「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ポリバス系!!・・・・・・松ノ木平温泉の記憶

 最初にお断りしておくと松ノ木平温泉はもう存在しない。なくなってかなりになるのではないだろうか?その時写真は撮ったのだけど、今となっては時代のアダ花の、あの悪名高いAPSフィルムでだったので未だに電子化できていない。ポジは家のどっかに埋もれてるはずだ。ケッコー高いんですよ、これをデータに落としてもらうのって。その内お金に余裕ができたら掲載します。

 松ノ木平温泉とは栃木県の奥鬼怒温泉郷に向かう途中、日向って集落を山手に入った道の突き当たりにある湯井の傍らにあった仮設の温泉のことである。ひょっとしたらバブル華やかな竹下内閣時代の国を挙げての使途不明金(笑)だった「ふるさと創生資金」かなんかでボーリングされたものかも知れない。その名前だって正式のものかどうかも分からない。ともあれ湯が村の各戸に配給されるようになって、この世にも奇妙な温泉は消滅した。

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 98年秋だったと思う。ヨメのカーチャンが一人で東京の新居を尋ねてきたので、折角だからと日光を方面を回ることにした。

 日光東照宮だ三猿だ眠り猫だ左甚五郎だ華厳の滝だ戦場ヶ原だ中禅寺湖だいろは坂だ(あ、順不同です)・・・・・・とあっちこっち観光して、自分の楽しみもキッチリ入れて女夫淵や八丁ノ湯にも立ち寄り、その日は川俣温泉に泊まった。自分の親には親不孝ばっかなのに。おれって外面いいよな(笑)。

 平日だったこともあり、紅葉シーズンであるにもかかわらず、さほど渋滞に悩まされることもなくかなりいいペースで回れたが、それでもすでに社会の高齢化が進展しつつあったころで、宿はそこそこ満館だった記憶がある。しかし、細かい印象は風呂を含めまったく残っていない。まぁ、没個性な国民宿舎では印象残らなくて当然か・・・・・・。
 前置きが長くなってしまったけど、そうして翌日、川治に抜けようってコトで下る途中に立ち寄ったのが、この松ノ木平ってワケだ。

 噂はかねてから聞いていた。まるでつげ義春の夢日記のシーンのように小さな浴槽がならんでいる、と。

 温泉はすぐ見つかった。集落のはずれ、山に分け入ろうとするところの草地に、ポツンと塩ビ波板で囲われた小屋が立っている。先客のクルマも止まっている。温泉のポンプ小屋らしいコンクリートの建物もある。
 ほとんど吹き抜けのボロボロの掘っ立て小屋には、噂どおりの光景が広がっていた。一人用のポリバスがズラッと並んでいるのだ。今時団地用でも見かけないような、ホントに小さなものが6個だったかな。こんな小さな浴槽、田舎の家では使わないものだろうから、どっかから拾って集めたものなのだろう。どれも形や色はバラバラで、古ぼけたものばかりだった。

 夜中に入りにくる人が多いのか、建物の桟にはあちこち蝋の溶けた跡だらけ。ご丁寧にロウソク立て代わりに釘を打ったところまである。そんなことするヒマがあるんならランプくらい持って来いよ、って感じ。そのせいで火の始末に関する張り紙があちこちに貼ってある。あるいはボヤ騒ぎとかが起きたことがあるのかもしれない。
 黒いゴムホースからドバドバと大量の湯が垂れ流しになっている。人のいないポリバスには湯が入っておらず、栓が抜いてあるところからすると、どうやら一人入る毎に湯を捨てて入れなおすシステムになってるようだ。共同個別風呂、ってか?ゼータクな話っちゃゼータクな話だが、おれもその所作に習って入らせてもらうことにした。

 泉質としては硫黄臭が強かったこと、かなりのアルカリ性でヌルヌルしてたこと、意外に熱かったことは覚えている。無色透明だったような気もするが、これはちょっと自信がない。硫黄泉でヌルヌルしてるとたいていは透明なんでそんなに間違ってはないと思うが、いずれにせよ家族をクルマに待たせての入湯だったので、そそくさと片付けざるを得なかったのが心残りではあった。

 その日は川治の川っぺりの共同浴場に入って東京に戻った。

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 何年かして、おれたちはキャンプ道具を積んで温泉に行くという、今のスタイルに移行した。費用面でも行程面でも制約がずいぶんなくなって、再びあちこちに出かけるようになったのはここで言うまでもない。そうしてどこからの帰路だったか、松ノ木平の近くを通りかかったので久しぶりに立ち寄ってみることにした。
 記憶にあるとおり集落を抜け、山に分け入ろうとするところの草地・・・・・・

 ・・・・・・掘っ立て小屋は跡形もなくなくなり、コンクリートのポンプ小屋だけが残っていたのだった。

 道を歩いてた村の人に事情を尋ねて、コトの次第は判明した。冒頭に書いたとおり、温泉が村に配給されるようになり、みすぼらしく防火や風紀上の治安に問題を抱えた湯小屋なんて用無しになってしまったのだ。

 おれは懐古趣味な一方で、わりとニヒリストなところもあって、温泉なんて所詮はかないものなんだし、なくなったらなくなったで、変貌したら変貌したで仕方のないことだ、って意識も強い。世の中の事柄である以上、移ろうことは不可避なんだ、っちゅう、ある意味仏教の無常観に近い考え方である。
 それでも、と思う。おそらくは廃物利用の過程で自然発生的に出てきたスタイルに過ぎないのかも知れないけど、他に類例のないこんなユニークな形式、いっそのこと逆に発展させて広い浴室に50個くらいポリバス並べるみたいなアイデアを出す人は地元に一人もいなかったのだろうか。そう思うと少し寂しい。


※附記:
 気になってネットで色々調べてみたら、どうやら98年いっぱいでなくなったらしい。何のことはない、入ったのは廃止される寸前だったわけだ。
 
2007.01.21
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