「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
横断と縦断の夢の跡への旅(U)


寂れた佇まいの上総亀山駅前。
「シーナリィ・ガイド」をお持ちの方は見比べてください。


 久留里線の終点・上総亀山駅は呆れるほどに何もない。10年ほど前、ドライヴの帰路に立ち寄った時もそう思ったが、今回もその印象はまったく変わらなかった。

 駅前にはシャッターを下ろした商家が数軒、少し離れてタクシーの車庫等が並ぶのみ。周囲はただもうフツーの村で、何がしかの特筆すべきものがあるワケではない。なるほど歩いて10分ほどのところには亀山湖という、今はバス釣りのメッカの人造湖があるけれども、これは鉄道が出来て遥か後、昭和40年代の終わりに作られたものだ。湖畔には亀山温泉なる旅館、キャンプ場が点在し春〜秋にはけっこうな賑わいを見せるが、鉄道に乗ってやって来るようなモノ好きはまずもっていない。
 そんなんだから新しくできた広い道路はすべて亀山湖畔に向かって整備されており、駅に辿り着くには、こんなんで本当に合ってるのかな〜?と不安になるほど曲がりくねった狭い村の中の旧道を行かねばならない。唐突に盛り土の上に錆びた車止めが見え、そこが線路の終端であることが分かる。

 ローカル線でも昭和期に入ってから敷設された路線ほど寿命は短かった。当たり前っちゃ当たり前で、明治初めの新橋〜横浜間の開通以来、鉄道にしたってニーズの高い所から順に整備されて行く。新幹線だってそうだ。後回しになるのは沿線人口が希薄だったり、さしたる産業がなかったりでプライオリティが低かったからである。
 木更津〜久留里間の開通は1912年っちゅうから大正の初めだ。久留里は三万石の城下町、また奥地からの様々の産物の集散地、そして潤沢に湧き出す水を使った酒造が盛んな土地としてそれなりに賑わいを見せていたろうからまだ納得できる。それが上総亀山に延伸されたのは昭和10年代、典型的な「消えておかしくない路線」であることは疑うべくもない。実際、終戦前後にかけては不要不急路線として久留里からここまでは運転休止の憂き目にもあったというから、その過疎ぶりは今に始まったことではないのである。

 それが何故か現代まで生き残った。それも古い設備を残したまま、朝夕には3輌、4輌とローカル線にしてはけっこうな長さの列車の走る路線として。

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 小学生の頃から上総亀山は気になる存在だった。理由は簡単、これまで何度も書いたから知ってる人には耳にタコだろうが、河田耕一「シーナリィ・ガイド」に「草深い行き止まり駅」というタイトルで記事が収められていたのだ。

 驚くべきことに駅には開業当初からと思われるその構内配線が、撤去されることなく今でもそのままに残っている。件の本の画像やスケッチと基本は何も変わっていない。2本の側線は本来の使い方ではないにせよ実際に列車が入って来るらしく、レールの面は鈍く光っていた。ローカル線の風景で何がイヤになると言って、やはり線路が間引かれてスカスカになってしまってることだろう。
 何のこっちゃない、そのワケはどうやら沿線人口が増えたおかげで朝の上り列車を走らせるのに、前の晩から車両を留置させているかららしい。しかし、それは遥かに木更津寄りの方の話で、乗客のほとんどいないこんな辺鄙な終点にまでわざわざ運んでこなくても、まだちったぁたくさんお客が乗りそうな久留里に朝に回送で運んで、そっからの始発にしたら良いだろうに・・・・・・って、まぁ、そんな合理化につながる話、ここは日本一過激な千葉動労のシマだからありえない、か。

 ちなみに今回は「踏破」ではない。「走破」である。秘密兵器を導入した。自転車である。クルマにこいつを積んでって、沿線を丹念に走ってこましたろうという寸法だ。正直、歩きで30kmを超える路線はむつかしい。途中で陽が暮れるのは仕方ないとして、ウロウロ歩きまわってねぐらを確保するのが一苦労なのだ。暮れてド田舎ならまだいいが、中途半端に拓けた場所では本当に人目について困る。
 その点、自転車なら徒歩をはるかに上回る機動力があるし、クルマに戻りさえすればいかようにもでもなる。

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 グジュグジュと辿ったルートを逐一縷々述べるのはギャラリーに譲るとしよう。ともあれ早速木更津に向かって軽快に下りながら、丹念に各駅に立ち寄って行く。大きく蛇行して流れる小櫃川と鉄道、道路が絡み合うように続く。あっという間に沿線最大の駅・久留里に到着。古くて小さな駅舎とは不釣り合いに広く、何もない駅前広場は閑散とした風情だ。
 ここもまた側線を含めてほぼ完全に構内配線が残っている。それにしても大きな一眼レフを提げて三脚持った鉄ちゃんの姿が目立つ。やはり首都圏最後の非電化路線ってコトで人気があるのかもしれない。太って銀縁メガネは分かるとして(何がや!?笑)、妙に天パーのヤツが多いコトにおれは気付いた・・・・・・そんなんに気付いてどうなるもんでもないが。
 そうこうする内に木更津からの列車が到着。未だに大きな輪っかのタブレットをうやうやしく交換している。結構な人数が降りてくる。驚いたことに半分くらいが鉄ちゃんだ。そんなに人気があるのか?この路線は?
 交換駅なのでしばらくすると今度は上り列車がやってきた。千葉市内にでも遊びに出かけるのだろう、乗り込むのは精一杯にカッコ決めた高校生らしき若者が多い。しばしの停車の後、2本の列車は重々しいエンジン音の割にはノロノロと出て行った。こんな長閑な運転状況だから、30kmほどの距離を行くのに約1時間を要している。

 さらに下って行って馬来田。ここも素晴らしく古い駅舎で、白茶けた羽目板張りがそのまま残る。驚いたことに、交換駅でもないのに駅員がいた。それなりに乗降客はいるのかも知れない。
 ますます沿線には鉄ちゃんの姿が目立ち始めた。線路沿いのあちこちで三脚を立てている。その数は尋常な数ではない。もう一つの交換駅、横田も国道沿いの発展から取り残されたようにだだっ広い駅前広場ばかりが目立つが、ここまで来るとあたり一面鉄ちゃん状態。元々元祖ヲタクと言える鉄ちゃんは一人でもいてもあまり気持ちの良い存在ではないけれど、これだけ脇目もふらず線路に向かって一心不乱にウジャウジャ歩む姿は不気味でさえある。まるでゾンビだ。急ぐ一人をテキトーに捕まえておれは訊ねた。

 ----今日は何か特別なことでもあるんですか?
 ----旧型客車が走るんですよっ!11時19分!もうすぐに来ますよっ!

 その答える表情に僅かながら、「オマエはそんなことも知らないのか!?」という侮蔑が混じっていたのは言うまでもない。知らんがな、そんなん(笑)。それにまだ列車来るまで40分からあるやないか。輪に加わってひねもす列車の到来を待つのもアホらしく、そのまま国道に戻り次の駅へと向かう。いやもう沿道も重そうな気材を肩に掛けて歩く鉄ヲタだらけになっている。川の土手など人が鈴なりだ。
 件の列車はさらに二駅も行ったところでようやくやって来た。プッシュプルの重連でたった2輌の客車を挟んだ、なんだかとても珍妙な編成は、頼りないタイフォンの音と共にあっという間に眼前を通り過ぎて行った。あんなにも忍耐強く待ち続けてこんなん愉しみにしてたんかよ、と率直におれは思った。

 いくつか高速道路の巨大な築堤の下をくぐって線路は真っ直ぐ続き、最後に大きくカーブして呆気なく木更津に着いた。駅の外れには予備なのか無闇に沢山のディーゼルカーが留められていた。

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 久留里線が木原線と繋がって房総半島を横断する計画であったことについては前回書いた通りだ。しかし、それが実現することは未来永劫絶対にないだろう。道路整備のみならず、既存の鉄道路線でさえ幹線では大幅な高速化の進んだ現在、数多くの勾配とカーヴを伴って木更津と大原が非電化の路線で結ばれることに何のメリットがあるというのだ。

 木更津の街自体も不景気が伝えられて久しい。休日の駅前なのにシャッターを下ろした店が目立つ。駅の立ち食い蕎麦でせわしなく昼食を食べながら唐突に、とっくにここが横断の拠点となっていることをおれは想い出した。
 そう、言うまでもなく、いったん海の底を潜ってから今度は海上を走るなんちゅう、房総横断からすれば遥かに桁違いに壮大な高速道路、今の季節なら潮干狩りで賑わう干潟の向こうに蜃気楼のように霞んでそびえる・・・・・・東京湾アクアラインの一方の端だったのである。

2009.03.24

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