「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
アメニティの極限へ、瀬見温泉「喜至楼」


喜至楼本館の威容。右側が旧館。

 大阪の飛田新地っちゅう、地図からは抹消された地域の一角に「鯛よし百番」という店がある。「百番」とは大阪の繁華街のあちこちにリーズナブルな値段の店を展開する飲み屋チェーンだが、今は宴会専用会場として使われるこの「鯛よし百番」だけは独特の存在として有名だ。

 そのワケは、っちゅうと、大正時代に建てられた元々は遊郭だった建物をそのまま改装して使っているのだが、その内部がもはやグロテスクといってもいいほどの豪華絢爛さで作られているのだ。あらゆる日本の有名観光地や寺社仏閣を脈絡なく、また隙間なく詰め込んだようなその異様な空間は、現代のラブホテルの内装のケバケバしさが薄味に思えるほどにキッチュでバッドテイストである。ずいぶん昔、おれも実際に見たことがあるが、なるほど噂にたがわず眩暈がしそうになった。たしか詳細に紹介した写真集も出てたはずだ。

 おそらくこれ建てた人は単なる成金趣味だけではなく、単なるイッパツ宿を超え、他と差別化を図るための創意工夫を凝らしたんぢゃないかと思う。結果、このように一つ一つのモチーフにはまったくオリジナリティはないものの、全体として極めてユニークな、まるでジャパネスクの3Dのコラージュのような奇観が出現したのだった。

 遊園地にしたってそうだが、アメニティの極限の形態は「キッチュでグロテスクでラグジュアリー」から免れ得ないのかも知れない。

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 瀬見温泉は山形県の新庄から鳴子に向かう途中にあって、小国川沿いに細長く開けたかなり大きな温泉地である。国道と並行して陸羽東線が走っており、今やすっかりローカル線となったとはいえ駅もあるので、それなりに観光客で賑わっている。湯温も高く、また湧出量も豊富なようで、蒸し風呂が名物の大きな共同浴場があったりもする。
 その中心部にあるのが老舗の「喜至楼」だ。増築を重ねた風格のある建物が、屏風のように立っている。温泉神社が旧館と新館の間に挟まってあることからしても、この旅館の元祖としての歴史がうかがえる。

 何といってもここのウリは、山形県最古の木造4階建てと言われる旧館の佇まいだろう。何でも明治元年にできたものらしい。ちなみに老朽化のためか、こちらの方は今は宿泊客を入れてないようで、日帰り浴客の玄関としてのみ使われているようだ。間口の広い暗い玄関に入ると誰もいない。正座して頭を下げる仲居の、やや稚拙な彩色の意匠の彫られた障子が何とも楽しい。その横に並ぶ障子も松の木の意匠が前面に彫られた手の込んだものだ。正面には金庫の上でガラスケースに収まった大黒さんの置物もある。良く見ると欄間なども凝った造りである。

 ------ごめんくださぁ〜い!
 ------は〜い、いらっしゃいませ〜。
 ------うわ〜っっ!!

 おれはメチャクチャ驚いた。普通ならここで女将なり仲居なりがパタパタと出てくるのだろうが。何と、天井脇にあるスピーカーから声が発せられたのである。どこかでモニターしているのだろう。まったくこの古色蒼然とした構えからは想像もつかないハイテク(?)ぶりだ。

  ------どうぞそのままお上がりになって、料金は大黒さんの所においていただければ結構です〜。
  ------はい〜、お世話になります〜。

 ・・・・・・などと、無人の玄関の奥に向かって胴間声を張り上げるのもずいぶんマヌケな絵だな(笑)。お釣りが必要な場合はどうするんだろ?とか不思議に思いながら、言われたとおり料金を置き、上がらせてもらう。何だかカラクリ屋敷にでも入って行くような気持ちだ。

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 暗い廊下を左に行き、さらに左、今度は右、と曲がったところに浴室がある。不思議な形の看板には「ローマ式千人風呂・瀧湯・あたたまり湯」とあって、一つは紙が貼って消されてある。見てみると「岩湯」となっていた。「あたたまり湯」のみが男女別となっている。

 まずは最初に一番広そうな「ローマ式千人風呂」に入ろうとするが、中では古風に「下男」とでも呼びたくなるジーサンが湯を抜いて掃除中。もうちょっとしたら入れる深さになるから、それまで岩風呂にでも入っててくれと言われた。岩湯のコトらしい。
 岩湯が何で案内板から消されてあるのかはすぐに分かった。要は家族風呂でとても小さく、まともに外来の客がたくさん入れるキャパがないからだ。脱衣場も狭く、家の浴室くらいしかない。
 
 まぁ、中は岩で組んだ、4人も入れば一杯の湯船が一つあるだけの、何てことない文字通りの岩風呂だ。おれたちが今朝初めての客らしく、湯は猛烈に熱い。ジャンジャン水でうめまくってようやく入れる温度になった。う〜む、文句言う気はないがあまりに普通の小さな内湯だ。世に名高い「喜至楼」にはるばるやってきてこの風呂だけぢゃちと寂しい。

 ・・・・・・な、と思ってるところに、親切なことにジーサンが、千人風呂の湯がちょっと溜まったことを知らせに来てくれた。

 早速移動。脱衣棚の上には温泉を掘り当てる花咲爺とおぼしき意匠が彫られてある。これまたやや稚拙。しかし、なんで唐突に花咲爺なんだろ?ローマ⇒ギリシャ⇒イソップ⇒日本民話、みたいに連想した結果かも知れない。
 肝心の風呂・・・・・・って、まだ湯は10cmくらいしか溜まってへんやんか(笑)。しっかし何が「千人」なものか、こりゃ洗い場も含めて百人も入ればスシ詰めだろう。大きく出たモンだ。どだい「ローマ式」って一体全体何だんねん?湯船が円形なことか?混浴なことか?タイル張りなことか?サッパリ分からんがな(笑)。
 ちなみに「瀧の湯」はこの千人風呂の片隅にある岩作りの小さな風呂で、チョロチョロと一条の湯が落ちて打たせになっているだけなのだが、そのショボさが大層なネーミングにこれまた妙にマッチしていて楽しい。

 壁にはタイル絵がある。露天風呂に入るパツキン女性と頭にツノのあるオッサン・・・・・・今さら断りを入れるのもアホらしいが、やはり稚拙。思うにこれは、マラルメ「牧神の午後」にもなったギリシャ神話におけるパーンとニンフのエピソードの奇天烈に変容した姿だろう。なんかもう、「隠れキリシタンのイコン」くらいに原典がデフォルメされて、独自の進化を遂げちゃってるのに感動する。

 何代前の主人かは知らないけれど、この旅館を建てた人はかなりの遊び心があったに違いない。

 今でも十分田舎の山形のこの地に、単なる湯治場ではなく、アメニティの要素を盛り込んだ風呂を作りたかったのだ。名前だって「喜びに至る楼閣」だもんな。そして、あらん限りの知識を総動員してさまざまな意匠を盛り込んだこの建物を建てたのだが、いかんせん、実際に建てた大工や左官にはそこまでの知識はなかった。否、現代のようにメディアの発達してなかった時代、当の主人にしたっておそらくその知識の大半は伝聞等を基にしたものだったと思われる。
 ともあれ、そんなこんながあいまった結果、なんとも稚拙で素朴、そしてケバケバしくもちょっとズレたセンスの色んな仕掛けが出来上がったのだろう。そして、とりもなおさずそれは「鯛よし百番」に通底するものだ・・・・・・あそこまでコテコテではないにせよ。

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 浴室に張り紙があった。全文を引用しよう。

------お客様へ

    当館は源泉掛け流しの温泉でございます。
    温泉の温度が68.5度と高温のため2キロ程先の沢より自然水を引き入れて温度調整をしております。
    時として山の神様のごきげんの悪い時は湯舟の底に砂が沈殿して温泉がにごることがありますので、
    どうぞ御承知下さいますようお願いを申し上げます。

                                                            館主

 ・・・・・・(笑)。

 どうやら遊び心のセンスは幾許かながらも、現在のご主人に受け継がれているようだ。今からでも遅くはない。先代の遺志を受け継いで、超豪華でコテコテがテンコ盛りのバッドテイストが炸裂する新館でも新たに建て増してみてはどうだろうか?

 
百人も入れば身動き取れない千人風呂(笑)と、その右にくっ付いた瀧の湯。いずれもギャラリーとは別ショットで。

2007.06.03
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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