「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
一之橋温泉で悲劇(・・・・・・あるいは喜劇)


浴室内の情景。ギャラリーとは別のショットで渓谷を望んだところ。

 タイル貼りの狭い窓べりにカメラを置いて、セルフタイマーで家族全員が写った写真を撮った。

 ちゃんとストロボも光ったので、おれはもう一枚タイマーを回そうとカメラに手を伸ばしたところ、ストラップに当たった。三脚と呼ぶのもおこがましいような小さな三脚は元々据わりがさほど良くない。一瞬でカメラはバランスを喪って落っこちそうになる。あわててつかもうとしたら、今度は指先に当たってはね返り、そしてそのまま湯船に沈んでいった。

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 右肩を壊して、もう10年以上になる。直接の原因は、覚えたてのスノーボードで林の中からゲレンデに2mほどのギャップを飛び降りようとして失敗し、妙な恰好で肩を開いて強打したことだが、長年のマウスによる細かいPCの操作や、最近いよいよおれにも訪れた「四十肩」が、さらに症状を悪い方に後押ししている。

 肩の痛さは言うまでもない。「凝り」や「だるさ」、なんちゅう生易しいものではなく、ひょっとしてこれはヘルニアなんぢゃないかといぶかってしまう鈍痛で、ひどいときは歯が浮いたような感じにまでなる。さらには神経に悪い作用を及ぼしているのだろうか、手先・足先の痺れが取れない、指先の微妙な力加減がやりにくく、よくモノをつかみそこねる・・・・・・ひどく寂しく、せつない気分になるが、これもまぁ甘んじて受けねばならない「老い」の諸相の一つなのだろう。
 そんなわけで、最近の温泉行は単なる物見遊山にとどまらず、真摯な湯治の意味もあったりするのだ。ナサケねぇぜ!

 いずれにせよ数年前までなら、こんな風にしてカメラを水没させることなんてありえなかったことだ・・・・・・そう思うとよけい寂しい。

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 山梨県にあまりこれまで熱心でなかった自分の見識のなさを、おれは深く後悔している。気づいたときにはすでに多くのシブい温泉・鉱泉群が廃業、改装・改築されてしまっていたのだった。
 いささか遅きに失した感はあるものの、しかし、無くなってしまったものを嘆くばかりではお話にならない。過ちを改むるにナントカ、なーんて格言もあることなので、昨年あたりから精力的に回り始めた。

 一之橋温泉はそんな風にして訪れた温泉の一つである。

 勝沼から塩山、さらにフルーツラインと名づけられた県道を行き、それが笛吹川に沿う「雁坂みち」と合流したあたりの谷間に立つ一軒宿だ。梅雨の晴れ間に緑が濃い。温泉宿としてよりは渓流釣の釣り宿として賑わっているようで、旅館の前には遊漁券を売る大きな小屋があったりする。
 土曜日だというのに館内は静まり返っている。玄関先で大声で呼ぶと女将さんらしきおばあさんが出てきた。

 男女別の内湯に加え、狭い庭には混浴の露天風呂まであるのだけれど、まだ時間が早いため、湯は内湯の片方にしか入っておらず、さらにそこには先客がいるそうで、しばらく待つように、と座敷に招かれた。
 無聊を持て余していたのかも知れないが、親切で話し好きのおばあさんで、お茶だけでなく、お茶受けにちょっと変わった梅干まで出してくれる。
 どこからきたのか?どこでこんな温泉のコト聞きつけたのか?サクランボ狩りはやってみたか?行ったのは岩手(「いわで」と読む)か?これからは葡萄がいいからまたおいで・・・・・・他愛ない問いかけやネタ振りに答えたり相槌打ってるうちに、風呂が空いた。

 マッサージ機の並ぶ浴室の前のコーナーに達筆な字で岩風呂のいわれが掲げられていたけれど、入ってみると風呂は取り立てて書くべき点もない至極平凡なものだった。唯一の演出で一方の壁の角に岩がしつらえられ、台形の湯船に湯がチョロチョロ流れ込んでいる。それだけ。泉質も、この川沿いの川浦や天科に共通する、無色透明無味無臭のぬるい湯を弱加熱したもので、サラッとして清澄なこと以外に記すべき点は見当たらない。
 浴室からはかなり下に川が臨まれる。釣りのことは全くの門外漢だけれど、淵になっており、分かる人にはそれなりに釣果の上がるポイントなのかも知れない。

 描写として書けることは、これくらいで終わりだ。
 つまりは何の特徴もない、ちょっと古びた平凡な渓谷の宿の内湯なのだが、そのアッサリとしたギミックのなさ、凡庸さが何とも心地良い。珍しい泉質や押し付けがましい演出なんて疲れるだけだ。古い習俗や設備を大切にしてたらそれで十分・・・・・・以前からそう思ってるのだが、最近つとにその念が強くなっている。

 そうして、ボケーッと気持が緩んだ瞬間、冒頭に述べた事故は起きたのだった。

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 実は話には続きがある。

 すでに申し上げたように、最近では四十肩の症状まで現れている。腕を上げたり、回したりすると、その方向によっては激痛が走るのだ。まさにそれだった。カメラを落とすまいと夢中で、普段なら注意するのを思わず忘れて思い切り手を伸ばしたために、肘を硬いところにぶつけたときの電気ショックのような痛みが何倍にもなったようなのが走った。ベタなオノマトペだが、まさに「ズッキ〜ン!!」だ。

 --------エ゛デデデデデデデ!!

 おれは右肩を押さえて、呻きながら洗い場にしゃがみこんだ。手術の後、麻酔が切れたときより数段痛い。あまりの痛さに肩で息をしていると涙が出てくる。本当である。

 そんな苦しみ悶えるおれを、ヨメも子供たちも、なすすべもなくおれを取り囲むようにして見下ろしている。涙目で見上げたら、心配しつつも少し呆れた笑いが口の端に浮かんでいるような、そんな気がした・・・・・・。


見た目は変わりませんが、見事、大往生・・・・・・あ〜あ

2006.07.15
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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