「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
霞ヶ浦を行く・・・・・・鹿島鉄道


湖畔の家を遠望する。

 首都圏への交通の大動脈である常磐線も、各停の終着駅である取手を過ぎると急に風景は田舎っぽくなってくる。取手もそうだが、いくつかの駅からは関東鉄道の路線が出ている。今回訪ねた鹿島鉄道も先がないってことで分社化されたため名前が変わっているが、元々は関東鉄道鹿島線といった。

 先がない、っちゅう京成グループの判断は正しかったといえるだろう。今年の3月でこの鹿島鉄道も命脈尽きて廃線となる。もっとひどい経営状態で頑張ってる津軽鉄道みたいな例もあるのだから、まだもう少しは行けたような気もするが、それは道理の分からぬテッチャンの戯言に過ぎない。まぁ、傷口が広がる前に、ってコトなのだろう。ちなみに土浦から出ていた筑波線はとっくの昔に廃止されてしまっている。

 この線の息の根を止めたのが何かといえば、貨物輸送の廃止だ。途中に航空自衛隊・百里基地がある関係で、この線は今時のローカル私鉄には珍しくジェット燃料を運ぶ定期貨物列車があったのが、2006年いっぱいでそれがなくなったことで経営はアッと言う間に行き詰った。つまりは軍事路線だったワケである。旅客輸送はもう何年も前からどうしようもない状態に陥っていた。

 そもそも路線がヘンである。線路は途中から霞ヶ浦畔に向かい、そのまましばらく湖岸をなぞるように村々を進んで、終点の鉾田には道路に較べるとかなり遠回りして到着するのだが、その鉾田にしてもたいして大きな町ではない。元はといえば、湖上交通の客貨を駅で積み替えるという役目があったのと、鉾田を経由して鹿島神宮に到達しようという目論見が資金難で断念したせいでこんな線路になったのだ。沿線人口に特筆すべきものはなく、貨物輸送がなければとっくの昔になくなっていたはずだ。

 ともあれ正月三日、おれは出かけてった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 電車を乗り継いでやってきた石岡自体、特急も停まるそれなりに大きな駅であるにもかかわらず、すでに地方都市特有の寂れた風情があちこちに漂っている。線路が間引かれてガランとした構内、人気のない駅前、廃業したデパート・・・・・・何とも物憂い光景が広がっていた。そんな駅の裏から鹿島鉄道が出ている。車庫がここにある関係で、意外にたくさん色とりどりの列車が停められて一見活況を呈しているが、到着したディーゼルから下りて来た乗客の数はまばらだった。
 ダイヤはけっこう密で、朝夕で10分から15分、昼間の閑散帯でも途中までは30分間隔で出ている。これは単線としてはかなり密な方だろう。
 線路は大きくカーブしながら常磐線を離れる。おれはこれからそれに沿って全線を踏破しようというのだ。走破ではない、物好きなことに歩くのである。

 新興住宅地に新設された「石岡南台」、「東田中」と過ぎると、「玉里」から「四箇村」までは埃っぽい国道沿いを行く。やけにタイ語の看板が目立つ。付近は工業団地だし、何せもう少し奥には自衛隊の基地もあるから、風俗嬢の出稼ぎが多いのだろう。大阪で言えば信太山の置屋みたいなモンかな。
 クルマの行き交う幹線道路を離れ、霞ヶ浦に向けて下っていくと、やがて枯れたレンコン畑が目立ち始め常陸小川に到着・・・・・・と、サラッと書いたが、ここまでで約2時間・・・・・・いや、もっとかかったかな?なんぼトロトロ走る列車とはいえ、歩いてると次々にやってくる。他に交通手段のなかった開通当時のありがたみが分かった気がした。

 「常陸小川」は最大の中間駅で、列車のほぼ半分がこの駅止まり。色んなストラクチャが昔のまま残っていて好ましい佇まいだ。構内をウロウロしながら写真を撮っていると、上下の列車がやってきて離合した。廃線のニュースを見てやって来た人が多いのか、鉾田行きが満員なのにちょっと驚いた。緑とアイボリーのツートンの古い型だ。大きな一眼レフを構えた鉄道マニアの姿も見える。
 彼らはどうやらクルマやバイクを駆使して、あらかじめ調べ上げたダイヤに基づいて先回りしているようである。そぉいや先刻、畦道のような農道でおれを追い抜かしていったBMWのでっかいオフロードバイクが停まっている。リッチな鉄道マニアやな。ヘビメタが高級車に乗ってるくらい似合わない。

 殺風景な停留所である「小川高校下」を過ぎると、いよいよ線路は湖岸ギリギリを通る。今は防波堤代わりの道ができて湖とは仕切られてしまっているが、かつては波打ち際だったようで、大谷石でできた立派な船着場の跡らしきものが線路に沿ってあったりした。霞ヶ浦は午後の光を照り返してまぶしい。
 そうして妙に立体感のない小さな交換駅の「桃浦」に到着。駅前には駅までの道路開通を祝う古い記念碑があった。先刻のBMWをまた見かけた。

 ここからは駅間距離がだんだん離れてくる。荷物があるのと、なるだけ線路から離れないように、また丹念に駅に立ち寄るので効率の悪い歩き方になっているのだろう、大した距離でもないのにだんだん脚がくたびれてきた。
 村の狭い通りを不審そうに見られながら山間の寂しい小駅といった風情の「八木蒔」を過ぎ、再び湖岸に出ると、線路沿いにますますテッチャンの姿が目立ち始める。太陽の向きでもいいのか、あるいは珍しい形のが来るのかよく分からないが、三脚を立てて粘り強く立って待っている。防風のためだろうか、線路際だけビッシリ密生した笹が刈り取られずに残されてあるのが目立つ。

 そうこうする内にその名も「浜」に到着。駅のすぐ側が本当に浜になっていて、さっき常陸小川の駅の看板で見たのだが、夏には「あさざの群生」っちゅうのが見られるそうだ。そのための特別列車「あさざ号」なるものも出るらしい・・・・・・いや春には廃線になるなのだから「去年まで出ていた」ってーのが正解か。
 暖冬とはいえ吹きっさらしで湖を渡る風が冷たい。携行食のカロリーメイトみたいなお菓子を3本ほど食べて簡単な昼食を済ませた。日本で一番古いっちゅうディーゼルが通り過ぎていく。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・って、あ〜しんど。

 ここまでマジメに読まれた方には申し訳ないが、玉造町から先の行程については、もう省かせていただいても構わないだろう。正直に言うと、ここまで丹念に書くだけでも、おれはまったくもって退屈だった。
 刻々と変化してるのは太陽の向きとおれのバテ具合くらいなモンで、風景は淡々と平凡でその変化は緩慢で弛緩したものだったのだ。ま〜長閑、ともゆうけど。

 おれは軽蔑して言ってるのではない。それが、本来の「風景」なのだ。

 埃っぽい道。
 道路にゆるやかに絡みつきながら続く線路。
 くすんだ街並み。
 深い日よけの洋品店。
 汚れたガラス戸の向うに商品の並ぶ荒物屋。
 色褪せたポスターに女優が微笑む化粧品屋。
 雑草の生い茂る築堤。
 刈り取られた水田。
 ボサボサした雑木林、疎林、伸びるに任せた竹林。
 忘れ去られた小さな神社。
 傾いて屋根の波打つ納屋。
 錆びた琺瑯看板。
 村外れの墓地、庚申塚、馬頭観音。
 吠える犬。
 後に手を組んで腰を丸めて歩く老婆。
 カブや軽トラでゆっくり走りすぎていく農夫。
 走る子供たち。

 おれはその場に居合わせた。
 そしていくつかの風景を気ままに掬い上げ、切り取った。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 鉾田に着いたのは日もすっかり暮れてからだった。たまたま開いてた酒屋でおれは缶ビールを2本買った。


荒地の中に取り残されたような小駅

2007.02.26
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved