「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
日本海、夏、温泉・・・・・・湯田川温泉


昼下がり、陽射しが眩しい人気のない温泉街。

 日本海というと何となく暗い印象を持たれる方が多いように思う。曰く、表日本vs裏日本、山陽vs山陰、松本清長の作品、悲しみ本線日本海ってな具合で、浪の花の立つ崖っぷちで着物着た演歌歌手がマイク握り締めてるような図が頭の中に想起せられがちだ。
 なるほど冬の日本海は暗い。実に暗い。手垢の付いた表現で申し訳ないけど、低く垂れ込める雲に覆われた空、鉛色の海、その二つの間に白い波頭、遠く響く雪起こしの雷鳴、吹きすさぶ雪・・・・・・陰々滅々たる荒涼とした風景が広がる。

 でもあくまでそれは冬の話だ。夏の日本海は真っ青な海と空がどこまでも続く、陽光あふれる世界である。関西在住時代、夏、海に行くといえば9割がたは日本海だった。太平洋とはプランクトンでも違うのだろうか、海の透明度が素晴らしく、砂浜もきれい、それで芋の子洗いならウンザリだが、若狭高浜とか有名な海水浴場ならいざ知らず、入り組んだ磯の小さな浜など平日は貸切状態で遊べる。
 だから他の人はともかく、おれの中で日本海はとても明るいイメージがある。

 そして湯田川温泉は、まさにそんな雰囲気の温泉地だ

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 ・・・・・・と、出だしからいかにも海沿いの温泉のように記述したが、実際ここから海岸線まではまだ10kmほどもある。決して海沿いの温泉ではない。

 午前中、月山周辺に点在する即身仏をいくつか拝観して、米沢から始まった山形県を巡るおれたちの旅はついに日本海近くにまで到達した。仏、っちゅうたって要はやっぱしミイラである。坊さんは説明の中で一生懸命、お上人は見た目は死んでるけど実際は生き仏として永遠の命を得てるんだ、みたいなことを話してたが、どうしたっておれには死んでるように見えたし、いかんせんバッドテイストな印象は拭えなかったし、見て厳粛な気分になりこそすれ、決して楽しいものではなかった。正直なところ、宗教が持つ狂信の禍々しさのようなものさえもおれは看取せずにはおれなかった。
 これらの仏の多くは有名なわりに意外にも小さな山寺に祀られている。そこまでの道は曲がりくねって分かりにくく、見たら見たでいささかヘヴィなモノで、自ら時間割いて行ったにもかかわらず、終わって山から下ってきたとき、ややホッとしたのも事実だ。どこでもいいからまず温泉に入りたい、なんとなくそんな気分だった。

 湯田川温泉は鶴岡市のやや南方に立地する古い歴史のある温泉地で、月並みな言い方をするならばいわゆる「奥座敷」ってヤツだ。余談だが、その近くには新山温泉というのもあるのだけれど、残念ながら今はもう旅館は2軒とも廃業してしまっていた。片田舎でも農閑期の湯治場が生き残れない時代になってきているってことだろう。

 それはさておき、平日の炎天下、温泉街は照り返しの強い道を行く人もほとんどなく静まり返っている。通りの両側にはそれほど大きくない旅館が10軒ほど点在するが、櫛比してるわけでもなく、観光観光してるワケでもなく、民芸民芸してるワケでもなく、つまりは平凡な街道筋に温泉街ができたようないかにもフツーな佇まいが好ましい。中心部にはそれでも観光町おこしで建て直されたのだろう、「正面湯」という立派な共同浴場がある。

 おれたちが入らせてもらったのは「甚内旅館」というあまり外観に特徴のないところだった。昼下がりの館内は静まり返っている。玄関を上がって帳場の前を進んだすぐ右が浴室になっておりその奥に厨房等があるのは、狭い通り沿いの宿に良く見かける形式だ。案外この建物自体は古いものなのかも知れない。

 狭い脱衣場の向こう、漆喰の白さが印象的な浴室も、温泉地としては広くないしシンプルそのものだ。浴槽は半円が少し延びたようなU字型で細かいタイル張りのが男女の仕切り壁にくっついて1つあるだけ。6人も入れば一杯くらい。元々は混浴で小判型だったのを分割したようにも見える。男女を仕切る壁にあるオブジェのようなところから、源泉がチョロチョロと注ぎ込まれる。源泉である証拠に飲泉用のコップも置かれてある。飲んでみるとどうやら食塩泉だったが、この泉質特有のベタッと肌にまとわり付く感じがないのがいい。窓の外は狭い坪庭。すぐ隣にも建物が迫るので、竹垣で囲われ特に何かが見えるわけでもない。

 ・・・・・・こう書くと、そんなんちっとも面白くねぇぢゃねぇか!と言われてしまいそうだけど、まぁ、実際ギミックらしきものは一つもない。そういう意味ではなるほど少しも面白くはない。しかし、良い具合に没個性で落ち着いた佇まいがたしかにここにはあるし、おれはそんな佇まいが好きなのだから仕方ない演出なんて要らん、っちゅうねん。

 おれたちにしてはけっこうユックリと入っていたのだった。清め、などと言うとバチ当たっちゃうけど、即身仏っちゅうあまりに異様で濃密な風習を目の当たりにすることは、やはり少々インパクトがありすぎた。気分転換が必要だった。

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 風呂を出ておれたちは温泉街を歩いた。とにかく暑く、太陽は中天高く、短くも濃い影を通りに作っている。わずかな涼を求めるようにその下をおれたちは行く。

 現代の背の高い大型バスでは入れそうにもない古風なバスの車庫、モルタルの凝ったファサードを持つ商店、木造の何かの事務所、色褪せたカーテンで閉ざされた土産物屋、えらく民芸調な旅館、本当に古そうな旅館・・・・・・江戸も明治も大正も昭和初期も一緒くたになったようなレトロ感、と言えば良いのだろうか、昨今ハヤリの時代劇の書割のように過去のある年代だけを再現した町とはまったく異なる、重層的に時代が積み重なったような景色がなんとも心地よい。

 歩きながら、海沿いでもないこの温泉が海近くに思えてしまったワケをおれはボンヤリ考えた。ここ湯田川温泉に着いた当初から、何となくある種の既視感があった。長い山あいのワインディングを抜けて緊張が弛緩したころ、これまた弛緩した風景の中に立ち現れる、街道筋のどちらかといえば平凡な温泉・・・・・・あ!

 そう、自分の中でここは但馬の山々の向こう、鳥取に向けて山陰街道を下ってきたところにある岩井温泉と印象が似てたのだ。あそこも決して海に近いわけぢゃないのに、峠をいくつも越えて穏やかな風景が広がりはじめたところに現れるそのロケーションが、あともうちょっとで海に出るという期待や、穏やかな夏の日本海の景色とないまぜになって、何となく海際にあるような錯覚に陥る。

 ・・・・・・な〜んだぁ〜、おれの脳内も結局そんなモンか〜。

 負け惜しみのように、下らない連想もこんな蕩けるような夏の暑さには不思議に合うもんだ、などとひとりごちながら、おれは次の目的地に向かって車を走らせたのだった。


かなり塩辛いお湯でした。

2007.11.30

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