「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
山峡の湯・・・・・・武田尾温泉


マルキ旅館をバックに、シブい温泉街の佇まい。1992年

 福知山線は脱線事故で一躍全国にその名を知られるようになってしまったが、ひと昔前までは大阪駅が起点なのに重連のディーゼル機関車に引かれた長大な客車がノロノロ走る単線・非電化路線で、そんなちょっとの遅れに焦って脱線するほどの過密なダイヤなんかとも無縁のまことにのどかなローカル線だった。
 線路は塚口で山陽本線から別れ、概ね北摂の平野部の縁に沿うようにしばらく北上し、宝塚から急に深い山の中に分け入って行く。武庫川沿いにトンネルの続く区間は、秋ともなると見事な紅葉を楽しむことができる景勝地でもあり、そこを過ぎると列車は近畿のチベットと言われた草深い盆地の町である三田に着く・・・・・・今はすっかり一面にカラフルな一戸建ての並ぶ新興住宅地になってしまったけれど。

 この風景の変わって行く感じはかつての山陰本線にもソックリだ。京都を出た列車はしもた屋の密集する京都市中を北上するが、嵯峨を出た途端、周囲の景色が一変する。急峻な山の中を川沿いにうねうねと線路が続き、あたりは保津峡という景勝地となっているのが、山を抜けると何てことない草深い盆地の街・亀岡に到着するのだ。
 平野部分がだだっ広い関東の方等にはちょっとイメージしにくいかも知れないが、山が都市部近くにまで迫る京都や大阪、神戸ではこんな景色の変化が割と普通なのである。
 いずれの路線も今は電化とスピードアップのために山間部には新線が作られて、往年の雰囲気は失われてしまった。ただ、どちらも旧線部分が遊歩道やトロッコ鉄道として整備されて残っているのがせめてもの救いだろう。

 さて、そんな福知山線が深い山あいに入って行ったところにあるのが今回取り上げる武田尾温泉だ。

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 おれが訪問したころすでに旧線は廃止されていた。武田尾駅たって土産物屋兼雑貨屋みたいなのがあるだけで、周辺に民家らしい民家はほとんどない。この温泉へのアプローチのためだけに設けられたようなモンである。この点においても、周辺に全く民家なんてないのに保津峡駅のある山陰本線と似てる。ちなみに新駅は山の中腹、トンネルとトンネルの間に架かる鉄橋の上にある変わった構造だ。

 温泉街は武庫川を挟んで元の武田尾駅の対岸にあり、古びた言い方だが「大阪の奥座敷」としてそれなりに人気があるにもかかわらず、意外に時代から取り残されたような雰囲気を強く残す。規模もそんなに大きいものではない。数軒の、どちらかといえば地味な作りの小さな旅館が細い支流に沿った狭いダラダラ坂に立ち並び、赤い吊り橋、道をまたぐ回廊、川沿いに何本も渡されたゴムホース、くすんだモルタルやブロックの壁・・・・・・つまり何かすごい特異なものがそこにあったワケではない。名物料理にしたって、そりゃ〜猪や神戸牛が有名とはいえ、この辺では極めてありきたりなぼたん鍋とかすき焼きだ。

 もう、15年以上も経ち、自分がどの旅館の風呂に入らせてもらったのかも、どんな館内・浴室・泉質だったのかもスッカリ忘れてしまった。たぶん紅葉館だったと思うのだが、今回新たに書き起こそうと思ってヤフー地図かなんかで場所を調べてみたらこの旅館、上に書いたダラダラ坂ではなく、唯一川のこちら側、線路跡沿いにあるやおまへんか(笑)。おっかしいなぁ〜、道の突き当たりの右側にあったような気がするんだけどなぁ〜・・・・・・ホント、人の記憶なんていい加減なもんだわ。
 まぁ、それほど全てに亘って特徴がなかった、ってことなのかも知れない。わずかに残る数葉の写真から判断するに、至極平凡な浴室に無色透明のクセのない湯だったように思う。強いて言うならちょっと硫黄臭があったようななかったような・・・・・・う〜ん自信ねぇなぁ〜。

 唯一覚えていることがある。当時は休みの都合がついたので行動するのが平日中心だったこと、今ほど高齢化社会にもなっておらずそんな普段の日に出歩く人が少なかったこと、何より温泉巡りなんてほんの一握りのモノ好きのやることだったからか、他にお客さんの姿はなく、館内が森閑と静まり返ってた、ってことだ。

 その後、勤め先の内輪のハイキングだとかバーベキューだとかで1〜2度再訪したように思うが、武田尾について書くネタはこれで大体尽きてしまった。どだいあんまし覚えてないのだから仕方ない。

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 覚えていないほど平々凡々とした温泉がそんなに良かったのか?わざわざ一章を割いて文章にまとめるだけの価値があったのか?と問われれば答えは然り、である。

 山がちのこの国なのだから「山峡の湯」なんて言い出せば腐るほどあるのだけど、おれはこの言葉を聞くとどうしても最初にこの武田尾温泉を想い出してしまうのだ。
 鳥も通わぬようなものすごい山奥の一軒宿の秘湯はあくまで「秘湯」なのであって、さほど都市部から遠くもない山中に、足がかりが良いってこと以外、建物も料理も泉質もあまり個性なく旅館がチョロチョロと固まってるようなのが、おれにとっては最もピッタリ当てはまる気がするからだ。
 近くの有馬も山峡にあるけれど、これは何より「名湯」だ。湯だって沸点近い高温な上に真っ赤な色と個性的だし、温泉街も巨大だ。平凡極まりない「山峡」ってコトバには収まりきらない。

 以前、これまた没個性な「村の湯」ということについて書いたように思うけど、こんな武田尾みたいな温泉もまた、日本の温泉の多くを占めてきたものである。積極的にそこを目的地に出かけよう!ではなく、ちょっと山あいで静かにくつろげる週末宴会の場所探してたら、そこそこ値段も手ごろで落ち着けそうなトコが見つかりました〜、お、結構旅館もあるやん!・・・・・・みたいな、温泉に興味のない人にとってはそんな程度の認識でしかないような温泉地。歓楽地になるにはややショボく、これ以上発展するには源泉貧弱、かといって秘湯っちゅうにはあまりに交通至便でマイナーでもなく、駅に看板なんか出しちゃってるわホームページなんかもあったりするわで、それに鄙びを謳おうにも度重なる改築やっちゃってて今さらでもなく、だからポッと出の単に珍奇なモノ好きなだけの温泉マニアからはポピュラーすぎて大してありがたがられず、特に観光地もなければ名産品もないような温泉地。それでもまぁ、あまり流行り廃りもなく淡々と続いてる温泉地。

 亀岡のはずれの湯の花とか、関東で言うなら丹沢界隈、秦野の鶴巻や厚木の飯山〜七沢の鉱泉群、あるいはやや規模が大きく湯が個性的とはいえ房総の養老なんかも含まれるかも知れない。どれもまぁ、ディープでコアな温泉好きからすれば、あまり拘りをもって訪れる所とは言い難い。

 しかし、そこにだってホントはいとおしむべき、ものすごく移ろいやすくも儚い風景があるんぢゃないの?・・・・・・そんな気がする。


内部の写真。たぶん紅葉館だと思うんだけど・・・・・・。

2008.04.24

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