「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ルーツへ(T)・・・・・・二岐温泉「湯小屋旅館」


2度目の訪問にて。温泉の由来は褪色してほとんど消えてしまっています。

 私的なおさらいから始めよう。

 おれがそもそも温泉に興味を持ったキッカケの一つに、もう30年以上昔、小学校の5年か6年の頃に読んだつげ義春の短編集があることはこれまで何度も書いた。まぁ、よしんば読まなくても「ここに居たくない病」で、人ごみが嫌いで、妙に懐古的で侘び寂び趣味のあるおれのことだから、温泉にはどぉせそのうち何らかの形で傾倒して行ってたとは思うのだけど、彼の作品に描き出される世界に触れたことで一足飛びに直行しちゃった気がする。
 だから、傑作「二岐渓谷」の舞台となった福島の二岐温泉は長年自分の中でいわば聖地のような存在で、もしそのモデルとなった宿が現存するならばいつかどうしても訪れたい場所の一つだったのだ・・・・・・逆に言えば、当時の姿をとどめていないのならば絶対行きたくない場所でもあったワケだけど(笑)。ワガママやな〜。

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 ネットはじめ各種メディアの進歩とはありがたいもので、その宿が「湯小屋旅館」という名前であることも、そして今でも当時の姿そのままに残っているということもおれは知った。
 初めて出かけてったのは2001年の夏だ。割と最近と言っていいだろう。「オマエは予備知識の追認に行ったのか?」と批判されれば「はい、ごめんなさい」と答えるしかない。もちょっと正しく言うならば、自分の中に遥か以前から出来上がっていた二岐温泉のイメージと実際にズレがないことに確信を持てるまではどうにも訪ねる気になれなかった、っちゅう感じやね。
 ちなみにこの時は一人で行っている。何となくここを初めて訪ねるのは一人ぢゃなくちゃならない気がしてたのだ。

 今は岩瀬湯本温泉の方から上がって行く道も整備されて広くなってるのだけど、おれは林道ランも兼ねて甲子温泉の手前から羽鳥湖スキー場の横を通るダートを越えて行った。取り付きはそれほど悪路でもないけれど、最後温泉街(と呼ぶのもおこがましいくらいの規模だけど)に下って行く1kmくらいはかなり路肩が崩壊していてヒヤッとさせられる。眼下にはマンガの主人公のモノローグ通りの光景が樹林の間から見える。

 湯小屋旅館の入口は丸太を組んだ鳥居のような、門のような良く分からないものがあって、建物はそこから少し下がったところにある。原作では藁葺屋根だった建物も2階建てのプレハブに代わってるが、盆だというのに何だか活気がない。ほとんどの部屋も薄いカーテンが引かれたままだ。温泉宿に泊まることが湯治目的の長期逗留から、観光目的の短期宿泊にシフトした現在では、このように簡素な宿は流行りにくいのだろう。多少は熱狂的つげファンが来ることはあるだろうけど(笑)。言っちゃぁ悪いが、原作が発表されて30年以上経っても、なるほど「このあたりで一番貧しそうな宿」ではあった。

 有名なカットのままに、戸板にペンキで温泉の由来が書かれた入り口部分だけは元の建物が残されている・・・・・・ま、ナメコの株は見当たらなかったし、腰の曲がったバーサンとマゴが出てきたわけではなかったけど、おれはそれだけでもう満足だった。天井の低い内部は2代目の主人の趣味で壁に描かれた大胆な絵が目立つ(ちなみに、これらの絵をモチーフに後年「枯野の宿」という作品が描かれたりもしている)。
 「『イヨマンテの夜』とかゆうたかて、そんなん北海道の話やんけ!」とか絵を見て思いながら、風呂の方に案内される。どこまで原形をとどめているのかはよく分からないが、こちらもかなり鄙びた造りだ。手前が女性専用の内湯、奥が混浴の内湯となっており、さらに外に出たところに2段になって件の露天風呂がある。目の前は谷川だ。作品が実際の風景におおむね忠実に描かれていることをおれは了解した。
 ここで主人公は傷を負ったサルにバナナを盗まれ、そしてその後の季節はずれの台風の襲来でサルは濁流の中に取り残され、風呂は土砂に埋まってしまうのだけど・・・・・・実際はサルが入ってたらすぐに分かるやろ、とツッコミ入れたくなるくらい実にそれはささやかな大きさだった。

 ・・・・・・淡々と書いたのには訳がある。ようやく念願の聖地に来れたというのに、実はあまり感動やら感激はなかったのだ。むしろその時抱いた感情は、二岐温泉に対して抱いていたイメージが裏切られずにすんで良かったという安堵だった。
 実のところ、体験の有無の違いがあるだけで、イメージと記憶に本質的な差はない。どちらもいわば過去からの光、すなわち過去に形成され、現在の自分の思考や行動を規定するものだ。言うまでもなく形成された時期が古ければ古いほど強烈に・・・・・・つまり、いささか大袈裟に言わしてもらうならば、おれは作品とあまり変わらぬ姿で残る湯小屋旅館を見ることで、今の自分が居る立ち位置の瓦解を免れたような気分になったのだ。

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 4年後だったか、秋の終わりに今度は一家で訪ねた。温泉街の通りは拡張が進み、入口の粗末な門はなくなり、高齢で主人が引退されたとかで、宿は有志による共同経営に変わり、名前もアタマに「新」がついたものの、それでも湯小屋旅館は残っていた。相変わらずあまり流行ってはいないようだ。先代の絵はそのまま館内に残っていた。
 二岐に行くならもっと他の旅館もあるでしょう、と言って下さる方もいる。たしかに老舗のトコなど、その古風で重厚な造りは湯小屋旅館の比ではない。風呂だって、それはそれで素晴らしい佇まいのものであることもおれは知っている。

 しかし、おれにとっての二岐温泉は、「新」だか何だか知らないけれど、どうしたってこうしたって湯小屋旅館でなくちゃならないのだ・・・・・・誰に対してでもなく、自分のために。


渓谷に面した、ある意味日本有数の有名な露天風呂。

2008.03.27

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