「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
生活の場としての温泉・・・・・・桐木共同浴場の記憶

 桐木、と書いて「きるぎ」と読む。温泉の宝庫である大分は町田川沿いの名もない温泉だ。ネットで調べてみたところ、今でも温泉民宿が1軒あるだけの、特に何にもないトコらしい。

 訪問したのがもう15年以上前のことだから、今でもあの時の姿のままで残ってるかどうか分からない。すでに当時でも、半ば倒れかけた古い倉庫然とした瓦葺きの建物が、川沿いに打ち棄てられたように立っているだけだった。それに、古い記憶を辿ろうにも年々喪われていくのは詮無いことで、最早、手許に乗った僅かな写真を元に途切れ途切れとなったものを繋いでいくしかない。

 それでもその時に体験したことを拙いながらも文字に起こしておくことは、何だかそれなりに意義があるような気がする。なぜだろう?色褪せたとはいえ画像は残っているのに。画像はもっとも雄弁ではないのか?
 ・・・・・・おそらくそれは、おれはルポなんて書きたいと思ってないからだろう。普遍性のある情報を書いてどうなる?ってトコからおれの旅行記は始まっている。それを創作志向とか自己顕示欲と言われれば、はいそのとおりです、としか答えようがないのだが、自分というフィルターを通してみた世界を、やはりおれは書き留めておきたいのだ。

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 1991年秋、壁湯・宝泉寺と回って次にたどり着いたのがここ、桐木だった。

 「桐木温泉」などと呼ぶ気になれないような国道沿いの集落の外れ、道路から川に一段下がったところに、ポツンと共同浴場があるだけのところだ。よくある二段になった吹き抜けもなく、妻面の上部の空気抜きのガラリに気付かなければ、これが温泉小屋だとはナカナカ分からないのではなかろうか。おそらくは元は単なる露天風呂だったものに上屋をかぶせたものだろう、壁の一部が道路の石積みになっていたり、建物の裾あたりが完全に地面から浮いて隙間ができている。

 今だから告白するが、入口には「地元民以外の入湯をお断りします」の看板が出ていた。個人的には、温泉っちゅう公共の財産を一部住民が独占し、余所者には門戸を閉ざすって考え方には大反対だが、まぁガラの悪い客もいるから、地元の迷惑を考えれば痛し痒しではあろう。
 一瞬、逡巡した。扉を開けて中を見る。うわ!シ、シブいやんけ!見渡したところ周囲どころか、村全体に人通りはない。目の前にあるのは激シブ物件だ。
 結局、見咎められたらバックレよう、ってコトで入ることにした。ヨメは入るのを確かパスしたと思う。

 意外に広い浴室内は、洗い場も含めてかなり古びたコンクリート素塗りで、大きく4つの升目に仕切られてクセのない湯がなみなみとあふれている。この辺の湯はどこも特徴のない単なる熱い湯がほとんどなのだ。
 4つのうち他の3つの残り湯が流れ込む手前の石積みの壁側だけは浅くて細長く、一段下がって水面ギリギリにスペースが作ってあるところからすると、どうやら洗濯場のようだ。事実、二槽式の緑の洗濯機も置かれてあったりもする。ちょっと奥津温泉の共同浴場を思い出した。
 壁の羽目板もあちこちに隙間があって相当全体にガタは来ているものの、地元で大切にしているのだろう。きれいに掃除されてあり、湯船にもヌルヌルしてイヤな苔や藻の繁殖はない。デッキブラシやたわし、箒にチリ取りといった清掃用具も洗濯機の横にきれいに並べられている。

 つまり、現役なのである。「打ち棄てられたように」と冒頭で書いたけど、それは見た目のボロさゆえの印象だけのことであって、実際は地元の人々の生活の場として立派に機能していることが随所から伺われるのだった。
 それは赤い幟だったかよだれかけだったかは忘れたけど、壁の上に置かれた小さな祠に奉納された布地の真新しさからも明らかであった。
 おれは山中に人知れず湧き出す温泉・・・・・・いわゆる野湯も好きなことは好きだが、実際はこのように長きに渡って地元の人が守り慈しんできた地味な温泉にしばし間借りさせてもらうことが最も好きだ。そのようにして培われてきた景観には、人間のさまざまな哀歓が澱のように沈殿していて、観光客相手の投資では到底得られない深みが備わっていると思うからだ。

 しかし、往々にしてそのような指向は「地元民以外お断り」の看板に打ち砕かれる。ひどく悲しい気分になるが、リクツで対抗しても詮無いことで諦めるしかない。しかし、もっと悲しいことは、その残念さが決して地元民には理解されない、ってコトだ。この都会から着た兄ちゃんは、なんでこんなボロっちいモノをスゴいスゴい言いよんねん?ってなモンだ。
 いささか大層な言い方を許してもらうなら、この悲しさは民俗学者の抱く悲しさに近い。そこにある習俗の何物にも代えがたい貴重さを、維持してる当の本人たちは一向に分かってくれない。何をこの学者センセは騒いではりまんねん?ってな具合に。

 そうして日本からは生活の場としての風景は顧みられることもなく喪われて行くのだ。利権の腐臭ばかりが臭う「世界遺産」なんかより、それはよほど惜しむべき貴重なものなのに。

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 おれは、せめてもの礼(あるいは非礼の侘び?)に洗面器を片隅に積んで片付け、洗い場を湯で洗い流し、そして壁の祠に200円を納めたのだった。


※附記
 実は本稿を書くに当たってネットで調べて驚いたことがある。なんと、この訪問の少し後に、この素晴らしい共同浴場は集中豪雨による水害で流出してしまってたらしい(http://www.oct-net.ne.jp/)。何であの時3枚しか写真を撮らなかったのか、大いに悔やまれる。
2006.05.03
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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