「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
頑張れ!!・・・・・・湯ノ倉温泉


深い渓谷に夏の日差しが照り返す(2005年)

 栗駒山麓を震源とする大地震が東北一帯を襲った。山奥が震源だったので、M7.2という規模の大きさからすると亡くなられた方には気の毒だが、人的被害が少なかったのがまだ不幸中の幸いだった。とはいえ、駒ノ湯温泉は土石流に何十mも押し流されてたくさんの人がまだ行方不明状態だ。大規模な地滑り起こしてパックリ割れた・・・・・・そう、まさに「割れた」って表現も決して大袈裟ではない山々の画像を見てると、ホントどえらいことになってもたなぁ〜、と思う。

 先月の中国・四川大地震でもそうだったが、こうして谷を埋め尽くした土砂によって、今度は天然のダムがあちこちで形成されている。ダムができればダム湖もできる。そして刻々と上がり続ける水カサに今、一軒の温泉旅館がユックリと呑み込まれようとしている。湯ノ倉温泉である。一瞬でやって来る地震がもたらす緩慢でいやらしい災禍と言えるだろう。

 駒ノ湯は未訪問だったが、湯ノ倉は3年前に訪ねている。この窮状に対しておれが何がしかの救援活動できるのか?っちゅうと、これが残念ながら何もない。だから今回は、そこでおれが体験したことを書き記しるすことでせめてもの応援の代わりとしたい。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・川沿いの林道を温湯温泉から数km、小さな橋のたもとでクルマを捨てるとあとは徒歩だ。陽射しが眩しい。橋から下をのぞくと釣り人の姿が見える。渓流釣りのメッカなのだろう、道理で山の中なのに沢山自動車が停まってたワケだ。朝から停めてあるらしいクルマはうっすらと土埃をかぶっていた。草いきれの細い山道を越えて行くことおよそ30分、再び川沿いに出たなと思うとすぐに赤い鉛丹葺きの屋根が彼方に見えてくる。もちろん一軒宿で、名前は「湯栄館」という。
 入口の近くにはおとなしい犬がいて、おれたちの姿を認めると人懐っこく尻尾を振って近寄って来た。川っぺりにへばりつくように建つ建物の2階には浴衣がズラッと干されている。時代離れしたいい風景だ。

 ・・・・・・このアプローチからだけでも分かるだろう。ここは温泉旅館としては日本有数の秘湯として有名なのである。

 内湯もあるが、やはり有名なのは旅館からさらに少し奥に行ったところにある混浴の大きな露天風呂だろう。脱衣小屋がけっこう離れた所に建つので、浴客はハダカになってスットコスットコ歩いて行かなくてはならないのが大らかでもありユーモラスでもある。手前には小さな露天風呂の残骸もあった。
 斜面から一条の樋で打たせ湯となって源泉が注ぎ込まれるのが目に留まる以外、石積みをコンクリートで固めただけの湯船の周囲には何もない。すぐ目の前を谷川が流れる。大雨が降ったらすぐに湯船も沈んでしまうのではないだろうか。
 湯はこれと言って特徴のない清澄なものだ。若干緑がかって見えるのは湯船の苔か岩の色、あるいは映り込む木々のせいだろう。源泉自体はかなり熱いけれど、湯船が広いのでぬるまって適温だ。子どもたちは湯と川を行き来している。

 緑の濃いこの季節がこんなにいい雰囲気なら、紅葉の頃はさぞかし美しい景色だろうなぁ〜・・・・・・ってなマッタリした感慨に耽っているうちに、夏の東北の露天風呂に欠かせぬうっとぉしいヤツ・・・・・・アブがたかり始めた。だんだんと数が増えてくる。いや、尋常な数ではない。こいつらのカラダは実によく出来ていて、図体の大きさと飛行速度の割に羽音がほとんどしない。気づくとわずかに水面に出た首筋とかにまで止まってたりする。湯を撒こうがタオルを振り回そうが逃げるのは一瞬だけで、すぐにふてぶてしく近寄って来る。そうしていつの間にかおれたちの周囲には数えきれないほどのアブがワラワラ飛び交っていた。

 ・・・・・・押し寄せるアブの大群に耐えながらそれでも20分くらいは入ってたろうか。次第にのぼせてくる。しかし、今、何も考えずに上がったら、間違いなく全身を噛まれまくるだろう。ここは誰か一人が引きつけ役になって、あとはビチョビチョのままで一気に脱衣小屋まで走るしかない・・・・・・って、何でそぉゆう役はいつでもおれやねん!?それでなくとも血液型のせいなのか、あるいは連日の酒で芳香でもするのか、やたら蚊やアブに慕われるっちゅうのに。
 萩原朔太郎の「父は永遠に悲愴である」ってアフォリズムをおれは想い出した。まぁ、露天風呂の脇にハダカでつっ立ってて悲愴もヘチマもないだろうけど(笑)。

 内湯には後からつけ足したらしいちょっと無粋な男女の仕切りがあったりして、素朴極まりない露天風呂の方に入ってしまうと、今さら入る気もせずパスし、建物の中を見て回る。夏休みシーズンとはいえ平日の昼間なので客はおれたちだけ、静まり返っている。
 ともあれ、古いものを大事に大事に手直ししながら使っているのだろう、歳月を重ねた旅館だけが持つある種の凄味が建物のあちこちから感じられた。

 アブには辟易させられたが、秘湯の名に恥じない素晴らしい佇まいの温泉だった。大当たりはやはり嬉しい。クルマに戻る帰りの山道は足取りも軽かった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 秘湯は秘湯であるほど自然災害に弱い。大体において立地するのは急峻な谷底であることが多いから、大水や崖崩れ、北であれば雪害の危機に絶えずさらされている。また、火山が近かったり地盤が弱かったりもする。さらには交通の便が悪いので、いざ何か起きたときには救援の手そのものが入りにくい。ホントもう悪条件のカタマリなのである。

 だからって、温泉は日本の文化なんだからもっと守れだのなんだのと、アタマの悪いことをここで声高に叫ぶ気はない。いや、叫んでも仕方ないのは言うまでもないことだろう。温泉は地球活動の産物なのだから。火山も地震もないようなところに温泉は湧いてくれない。大地の恵みと災厄は表裏一体なのだ。

 ・・・・・・それでも、だ。あの素晴らしい佇まいの旅館が刻々と水没して行く様子はまことに見るに忍びない。心が痛む。どうか頑張って持ちこたえて欲しい、どうか排水が間に合って欲しい、今はそれしか言えないし、祈っている。



※附記
 これ書きあげた直後に、湯ノ倉温泉の建物はほぼ完全に水没した。本当に残念である。


渓流沿いの露天風呂はアブだらけ(笑)。いずれもギャラリーのアウトテイク。

2008.06.21

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved