「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
島原はいつも暴風


台風が迫る中、人っ子一人いない島原のアーケード

 ちょうど20年前、初めて九州を訪れたとき、おれは三角港から出てる「国道フェリー」というのに乗って島原に渡った。フェリーとは名ばかりの小さな船だった。
 国道フェリーっちゅうのは、国道が海を挟んで途切れている場合の連絡船らしく、「57号フェリー」と呼ばれていたと思う。探せば他にも同様の例はあるかもしれない。海で途切れてる道に同じ番号を付与するのもいかがなもんかと思うが、そのうち橋でも架けるつもりなんだろう。

 いずれにせよまだ普賢岳に噴火の兆候なんて毛ほどもなく、以前の形を保っていた頃の話だ。

 それまでの天気もまぁ、散々なものであった。前日のえびの高原では、ライダーズハウスみたいな素泊まり500円ほどで板の間ゴロ寝のところに泊まったのだけれど、ものの見事に集中豪雨に遭遇。たしかTVで宮崎空港が閉鎖になったとか言ってた記憶があるから、ものすごい雨だったんだろう。屋根を叩く雨音でなかなか寝付けなかった記憶がある。
 翌日、八代に抜ける道行も雨模様。危ないし、神経使うし、ペースは上がらないし、雨の一般国道をバイクで行くことぐらい面白くない旅はない。雨はようやく半島付け根の宇土の辺りで止んでレインウェアを脱ぐことができたのだけれど、しかし今度は、フェリーに乗ったあたりから急に強風が吹き始めたのだった。台風でもないのに。
 どれくらいの強風だったかっちゅうと、当時おれは900ccのバイクに乗ってたのが、直線でいきなり対向車線近くにまでハンドルを取られたり、コーナーで寝かし込んだ車体が風にあおられて起き上がろうとするくらいの風である。これはもはや暴風と言ってもいい。
 雲仙に予約した宿に早く着きたいと気ははやるものの、スピード出すわけにもいかず、予想の倍以上の時間くらいかかって、小地獄の近くにある国民宿舎にようやく辿り着いたのだった。ゴウゴウと吹き荒れる風の中、だだっ広い部屋に一人、とても寂しかったことだけははっきりと覚えている。

 翌朝は快晴だった。拍子抜けするほどの真っ青な秋空の下、雲仙地獄の噴気までがのどかに見えた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 島原鉄道の南島原より先、半島の先端に向かう通称「南線」が廃線になると聞いたのは今年の春先のことだったと思う(※1)。

 このところ続けてるローカル線沿線めぐりの締めくくりとして、いつかここを訪れてやろうと実は密かに思ってたのだが、見事にアテが外れてしまった。急がなくちゃいけない。そうは思うものの、飛行機で往復し、クルマで沿線を回ったとしても最低2日かかる。しかし、行った以上はやはり落ち着いて回りたいので、2日ぢゃあまりにせわしない。3日は欲しい。だがそれでは休みが取りにくいし、ナンボわがままなおれでも家族に遠慮が出る。さぁどぉしよう?

 おれはユングを偉いと思う。祈りはきっと通じるものだ。そんなくだらない煩悶を抱えていたところに突然なんと、商用での九州への長期出張の話が舞い込んできたのである。何と行程の最終日は島原。もちろん断るワケがない。一も二もなくおれは引き受けたのだった。
 おもしろおかしくお話に仕立てるので、読者の皆さんはおれが遊んでばっかだと思われるかもしれないが、まことにその通りである・・・・・・ワケない(笑)。ちゃんと仕事してます、結果も出してます、念のため。

 ・・・・・・なーんて言い訳はともかく、島原に向かう日、何たる偶然の巡り会わせか、大型の台風がまさに九州に向けて不気味に接近していたのだった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 長崎の鉄道のジャンクションである諫早駅の片隅に居候するようにして、島原鉄道は始まる。延長78kmと、ローカル私鉄としてはひじょうに長いこの鉄道沿線のルポ、および島原での驚嘆すべき宿についてはそれぞれ一稿を割くに値するので、今回は詳しく触れないが、いずれにせよ、出発するときすでにポツポツと雨は降り始めていた。雲は低く、台風の前特有の深い溜め息のような重い風も時折吹いている。

 意外にたくさんの乗客を乗せて1両だけの黄色いディーゼルは定刻どおり出発した。近代的な車両で振動も少なく空調もよく効いてて快適だ。途中駅ではクラブ帰りとおぼしき高校生がけっこう乗り込んで来て、そのうち車内は朝の首都圏と大差ない混み具合となった。南進するほどに断続的だが雨脚は強くなってくる。多くの駅は、停留所とでも呼んだ方がいいほどの小駅。干拓地を抜けると、この季節なら本来は内海の穏やかな風景のはずが、荒天のせいで波頭が陰気に立つ有明海の風景が広がる。

 1時間少々で島原に到着。駅員が何人もいるひじょうに大きな駅で、建物も大きい。大半の乗客はここで降り、急に閑散とした車内に残ったのは数名。その中にやや困惑した表情のおれもいた。いや、「本社前」っちゅうくらいだから、おれはてっきり次の駅の方が大きいものとばかり思って、そこまでの切符を買っていたのだ。まったくハズレでやんの(笑)。
 ホーム一面だけの次の駅で降りたのはおれ一人だった。しかし、小さな駅にもかかわらず、そこはさすが「本社前」(笑)、売店の売り子兼駅員のオバチャンがいて助かった。タクシーを手配してもらえたのだ。雨は止んでるものの、すでに間断なく強風も吹いている。

 宿に着くのと前後して、風はさらに強くなった。間に合ってよかった。

 それでも夕食までまだ大分時間がある。このまま部屋でゴロゴロしているだけなのもいささか芸のない話なので、おれはアーケードの商店街を散歩した。旅館のすぐ横がアーケードの入り口なのだ。
 島原市街は雲仙の豊富な伏流水の湧き出すところで、街の至る所に泉がある。大きな湧水池もある。そして、商店街のあちこちにも泉が湧き出している。こんな商店街、日本でここだけだろう。どれも観光客向けに風流にこしらえてあるのは言うまでもない。
 迫り来る台風に備えてみんな家の中に入ってしまったのか、人通りは途絶えている。店もほとんどがシャッターを下ろしているが、これは普段からこうなのかもしれない。昨今の地方の商店街の衰退ぶりには、尋常でないものがある。風はますます強く、あちこちに飾り付けられたぼんぼりにぶら下げられたガラス風鈴が物にぶつかって割れる音がする。

 「涅槃仏」の看板が目に入ったので、物好きにもまだ少しは風をしのげるアーケードを離れ、おれはお寺の境内に入っていった。松の木までが揺れている。金網でできた大きなゴミ箱が転がって行く。吹き荒れる風の中、アロハ姿で背中を丸めて墓地の中を抜けて行くおれの姿は、ハタから見ればまるで狂人だったろう・・・・・・まぁ、見てる人もいなかったろうけど。
 島原大変(※2)の元凶となった眉山をバックに、涅槃仏は墓地の中心の少し高くなったところで雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、ゆったりと寝そべっていた。ものすごい速さで流れていく雲は低く、稜線は見えないものの、カタストロフの爪痕であるバックリと崩落した山肌は不思議と近くに見える。強風が吹き荒れるモノクロームの沈鬱な風景の中、横たわる巨大な寝釈迦とそれを眺める不審な中年男(笑)。

 その時の不思議な感覚を上手く表現する言葉がおれには見つからない。それはアタマに電球のようなものであり、何かの啓示に打たれた際の大きな「了解」のようなものでもあり、探し物が見つかったときのカタルシスのようなものでもあった。

 何をおれは分かったのだろう?

 風はますます強くなってきている。墓地の片隅にあったネコ車やバケツの類が倒れたり、転がって行ったりしている。それよりなにより、写真を撮ろうにも身体が揺れてシャッターを切るのも困難になってきた。もはや長居は無用だろう。これ以上外にいたら、危険が危ない、っちゅうねん。
 再びおれはアーケードの商店街に戻った。こんなに大荒れになってるのに、それでも頑張って店を開けているところもある。おれはそれらを冷やかしながら宿に向かった。帰れば熱い風呂も、豪勢な食事もある。

 結局、台風は島原を直撃こそしなかったものの、ノロノロと九州を縦断したために夜半まで猛烈な風雨が続いたのだった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ちなみに翌日の雲仙の夜もまた、20年前と同じくサイアクなもんだった。いやいや、もっとひどかった。

 台風一過とは行かず、南下した前線に湿った空気が流れ込んで大気が不安定になったとかで、夜中になって猛烈な雷雨に襲われたのである。しかも今回はテント、それもおれの持ってる中ではもっとも耐水圧が低く、フロアも別体式のモノフレームシェルターだ。

 雲仙の町外れの大きな池の近くでおれは寝ていた。それなりに夜になって冷え込んできていたので雨はなかろうと判断したのだが、甘かった。突然、堰を切ったように大粒の雨がテントを叩き始め、そのハデな音でおれは目を覚ました。メチャクチャにやかましい。滝の近くにいるような音だ。それでも眠くてたまらないので、おれは相当テントの中で頑張った。
 しかし、そのうち雷までが鳴り出し、あろうことかそれがだんだんとこっちに近づいてくる。ついにおれは恐怖に耐えかねて、ずぶ濡れになるのもかまわずテントから這いだし、近くに停めてあった軽のレンタカーの中に逃げ込んで、そして朝まで過ごしたのであった。いや〜、マジ怖かったっす。

 ・・・・・・それにしても、である。どうにも島原とおれは相性が悪い。先祖かあるいは前世でキリシタンを迫害でもしたのだろうか?


【註】
 ※1:厳密には南島原から一駅先の島原外港以南が廃線になる。なお、諫早〜南島原は「北線」と呼ぶ。
 ※2:江戸時代、雲仙普賢岳の火山活動に伴って眉山の山体が崩壊、土砂は海に流れ込み対岸の熊本に津波となって押し寄せた。

2007.10.28

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved