「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
静かな、あまりに静かな・・・・・・湯ノ網鉱泉


一言「腦」っちゅうのがとてもいい感じ。

 雨脚が強くなってきている。

 低い雨雲の下、常磐線の踏切を過ぎると家は途切れがちになり、水田の中を大きく曲がりながら伸びる道に人影はない。行き交うクルマもない。ほんとに日曜日だろうかという気分になってくる。それでも初夏の午後の雨は、どことなく白い光が溢れているような気がして沈鬱さはない。

 北茨城市は文字通り茨城県北端にあって、冬はアンコウ鍋、夏は海水浴で賑わうようだが、観光地としては五浦海岸くらいなもので、言っちゃぁ悪いが、これといった特徴のない太平洋を望む平凡な田舎町である。しかし、鉱泉の宝庫である隣町のいわきほどではないにせよ、今でも地味な冷鉱泉が点在しており、マイナー温泉好きとしてはは見落とすことのできないところでもある。

 今日訪ねるのはそんな内の一つ、以前、時間が押しててパスした一軒宿の湯ノ網鉱泉だ。

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 要所要所に案内看板が出ていたおかげで特に迷うこともなく、道のドン突き辺りの宿に到着。その名を「鹿ノ湯・松屋旅館」という。思っていたよりもはるかに広い敷地には、綺麗に手入れされた花が咲き乱れ、その向うに大きな切妻の建物が見える。葡萄でもこんなにたくさんつかんだろ、というくらいにギッシリと房の垂れ下がる藤棚が目に留まった。丹精込めて手入れしてるに違いない。

 静まり返って人気のない玄関で、大声で来訪を告げると、まさにヒタヒタという感じで奥から女将が出てきた。上品な感じの婆さん、いや、「老女」という呼び方の似合う人だ。少し用意をするので待ってて欲しいと、まずは応接間に上げられる。
 仏画や押し花の色紙が鴨居に掛けられ、ドレスを着せられたキューピー人形がテレビの上に飾ってあるような、何だか子供の頃遊びに行った友達の家のような雰囲気の部屋だ。一体いつのものだろう、「聖子ちゃんカット」のデビュー間もない頃の松田聖子がモデルになった防火ポスターが隅に張られてあった。
 それにしても館内は深閑としている。聴こえる音といえば玄関脇にある大きなボンボン時計の振り子の揺れる音、そして自分たちが手に取って所在無げにめくる新聞の音だけだ。緩く、ダウナーな時間が心地よい。

 浴室は変わった造りで、L字型になった縁廊下のところに普通の座敷のようにしてあり、外部に向って直接開いた窓がない。完全な内部屋である。湿気が籠ったりゃせんのだろうか。それにしても繊細な意匠の窓が並ぶ様は、古い古い洋館風の病院とか学校のようだ。
 脱衣場も変わっている。浴室そのものは20畳近くあって鉱泉としてはかなり広い方なのに、脱衣場は2人も入れば一杯という狭さ。家より狭い。何だか電話ボックスの中で服脱いでるような気分になる。ひょっとしたら、かつては浴室内に脱衣場があったのをなくして、ムリヤリ入口付近に脱衣スペースを増設したのかも知れない。

 浴室に足を踏み入れて、おれは思わず感嘆の声を上げた。外見もそうだが、内部もこれまた古い学校や病院を思わせる、素晴らしくレトロモダンな佇まいだったからだ。高い天井、真っ白な壁、明り取りにはめ込まれた色ガラス、木部の明るいペンキ、鹿ノ湯の名前にちなんだ大きなタイル画・・・・・・大きな扇風機が天井にくっついてユックリと空気をかき回しているんぢゃないかと見上げたが、さすがにそれはなかった。
 唯一残念なのは、湯船がポリバスに替わっているところくらいだろう。そこには僅かに黄土色に濁った湯が湛えられている

 ・・・・・・それにしてもここも静かだ。聞こえる物音と言えば、幽かで遠いホワイトノイズのような、屋根を叩く雨音のみ。浴室なのにどこかひんやりと沈潜した空気が支配する不思議な空間だ。
 壁には女将のセンスだろう、美しく活けられた花が懸かり、さらにその下に古い小さな効能書が掲げられ、その筆頭は一言、「腦」となっている。その次は「神経衰弱」だ。
 脳の問題と神経衰弱っていっしょちゃうんか?って疑念が若干よぎるが、まぁ、いずれにせよ心が弱っている状態であることに変わりはなかろう。そんなときに必要な環境は、静かで落ち着いた、間接光に満たされたような、極力外からの刺激の少ない空間だ。ならば確かにこの温泉、その点で全ての条件を満たしている。

 なるほど、ここにしばらく腰据えて逗留すれば、弱った心も強さを取り戻せるかもしれない。

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 おれは「癒し」って言葉が本当に大嫌いだ。いや、昔はそうでもなかったのだ。ところがいつの頃からか日本人は癒し癒しともう大合唱で浅ましく求めるようになった。1億2千万、揃いも揃ってみんなメンヘルかよ?って感じ。このブザマなムーヴメント見てるうちに、嫌いになっちゃったのである。
 「癒されたい」なんて抜かすバカ見ると、何でも他人や社会のせいにして何ら恥じることのない他力本願の極みだと思う。物欲しそうに、っんと卑しいったらありゃしない。癒しに卑しいってか?
 さらにそんなバカ共のニーズに応えるように、着流しのデブが薄気味悪い恵比寿笑いでTVに出てるのを見ると、心の底からゾッとしてチャンネルを思わず回してしまう。
 この温泉に似合う言葉は、平たく言えばやはり「癒し」なのだろうけれど、そんなんだから、この温泉を讃えるのにできれば使いたくはない。どんな言葉がいいのだろう?
 
 風呂から出て、最初に通された部屋で出されたお茶を飲みながら、とりとめもなくあれこれ考えて、そして、止めた。こんなにも静かな、そして効能に「脳」を謳うところにいて、頭の中が考えでとっ散らかって騒がしいのは何ともよろしくない。ただもうボーっとしてりゃぁエエのだ。

 ボンボン時計の振り子の揺れる音。
 相変わらず館内は静まり返ったままだ。
 一向に雨の止む気配はない。

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ギャラリーとは別ショットで、タイル画をバックに。

2006.06.24
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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