「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
水運の夢の跡の跡・・・・・・流山へ


線路と運河と道路と
 ----水の街は廃市だ。

 昔、琵琶湖に面した古い商都・近江長浜を訪問したことをまとめた時に、そんなことを記した記憶がある。

 国内での小規模な水運は絶えて既に久しく、掘割に向かって蔵が並ぶような風景は、それこそ伏見や柳川とかの町並保存区域にでも行かなくてはお目にかかることができなくなっているのだし、そこには土埃がたち荷車が行き交う活気はもはやないのだから、あながちその指摘は間違ってなかったと今でも思う。
 旦那衆の豪奢に裏打ちされたしきたりや因習・つきあい、そして利権や損得勘定といったものにがんじがらめに縛られ、時代の変遷に対してこれといった有効な方策も打てないまま、祭りみたいな行事ごとだけが、衰退した町並みに対して不釣合いに立派に残ってたりすることに象徴される、廃市に漂う栄華の後のゆっくり滅んで行く頽廃の雰囲気がおれは好きだ。

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 先日、流山に出かけた。

 いや、前フリの重々しさとは裏腹に、行ったのに深い意味はない。このところ断続的に続けてる、「ローカル線に沿って歩く」ってテーマでの地味な小旅行をしてみたかっただけだ。流山電鉄といって6km足らずの小私鉄が通ってるのである。町に関しての予備知識はみりんの町だ、ってことくらいだった。
 常磐線の馬橋がその始点だが、次々とものすごいスピードで長大な列車が通るJRからすると、多少波打った差し掛け屋根の貧弱なホームに数両の短い電車が停まるだけの、とてもささやかなものだ。駅の階段を降りると、ドブが流れ、単線の線路と道路がそれに沿ってまっすぐ続いている。炎天下、おれは流山を目指して歩き始めた。

 幸谷、小金城址、鰭ヶ崎・・・・・・と、その道中を事細かに書いても仕方なかろう。歩く距離は普段の家の近所の散歩よりはるかに短いくらいだし、風景は概して平凡、っちゅうか家の近所とさして変わらない。途中でドブが大きな川に突き当たったこと、少し森に囲まれたところがあったこと、レトロな佇まいのパン屋さんがあったこと、小さな小さな変電所があったこと・・・・・・あ、もう終点に着いてしまった。

 町の中心部から少し離れたところに駅は位置する。平日の朝夕などは混みあうのかもしれないが、今日は休日、それも昼下がり、人影はまばらだ。狭い駅前広場の周囲に食堂やタクシー車庫、電話ボックスといった設備が少々・・・・・・平凡そのものの、しかし東京のすぐ近くとは思えないような光景が広がる。ホームのベンチの背もたれや釣り看板に大書された地酒や漬物等の広告が、いっそう田舎じみた感じをかもし出す。しっかし「江戸川正宗」にしても「のんちゃんの焼酎」にしても聞いたことないなぁ〜。

 構内は線路が4線に分かれ、そのまま突き当たったところが小さな車庫になっており、それだけが真新しい。そうそう、ここの電車は編成ごとに色が違っていて、さらには愛称までついているのが面白い。
 昼の閑散時間帯の今、動いてるのは黄色い「なのはな号」と青い「青空号」だけ。その2編成が単調に短い区間を行ったり来たりしている。オレンジ色の「明星号」、水色の「流馬号」はホームに留置され、黄緑色の「若葉号」は車庫の中でバラして修理中だった。どれも古い形とチープでカラフルな色合いがあいまって、何だか古い遊園地の乗り物みたい。

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 駅前の観光案内の看板を見て初めて、おれはこの町がまた水の町であると知った。これまで何となく、流山が平野の真ん中の町だと思っていたのだ。

 みりん製造が発達したのも、北に落ち延びる新撰組の土方歳三が近藤勇がここで別れたのも、この地が利根川に連なる水運の拠点で、大きな船着場があったことが背景にある。
 常磐線は本来、もっと大きく西に巻いて、この流山を通るはずだった。それが今のルートになったのも水運ゆえである。従来の運輸の衰退を恐れた地元で反対運動が起きたのだ。しかし、近代のインフラである鉄道に、スピードや輸送力で劣る小規模な河川の水運が勝てるワケがない。町はどんどん衰退して行く。一方で単なる村に過ぎなかった柏は鉄道が通ったお陰で発展していく。みりんの旦那衆の焦りは大変なものだったに違いない・・・・・・かくして水運が鉄道に屈する形でできたのが、このささやかな流山電鉄だったわけだ。カッコよく言えば地元有志で作った、ってことになるが、実態はそんなもんだろう。

 余談だが、明治時代、鉄道建設に際して猛烈な反対運動が起きた地域はひじょうに多い。例えば山陰本線なんかもそうで、八鹿から街道をはずれて日本海沿いを進む。しかし、本当は山越えで鳥取への最短ルートを取るはずだったのだ。何でも「都会の習慣が持ち込まれて風紀が乱れる」って主張で反対運動が起きたらしい。ま、このお陰で、城崎やら浜坂を通ったので、今は観光路線として命脈を保てているわけだけど(笑)。その他には「伝染病が持ち込まれる」なんて珍妙な理由での反対運動とかが日本各地であったといわれるが・・・・・・ホンマかいな?

 ともあれ、その痕跡は今でも経営に残る。この私鉄、未だに完全な地元の独立資本なのである。

 もちろん、貨物輸送なんてとうの昔に廃止されてしまってる。どだい家ではカレーぢゃハンバーグぢゃと手軽な洋食が増え、煮物なんてあまり作られなくなった今の時代に、みりんがそんなに売れるものかどうかも良く分からない・・・・・・あ〜、照り焼きバーガーには使うかなぁ。さらには、周辺のベッドタウン化が進んだにもかかわらず、つくばエクスプレス開業のあおりを喰らって乗客は一気に減少したそうだ。片や最高速度130kmで秋葉原に直結、片や単線で、速度も遅く、乗換が必要で、なおかつその接続駅が快速の停まらない駅では、そりゃもう勝負は見えている。

 ・・・・・・流山電鉄は、水運の夢の跡の、そのまた跡、とでも呼ぶべきなのかも知れない。

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 帰路は電車に乗った。「青空号」だ。空も青い。

 発車が近づくと何となくそれでもどこからか乗客は集まってきて、乗換口に近い1両目は半分くらい人で埋まった。保線状態があまり良くないのか、大したスピードでもないのによく揺れる。しかし、途中駅でも乗客はそこそこ増え、終点に着く頃には立っている人もいた。まぁ、上述のような状況だから決して楽な経営ではないだろうけど、それでも首都圏に近いという地の利に恵まれて、ささやかな私鉄としてはまずまず頑張ってる方なのではなかろうか。

 ふりだしの馬橋までは約10分だった。呆気なく旅は終わった。


静まり返った昼下がりの流山駅構内
2007.09.19
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