような野暮は以ての外だ。ここは正しく墨と硯と筆と決まっとる。綺麗に目の出た端渓なんざ理想的だろう。書くのは俳句、短歌、漢詩、あるいは何らかの水墨画に讃を付けても良かろう。
 夕方には風呂に入ったら、もう晩御飯。酔わない程度にお銚子の2本ほど誂えてもらう。気分が良くなったら、この時だけはちょっとくだけて俗な艶笑川柳なぞ記してもいいかも知れない。そして夜更かしせずに早めに就寝。
 これをただもう1週間繰り返して、終わり。

 ・・・・・・いやもうイメージが俗そのものな上に古臭いっすよねぇ〜(笑)。おれにはあきまへんわ、清遊。



註:一部のサイトではここ、「岩沢観音温泉」などとトンチンカンな名前で紹介されているが、これは誤り。たしかに大昔には「岩沢『尻』観音」と呼ばれたこともあるみたいだが、今は「白山」が正しい。旅館の人に確認したのだから間違いない。


風流というにはちょとコテコテしいユニークな浴室全景。ギャラリーのアウトテイクから。

2009.05.21

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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