「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
温泉ネタを考える・・・・・・100万アクセス記念に


アウトテイクから(2005年秋、会津)

 かなり前の話だが、100万アクセスを超えた。細々とやってるホームページにもかかわらず、開設して3年半くらいだったからまずまず盛況な方なのだろうと思う。

 とまれ、これもまぁ一つの区切りだろうから今回は切り口を少々変えて、これまでおれがどんなことを考えながら温泉関係のコンテンツをアップして来たかについて、改めて述べてみようと思った。
 ハハハ。鹿爪らしく書いたけれど、最初のアイデアでは現時点で行ったことのある温泉を淡々とすべて列挙してやろうかと思ったのだった。しかしそれでは量的にあまりに膨大だし、それにデータベース的なことはやりたくないとずーっと思ってるので止めた。それに何かさもしい数自慢だけになっちゃうようでヤだしね。

 でも、「どんなことを考えて」ったって、さほど高邁かつ深淵な思想に裏打ちされたものぢゃぁない。ただし、晦渋ではある。なぜならおれ自身が自分の考えをまったく整理できてないからだ。もっと直截に言えば、まず言語で可視化できない情動が何より先にあって、自分でも良く分からないままに行動してる部分が多々ある。だから大上段に振りかぶって演説なんぞやろうたってできない。
 むしろここで一度いろいろ書き連ねてみることで、自分の立ち位置みたいなモンを今一度確認する試み、くらいに思ってお付き合いいただけるとありがたい。

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 やはり大きなものとしては「個人的な記録の公開」っちゅうのがある。ただしおれ自身は単なる記録とは思ってない。

 実は昔から、個人的な記録がただ社会に出されるってことだけで、それが普遍的な意味や価値を帯び得るのではないか?と考えている。卑近な例で言うと、市井の名もない人の日記がその時代が活写されていることで歴史資料的な価値を持つ、なんてーのがあるけれど、おれが言いたいのはそんな「社会のためになる」ってな----いわば「功利的側面」----ではなく、記録が一個の「作品」として成立しうるんぢゃないのかということだ。
 それは口にするとかなりこっ恥ずかしいけど、表現行為として、つまるところアートとして、だ。もちろん、自分のここまでアップしてきたものがそれだけの価値を有するかどうかはともかくとして、記録は一個の作品たりうる。

 一方で、おれの温泉コンテンツが「個人的な記録」と言い切るにはいささか純粋さに欠けているのも事実だろう。もちろん、まったくの捏造は一切ないと断言できるし、ずいぶん度合いからすれば控え目ではあるけれども、実際に起きたことに対しての誇張や切り貼りくらいはしてる。何故ならそれが耳目に触れることを大前提にしてるからだ。すなわち「創作」をしてるのである。

 言い訳させてもらうと、これもおれだけの捻れた考え方かもしれないが、日記はいつだって偽日記なんぢゃないかと思ってる。アラーキーの写真集にその名もズバリ「偽日記」って作品集がある。もう30年近く前のものだが、ここで彼はバカチョンカメラの日付をメチャクチャにいじくって撮影したものを後からその日付順に並べ直す、っちゅうアプローチを行った。明らかにこれは事実(≒記憶)の再構成を通じた異化に他ならない。
 ・・・・・・って、ひどくおれは荒木経惟に私淑しているとはいえ、直接この作品に影響を受けて偽日記云々と言ってるのではない。元々の考え方がそうなのだ。偽日記ぢゃない日記なんて真剣に追求したら、今日の献立くらいしか書くことがなくなるぢゃねぇか、とさえ思っている。あらゆる事物は自己というフィルターを通ることで多かれ少なかれ異化される。どれだけその日の出来事を淡々と記述したとしても、その記されたものは記された時点で記された故にもはや事実ではないワケである。

 思えば、個人的な記録のフリした実はちょと創作、っちゅうやり方は中学の頃から盛んに書いてた日記めいたものから一貫して変わってない。進歩のないことおびただしいが、恐らくはおれなりの芸風だし、自分には一番楽なやり方なんだろう。

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 「古い風景や零細な事物・風物をいとおしむ気持ち」っちゅうのも無論強い。何度も何度も何度も書いたことだけど。

 温泉をそのイコンとしておれは捉えている。はるか昔はローカル線にそれを見出してたのだが、今はもうそこに望むものは何も残っていない。全ては荒れ果ててしまった。あくまでおれは「現役の風景」をみたい。だから、鉄道自体さえもがどんどん消えて行ってる現状では出かけてったって無力感ややるせなさ・虚しさばかりが募る。考古学マニアぢゃあるまいし、残滓、抜け殻、遺物・・・・・・たまにはそんなんもオツかも知れないが、いっつもそんなモノばっか拾い集めるのはどうにも趣味ぢゃない。
 つくづくあと20年早く生まれたかったなぁ〜、と思う時がある。そうすれば高度成長の波に呑み込まれる前の色んな風景をもっと見ることができたのに、と・・・・・・でも、もしそうだったらそうで、こんな性格だからさらにもっと昔に生まれてたかったと思うんだろうな(笑)。タイムマシンが真剣に欲しいで。

 あまり他では触れられることのないジミ〜でショボい温泉や鉱泉をしばしばおれが取り上げるのは、そんなおれのマイナー・退嬰・懐古志向の顕れに他ならない。もちろん嫌いではないけれど、別段おれは秘湯マニアってワケではないし、珍湯・奇湯狙い、ってワケでもない。結果的にそんなトコばっか行っちゃってるだけのことだ。少々乱暴な言辞を許してもらうなら、古くて零細なら何だっていいのだ。

 全てのモノが移ろい行くのは仕方のないことだけど、それを少しでも留めておきたいって思いがやはりあるのだ。もちろん、留めたものさえもがやはり移ろいゆくモノであることは百も承知の上で、おれは砂上の楼閣をこしらえ続けてる。願わくば風景が失われて行くペースがそれで少しでも遅くならんかな、とか突拍子もないことを夢想しながら・・・・・・。

 ただ、最近は温泉にも鉄道と同質の虚しさを感じることが増えた。温泉は地元の人に愛されてこそナンボではないかと思うのだけど、ジミ〜でショボい温泉になんか地元の人は行きたがらなくなってるのだ。ちょっと国道沿いに出れば多種多様な浴槽に食事、カラオケ、はてはマッサージまで完備した日帰りスパがいくらでも見つかるご時世、何一つアメニティのない温泉なんて地元民からすれば、時代から取り残された恥ずべき存在に映ってるのかも知れない。そんなこんなでたまに他人と出くわしても、これがもう何かヘンなマニアみたいなヤツであることが多い。温泉場がいくら平々凡々とした味わい深いものだったとしても、浸かってるのが胡乱な連中ではどうにもなぁ・・・・・・あ、おれもか、トホホ。

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 でもまぁ大方の人はここまで書いたことなんて少しもお構いなしに拙サイトにお越しになられてるのだろう・・・・・・端的に言ってまぁ、ハダカ見に来てる、と(笑)。ミもフタもねぇな。
 このことに関してはそもそもそんな流れを作ったおれも悪い。立ち上げた当初、いささか下世話な客寄せのアイキャッチの意味も持たせたのは事実だ。けれど、世の中に氾濫するそれこそ猥褻そのものの煽情的なものとは較べものにならない単なる「NAKED」である。それでもおや!?と立ち止まって、そこをキッカケに他の色んなコンテンツにも興味を持つ人が出てきたらそれはそれで面白いか、ってな目論見だったのである。
 期待はものの見事に裏切られた。長ったらしく、オマケにクセがあってたどたどしい文章に目を向ける人なんざ皆目おらず、そっちばっかしになっちゃった。タクティクスを間違えた。まっこと不本意な話で、まったくもって面白くない。ホンマもう一体全体何がそんなに面白いんか、作者たるおれが知りたい気分だわ。

 否定的に書いたけれど、裸体へのこだわりは大いにある。ダダカンやらなんやらこれまで何度も書いたからここで繰り返すことはしないが、まことにヒッピー的な「LOVE&PEACE」の、世を覆うヒステリックで無反省な通俗的モラルやリゴリズムへの嫌悪感の、そして今や猥褻の文脈にのみ狭義に限定され、なし崩しに奪われてしまった本来持っていたはずのプリミティヴで豊穣な力の復権のための象徴として。

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 さて、昨年来ほとんど温泉関係のコンテンツをアップしていない。仕事その他が忙しくてどこにもロクに出かけなかったのもあるが、ネタ帳は随分貯まってるので文章の方はもっとそっち方面もことを書こうと思えば書けた。しかし努めておれはそれをせず、音楽だとかチャリだとかのネタに終始している。
 一言で言って気分が乗らなかったのだ。表層ばかりが流れて行く味気なさにちょっと耐えられなくなったのだ。

 ・・・・・・かといって別に温泉行くこと自体を止めたワケではないんです。どぉせまたそのうちモチベーションが上がって、ジャカジャカ行く時が来るだろう、と自分自身はノホホンと構えてたりするんです・・・・・・と落としたところで今日はお仕舞い。しばし待たれよ。チャオ!


ま、そのうち再開しますから(2006年夏、山形)

2009.03.07

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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