「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
川古温泉の記憶


この時の写真、あんまし残ってないんですよ・・・・・・

 群馬・三国街道沿いは猿ケ京のように俗化しまくった温泉もあるけれど、それなりの古い宿場の雰囲気を未だに保つ温泉も残っている。そういえば、つげ義春の傑作「ゲンセンカン主人」は湯宿温泉は大滝湯旅館での記憶をモチーフに創られたらしいし、彼の影響をモロに受けたと思われる菅野修は連作「三国峠」を描いてる。なしてナンギ系漫画家はかの地に惹かれるんだろう。

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 そんな古い面影を残す温泉場の一つに、街道筋から数kmほど離れた川古温泉がある。

 といっても「浜屋旅館」という一軒宿の建物は、改築なった鉄筋コンクリートでいささか風情には乏しい。大きな玄関、横に長いロビー、あと入湯料がけっこう高かったことくらいが記憶に残ってるくらいで、あまりさしたる印象はない。山あいのごく普通の中規模の旅館、といった感じだ。

 ここの特徴はなにより、低い泉温とそれによる長湯の習慣が残っていることだろう。泉質は石膏泉とのコトだが、ほとんど成分を感じさせない無色透明のクセのないものだった。
 行ったのは春まだ浅い3月、弱加熱とはいえ広い露天風呂はまだ少々寒い。はしゃぐ子供たちを急き立てて、早々に内湯に向う。男女別の内湯は加熱してあるようだが、混浴のその名も「ぬる湯」は体温くらいの源泉そのまま。多少ぬるかろうがなんだろうが、ここにジーッと入るのが流儀なんだろう、ってなコトで入ってみると先客がいた。

 年の頃は男が30過ぎ、女が30前くらい、といったところ。当時のおれとヨメの年齢の間に挟まるくらいに見えた(かなり年齢差あるのです)が、実際のところは分からない。「失礼しまぁ〜す」とか何とか簡単に会釈して入らせてもらう。
 浴槽は大した広さではなく、6〜7人で一杯といったところなので、おれたち一家が入るとほぼ定員一杯。相変わらず騒ごうとする子供に、「ここはな病気とかの人がユックリ入って治すトコなんや。ほやから騒がんと静かに大人しゅう入らんとアカンのや」などと因果を含めるが、いかんせんまだ幼児、そんな聞き分け期待する方が土台ムリがあるので、ゴチ!これがやはり手っ取り早い(笑)。

 そこで妙なことに気づいた。

 女性の方が全く身動きしないのだ。目も動かさない・・・・・・いや、視線があらぬ方をズーッと見ている。突然入ってきた騒がしい家族連れにシカト決めてる様子でもないし、二人でしっぽり乳繰り合ってたのを見られそうになって、苦し紛れにシレーッとした訳でもなさそうだ。
 そもそもその目には何も映ってないようなのだ。手にも足にも力が入っておらず、ダラーッと寝そべってるだけ。そんな地蔵、っちゅーかポーズからすると寝釈迦みたいなのを、男の方が甲斐々々しくいたわって世話してる。タオルがたまにずれて胸やら陰毛が見えそうになるのも、こまめにタオル引っ張ってやってた。

 ・・・・・・明らかにおかしい。

 おかしいが、ここは見た目が近代的なだけで、本質的には湯治場だ。湯治場とはどこかおかしい部分を抱えた人が療養の目的で来るのが本来正しいあり方なのだから、まったくもってこのカップルは正しい存在と言える、
 どこに問題があるわけでもないのに、ツマミ食いであちこちの温泉に入り倒す自分たちの方が、思えばよっぽどここには似つかわしくない。おお、おお、そうぢゃそうぢゃ。

 結局、小一時間ほどおれたちは、にわか湯治客のような神妙な面持ちで湯に浸かっていたのだった。ちなみに一時間なんてこのテのぬる湯ではまったく長湯のうちに入らない。ここ川古温泉の推奨する長湯は5〜6時間とのことである。

 ヨメも尋常でない雰囲気に気づいていたようで、湯から上がって服を着ながら、小声で訊いて来た。

 --------あの女の人、ちょっとヘンなことなかった?
 --------ああ、あれな。ありゃ多分、ちょっと狂ってはんのや。
 --------!?
 --------こ〜ゆ〜ぬるい湯は精神病に効く、っちゅわれてんねん。
 --------え〜!怖い〜。
 --------ほやかてしゃーないがな、あの人らはここに病気治すために来てるんやろから。

 そう、このような低い温度の風呂に長時間入る効能の一つに、「精神疾患」があるのだ。ぬるい泉温と水蒸気やイオン、そして人里離れた静かな環境の中でレイドバックすることに、昂ぶった神経の鎮静作用があるのだろう。
 しかし、残ってるわずかな写真を見てみると、効能は神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩etcとなっていて、どこにもそのような記述はないけれど。

 溺れる者は藁をも掴む・・・・・・恐らくは旦那であろうあの男性は、本当にそんな一心で、低温の温泉が精神疾患に効くことを聞きつけて、気の触れた連れ合いを温泉に連れて来てたのだろう。その信を誰が嗤えよう。

 7年前のことだ。

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 川古温泉のことを思い出すと、おれはいつも、あの男女が未だにあのままあそこで、あのぬるい湯に入り続けているのではないか、という奇妙な想念に捕らわれてしまう。

 ・・・・・・と、ここで終わっとけば、それなりに余韻もあるのだろうが、旅館を出てしばらくしてからのしょーもない会話を蛇足に添えて終わることにしよう。

 --------あのな、仙台の奥に定義温泉ってあんねん。
 --------どうしたん?
 --------いや、そこな、キチガイの名湯、ゆうてな、今はもう一般の宿泊客泊めてくれへんらしいのや。
 --------そんなトコ行きたいのん?
 --------いや〜、わし普段からこんなチョーシやろ、気ぃ狂たらそこに行かせてや。大手振って泊まれるがな。
 --------・・・・・・アホか。
 --------いや、だから、アホんなったら行けるんやがな、定義温泉。
 --------・・・・・・今すぐでも大丈夫やわ。おかしいわ、アンタ。

2006.05.03
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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