「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
落人部落もこれぢゃぁねぇ・・・・・・湯西川温泉

 
会津滝ノ原のかつてと今

http://www.geocities.jp/ima19971019/  
http://stationworld.at.infoseek.co.jp/より
 東武鬼怒川と会津滝ノ原間が全通するまで、会津線はホント、いつ廃線になってもおかしくないような超ローカル線で、むしろ只見線の方が急行が走ったりして活況を呈していた(※)。

 今やスッカリ立場が逆転し、只見線は一日数本の列車が走るだけの寂しい路線となり、一方の会津線は第三セクター化されたものの、一大観光路線となってかなりの賑わいを見せている。寂しい終着駅だった滝ノ原は南会津観光の拠点となって、電車が行き交うよにまでなった。今年からは何でも栗橋のところで連絡線作って、JR⇔東武の相互乗り入れさえ行われるようになったらしく、新宿からでもスーッと行けてしまうんだそうな。
 道路も整備され、秘境中の秘境と言われた檜枝岐だって、その気になれば日帰りで出かけていくことも可能で、実に便利になった。

 さて、秘境といえば落人、落人といえば平家、と法律で決まってるようなモンだ。徳島の祖谷、熊本の五家荘、宮崎の椎葉・・・・・・全国には平家の落人伝説を伝える村があちこちにある。西国に勢力を張ってた平家であるから、どちらかっちゅうと西日本のほうが多い気がするが、東日本にもけっこう見かける。
 でも、落ち着いて考えると壇ノ浦で滅んだ平家の残党がヒョコヒョコ敗走して、何百キロも離れた山奥に逃げ込んだ、って筋書きにはいささかムリがあるような気がする。それなりに追討の軍勢は執拗だったろうし、オトコどもはともかく女子供までが峨々たる山に分け入っておめおめ逃げおおせれるものだろうか?
 実態としては、平家側に味方した地元の野武士が後ろ指差されていづらくなって、山に逃げ込んだくらいのような気がする。

 ・・・・・・と、落としておいて、今回のお題の平家の落人伝説で名高い湯西川温泉だ(笑)。

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 温泉自体の佇まいは、いい。大きな観光ホテルもあるけど、それはかなり中心街からポツンと離れて建ち、川沿いにどちらかといえば小規模な旅館がひしめく。どの旅館も川に面して、葦簀でちょっと目隠しなんかした数寄を凝らした露天風呂をしつらえてある。
 中心あたりの赤い吊り橋の下には無料の混浴の露天風呂、その対岸に古風な湯殿の寸志で入れる混浴の共同浴場があって、どちらも清澄な湯があふれてる。ま、前者の方は猛烈に熱いのとアブが多くてとてもマトモに入ってられないけど(笑)。

 つまり、コンパクトにまとまったいいロケーションの温泉地なのだ。ぢゃ、何がイカンのか?

 「落人」がイカンのである。全く似合わない。落人イメージで売るにはもはや開けすぎちゃってるのだ。冒頭に挙げたように、鉄道の開通によって文字通り「湯西川温泉」って駅までできた。ま、駅から温泉までは15kmくらいあって、ちょっとムリのあるネーミングではあるとはいえ、でも駅の名前にまでなった平家の落人部落なんて、ねぇ・・・・・・電車で源氏の追手がやってくるがな。

 なのになのに旅館の建ち並ぶ反対側には、平家イメージバリバリの施設や土産物屋が建ち並んでたりする。所在無げな観光客は何をするでもなくその100mほどの川沿いをブラブラしてる。強引に露天風呂に入ってたおれたちは、ずいぶん奇異の目で眺められたやんか。

 ・・・・・・などといいつつ、おれはすでにもう二度、ここを訪問している。いづれも南会津の湯ノ花温泉から安ヶ森林道を越えて行った。帝釈山に近い田代山林道ルートも取ってみたいのだが、こちらは初めて行ったとき、頂上付近のゲートが閉まってて引き返さざるをえなかったので、二度目も安全策で同じルートにした。

 無論、帰路をなるだけ短距離で帰りたいって気持もあったが、実を言うとまことにアホなコトに、おれはちょっとした落人気分を味わいたくてそんな林道による山越えルートを取ったのである。
 林道の福島県側はけっこうハードだった。クルマがハラこすったり、スリ傷が付くのに命が縮む思いの人には奨めない。そんな道を越えて行く湯西川は、寂しい秘湯でなくちゃならなかったのだ。

 ところがそうしてたどり着いたところが、至極平凡で、観光の手垢にまみれた単なる山峡の湯に過ぎなかったことが、いささか辛めの評価につながってる気がする。勝手に独りよがりに描いたイメージと違ってたからって怒ったらアカンよね(笑)。

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 思えば、かつてはそれなりに鄙びたいい佇まいを残しているところが多かったはずの群馬・栃木の温泉も、首都圏からのアクセスの進歩によってどんどん開けて観光地化され、情緒を失ってダメになって行った。それでもまだ、「けごん号」なんかで泊りがけで行った時代は幸いである。高速がつながり、新幹線が通ってどぉなったか?

 鬼怒川や川治の惨状を見ればよく分かる。一見賑わっているように見える塩原や那須にしたって、カーテンを閉め切って廃墟となった旅館は多い。

 話は変わるが関西時代、おれは岡山の湯原温泉によく行った。多分、同じ温泉地で最もたくさん泊まったのはここだろう。大きな温泉街だが、それなりの節度感があって好きだったのだ。そうこうするうちに米子自動車道というのができて近くにはインターもできた。

 おれは高速ができてしばらくした頃に再び泊まって、料理を並べる中居さんに尋ねてみた。

 -------高速できてお客さん増えたでしょ?
 -------い〜え〜、それがもうサッパリ。
 -------へ!?何でまた?
 -------いや、大阪からのお客さんなんて、高速できたからみんな皆生や玉造にまで行ってしまわれるようになりましてね。
 -------あらら〜。
 -------こっちは山で、名物たって「黒媛鯛」でしょ。あっちはカニとか日本海の海のモンですしねぇ・・・・・・

 「黒媛鯛」とはテラピアのことである。ぬるい湯が大量に湧くので、それを利用した養殖が行われてるのだ。片や日本海、片やエジプト原産の熱帯魚ではたしかに分が悪い。都会からの客をもたらしてくれるはずの高速道路ができて、しかし湯原温泉は寂れたのだ。

 ・・・・・・おれは、思う。

 便利至上主義は不毛で、便利と不便の間に幸福/不幸の分岐点はあるのだ、と。そのポイントを具体的に示せ、と言われても答に窮するけれど、ある。そしてそれを行き過ぎてしまうと、おれたちは不幸なんだ、ってコトをそろそろ知るべきだろう。

 湯西川温泉に話を戻すなら、けたたましい集客の道具とせずとも、落人伝説が違和感なくスーッと似合うくらいの辺鄙さが、おそらくはあそこの分岐点だったのではないだろうか?


 ※実際はかつてどっちも会津線と呼ばれていたのだが、便宜的に今の会津鉄道部分を会津線とさせていただいた。


2002年、二度目の訪問。

2006.05.03
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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