「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
神秘珍々ニコニコ園の記憶

 ノイシュバンシュタインはじめ、わずか40年の生涯のうちに贅の限りを尽くした城を4つもおっ建てて、天才だけどハチャメチャで人格の破綻したワーグナーのパトロンとなり、政治を厭い、人を厭い、最後は治世能力なしと家臣に見限られ、キチガイ扱いされて放逐された挙句、湖で溺れ死んだ狂王・ルードヴィヒU世については、ここでこれ以上触れても仕方ないと思われる程にあまりに有名だ。

 脳内世界を現世に再現することに逸脱した熱意を注いだ人は古来ひじょうに多い。まぁ、ルードヴィヒU世クラスの豪華絢爛な事例については澁澤龍彦や種村季弘あたりの本を読めば何人も出てくる・・・・・・って、今ちょっと調べようと物置の本棚を漁ろうとしたのだが、何せ文庫本が棚1枚につき奥に3列、縦にも3段で積み重なっているために、取り出すことを断念してしまった(笑)。ちゃんとした本棚買わんとあきませんわ。

 しかし、彼等は何せ死ぬほどお金持ちだけに、幼いころから英才教育をみっちり受けていた。そのせいか悲しいかなどうにも教養が備わりすぎで、創り出したものの出来栄えはイマジネーションが当たり前過ぎるっちゅうか、紋切り型っちゅうか、ゲップが出るほど金ピカピンではあるんだけど、凡庸のそしりは免れない気がする。ディレッタントは本質的にエピゴーネンにしかなれないのだ。
 面白いのはやはり素人さん、それもあまり高等教育を体系だって受けなかったような人のが圧倒的に面白い。知識の範囲が狭いゆえの、良く言えば発想の自由な飛躍・・・・・・有り体に言えば支離滅裂な脈絡のなさ、あるいは相反する偏執狂的な深い拘りが感じられるのである。

 有名なところで思いつくのはまず、フランスにある「郵便夫シュヴァルの理想宮」が挙げられるだろう。19世紀末から20世紀初頭にかけてこの人、実に30年余に亘ってアントニオ・ガウディもたまげるような奇怪な宮殿をネチネチ・シンネリと作り上げたのだ。まず間違いなくパラノイアを発症していたと言われ、アール・ブリュ(狂人芸術)の例として紹介されることもある。まぁ、ウィンチェスター銃の創業者のヨメが生涯建て増し続けた部屋屋敷とか、戦前の深川にあった二笑亭なんかも似たような例だろう・・・・・・なんだ〜、どいつもこいつもパラノイアばっかやな(笑)。
 日本版「シュヴァルの理想宮」だってある。愛知の「貝がら公園」といって、あるお爺さんが夢のお告げによって息子と二人で作り始めたものだ。作成開始が1955年、っちゅうからそんな昔の話ではない。その名の通り、とにかくすべてが貝殻で飾り立てられた公園である。おれはまだ未訪問だが、同僚に昔行ったことのあるのがいて、その話によると「眩暈がしそうになった」とのことである。

 ・・・・・・・とまぁ、いくつか紹介したが、このような個人の発想をいささかベタに具現化したものは、スケールの大小こそあれ色んな意味での「平衡」や「遠近感」を根本的に欠いており、余人には(往々にして最も近親の家族にさえも)その意図も情熱もいささか理解しがたいものがあるのが常だ。ユートピアはやはり、孤独なのだ。

 いつものことだけど前置きが長くなってしまった。そろそろ本題に移ろう。

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 2000年の春まだ浅い頃、おれと2人の同僚は東武東上線の高坂駅前にいた。当時、とある新規プロジェクトのようなものにおれたちは関わっていて埼玉の方で缶詰になっていたのだが、ようやくそれが一段落して家に帰れることになった。最後の日、それまでほとんど休日どころか睡眠時間もままならない状況だったので、一日休みを取って関東平野随一の奇湯・百穴温泉と以前から訪問の機会を伺ってた珍スポット、などというコースでの観光に出かけることにしたのである。ま〜、おれもまだ若かった。同僚の一人はまだ24歳のかわいい女性や、っちゅうねん(笑)。

 最初に説明が要るだろう。正式名称「老若男女いこいの場神秘珍々ニコニコ園」、通称「ニコ園」というこの施設(?)は、本業は不動産屋を営むおじいさんがたった一人で創り出した一種のアミューズメントパークで、自作の木彫りの大量陳列を核としている・・・・・・いや、これだけでは少しも面白くないけれど、その異様さ・テンションの高さはあまた存在する国内の珍スポットの中でも屈指の存在であり、実際に見なくては、そしてたとえ実際に見たとしても理解しがたいものである・・・・・・ってな情報をこの訪問の数年前に仕入れていたのだ。
 学生時代からおれは「探偵ナイトスクープ」を毎週楽しみにしていたような男だから、当然、それ知って行きたくないワケがない。

 駅から東に2〜3km、いかにも関東平野らしいのっぺりした畑の中、適当にクルマを走らせるとすぐに目的地に辿り着いた。何でそんなに一目でわかったのか?・・・・・・当然、見るからに異様だったからだ。
 民家の前の通りと川の堤防を挟んだ間の駐車場らしき空き地に、巨大な切り株のようなモノがゴロゴロしてる。近づいて見ると、それらはペンキを乱暴に塗りたくられた奇怪なトーテムポールのような、シュールなオブジェのような・・・・・・一切の既存のカテゴライズを拒むかのような何とも言えない奇天烈な「作品」の数々だった。そしてその隙間を埋めるように狂歌とも格言とも都都逸ともお経ともアフォリズムとも小唄とも箴言とも、はたまた落書きともダダイストの詩とも取れるような、百回読んでも意味不明なカタカナが無闇に多い言葉の数々(基本的には下ネタ・チンコマンコ系が多かった)が、同じくペンキで書かれた看板。とにかくやたらあちこちにカタカナで「ウフフ」とか「オホホ」とかの文字が躍っていて、それ見るだけで発狂しそうになる。
 つまりすでに施設は始まっていたのである。ここは「外園」なんだそうな。何だったっけかな〜、大きく「スタコラ」なんとかって書いてあったのだけは覚えている。

 民家の塀にはいかにも手書きの「老若男女いこいの場神秘珍々ニコニコ園」の巨大看板。ついでに「ペット霊園」の看板もあったような気がする(・・・・・・こんな風に書くのも、この時おれはカメラを持っておらず、なんとこの世紀の珍スペースの写真を取り損ねたのだ!)。早速入ろうとするが、女の子の方は引きに引きまくって怯えて、頑として車内から出ようとしない。あのイカれた百穴温泉には入れた、っちゅうのに(笑)。

 ------ごめんくださぁ〜い!!
 ------・・・・・・
 ------すんませぇ〜ん!!
 ------・・・・・・

 二人して大声を張り上げても返事がない。眼を見合せ、何となくそのまま入ることにした。入るたって民家と敷地の間の狭い隙間のようなところだ。すぐ右手に扉があって「ペット霊道」とか書かれてある。良く見ると道の字の「自」の横線が一本多い(笑)。開けてみると奥にボイラーがあった。焼場なんだろうが、果たしてこんな異様な場所にペットの火葬を依頼する人っているんだろうか。そもそも何でペット霊園を兼業せんとアカンのや?
 それにしても、だ。もぉ眩暈どころか脳震盪起こしそうなほどにいきなり凄まじい。何だかよく分からない大量の木彫り、見るからにパチモン丸出しの絵画や書・掛け軸の類、浮世絵や剥製もあったかな?「ルノワール、コレ本物」ってキャプションが付いてたりもした。んでもって隙間を埋めるように例の意味不明の文言の数々。その多くはなぜか、安物の紙のバインダー(ピンクや黄色や緑や水色のアレ)を裏返したものに太マジックで殴り書きされている。直接柱や壁に彫りつけてあったりもする。んでもってアハハ、ウフフ、オホホ、アハハ、ウフフ、オホホ、アハハ、ウフフ、オホホ、アハハ、ウフフ、オホホ・・・・・・憩えないよ、これぢゃ(笑)。

 さらに歩を進める。すでに二人とも引き攣り気味で無言だ。狭い通路の両側にヨドコウのプレハブ物置が隙間なくズラ〜ッと何十も並んでいる。幅一間・奥行き半間ほどの大きさで両開きの引き戸が付いた、庭の隅に置かれるようなごく普通のヤツだ。ガラガラ〜と開ける。内部には稚拙な木彫りが何体か。これがどうやら基本的な展示スタイルらしい。
 おおむねテーマはこのような施設にありがちな「エロ系」・「宗教系」・「戦争系」だが、あまり時事ネタはなかったと思う。まったくそうは見えないナントカ観音だとか、東郷元帥だとか、そんなんを来園者は丹念に物置を一つづつ開けては閉め、開けては閉めしながら観て行くのである。あるのはもちろん木彫りだけではない。件の紙バインダを裏返したもの、あるいは壁に直接殴り書きされた意味不明のキャプションのような小唄のような猥歌のような・・・・・・。

 それにしても木彫りの数は半端ではない。大小合わせると百・二百どころか千単位であったかも知れない。エネルギッシュ・ボルテージ・テンション・パワー・・・・・・全てのハイな言葉が当てはまる。技法的には木をあくまで素材として、そこからフォルムを削り出して行く通常の彫刻に類するものもあったが、大半は原木の形や木目を残したまま最低限の加工を施して、その元々のフォルムから連想したもの、見立てたものに仕立てるといった・・・・・・云わば「即興木彫り」といったものだった。だから案外一つ一つの制作時間はそれほどはかかっていないと思われる。

 途中、離れのようになった展示室(たしかここは木彫りではなく、これまたパチモン感たっぷりの仏像や陶器類が、相変わらず怪しげなキャプションと共に置かれてあった記憶がある)を挟んでヨドコウの物置の列はさらに奥に奥に伸び、恐ろしいことに裏の道路を横切って90度方向を左に変え、畑の中を雨ざらしで延々と伸びている。通路の突き当り、最後の物置には色褪せたノーカットのエロ写真がたくさん貼られてあった。

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 ・・・・・・衝撃的だった。

 思いつくままの奔放な発想を、ほとんど練り込みのないままストレートに形にし、またそれを整理せずどんどん積み上げ、混沌とした状態のまま氾濫させて行く・・・・・・作者本人の意図とは反し、申し訳ないけど一つ一つの作品は技術的にはあまりに素朴かつ稚拙----つまりヘタ----で、到底アートとしては認めがたいものではあるが、それらの総体であるニコ園自体は十分すでに一つの巨大なアート作品なのではないか、とおれは思った。その端緒にあったはずの「エロ」や「宗教」等々の個々の木彫りの意味性はもはや完全に喪失されている、っちゅうか、どうでもいい。それらが圧倒的なボリュームで無茶苦茶に集積され、さらに意味不明の文言だらけの色紙で彩られ、不思議に律義に規格品のヨドコウ物置に収められることで、「ニコ園」の存在そのものが唯一無二のインパクト溢れる作品となっている、と。
 ある意味これって、秋田昌美がメルツバウ(MERZBOW)で行っているハーシュノイズの手法に極めて近いんぢゃないか、とさえ思った。

 見学に要した時間は1時間半ほどだったと思うが、正直ものすごく疲れた。不用心なことに最後まで家の人は誰も出てこず、仕方なくおれたちは受付(一面にいろんな言葉の書かれたこれもプレハブ)の小箱の下に各々千円札を挟んで立ち去ったのだった。ただ、もう一回改めて訪問する気にはどうしてもなれなかったことを告白しておこう。だからこの時の訪問が最初で最後である。

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 この施設、間違いなく日本どころか世界屈指のディープな脱力観光スポットであると同時に、類例のないアート作品だったと断言できると思うが、残念なことに今はもうないらしい。作者兼経営者兼管理人の、本業は不動産屋を営んでいたおじいさんがボケるわ亡くなるわで、園は撤去されてしまったのだという。ご家族の方々には、この聖俗ないまぜになった強力で猥雑な情念と熱意のオーラが炸裂するスペースの価値が解しえなかったのだろう。

 おれも今、同じような作業に熱中している。言うまでもなくこのサイトだ。色んな意味での「平衡」や「遠近感」を根本的に欠き、ニコ園の物置の列が道路を越えて伸びて行ったように、ひたすら拡大を続けている・・・・・・さらに蛇足を承知で敢えて付け加えるならば、同じように世間からはキワモノとしてしか見られず、そしてまた、同じように、孤独だ。



※附記1
 画像は唯一のファンサイトである「神秘珍々ニコニコ園非公式ホームページ(http://www.telnet.or.jp/~ucb/keiji/nikoen/)」や「ポンチハンター(http://www5f.biglobe.ne.jp/~punch-ht/index.html)」でのレポート等々を参照されたい。
※附記2
 今から30年くらい前、北海道にニコ園同様、稚拙な木彫ばかりを森の中に並べた個人のやってる摩訶不思議な公園があることを本で読んだ記憶があるのだが、この情報がどれだけインターネットをほじくり返しても出てこない。画像ではその当時すでに廃墟になってたようなのでずいぶん昔の話だろうが、もしご存知の方がおられたらご教授いただけるとありがたい。
2008.03.15

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