「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
記憶が色褪せ、消え失せる前に・・・・・・栃木温泉「小山旅課」


移築してリニューアルしてからのロゴ

公式ホームページより
 家族旅行がテント泊にシフトしてずいぶんな時間が経った。最初は「テントなんてあ〜も〜ビンボくせぇし、歯の浮くようなファミリー丸出しなん止めとこぉよぉ〜!」だったのがいつしか、リッパなアウトドア系ヲタ野郎である。最初は金がなくて、旅館の代用から始まった情けない経緯があるが、今はこれはこれ、の独立した世界があることも分かってきた。

 昔は旅館にしか泊まらなかった。なぜなら布団が大好きだし、黙ってても料理が用意されるからだ。安旅館で全然構わない。年に一度の旅行なら豪勢に張り込んでもいいけれど、一番多いときは年に5〜60泊してたから、そんなに金はかけてられない。それに2泊3日とかでも、大名膳にテンコ盛の和食の連続では、決して負け惜しみでも何でもなくツラい。

 しかし、あまりに安旅館過ぎると、何だか侘しすぎて料理も却って損なんぢゃねぇのか!?ってコトにもなりかねない。安けりゃ良い、ってワケではない。塩梅、とか頃合、っちゅうのは大事なもんなのである。
 当時、旅しながら体験的に編み出した法則は、「1泊2食で6,000〜12,000円の旅館で、8,000円くらいに泊まれ」というものであった。平日が休みだったから、土曜・休前日ならもうあと1,000〜2,000円高くなる。今の相場で言うとどうだろう?平日8,000円〜15,000円くらいの宿で12,000円ってカンジだろうか。

 ともあれそんな「8,000円の宿」は、おれの趣味を満足させてくれるところが多かった。大きすぎず、木造の古い作りを残し、団体やパックツアーの客にもあまり遭遇しない。仲居にベタベタ構われることもなく、料理は華美ではないけれど土地の物が適度に織り込まれ、布団も座布団も自然な厚み・・・・・・つまりはシミジミする宿である。

 前置きが長くなった。今日はそんな8千円の宿の中でも忘れがたい、そして今は喪われた栃木温泉「小山旅館」の移転前のかつての姿について触れてみたい。

 あらかじめ断っておくと、おれは何かここで特異な体験をしたわけでも何でもない。また、記憶違いもあるかもしれない。
 趣旨はホンマ、タイトルどおりだ。先日、ふと「あ〜、そぉいやあそこ良かったなぁ〜」と、15年前のここの記憶を手繰りよせようとしたのが、いろいろなディティールを忘れかけていることに慄然として、冗漫だろうが何だろうが、とにかく今覚えている限りのことを列挙してみたくなったのだ。後からしたためる備忘録、夏休みの終わりの日記、みたいなもんだな(笑)。

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 1991年秋、阿蘇から下ってきたおれたちは道路から入ってすぐの駐車場にクルマを停めた。宿ははるか谷底にあり、そこまでのダラダラ坂は歩いていかなくてはならない。坂道の入口には荷物番の爺さんが待機してて、カバンは道路脇の小さなゴンドラに手際よく載せられ、一足先にゆらゆらと宿の方に下っていった。その向うで丸く川床が落ち込んで滝が落ちているのが望まれる。「鮎返りの滝」である。

 崖にへばりつくように洋館風の古い三階建てがあって、その奥にいかめしく軒の重い入母屋をこちらに向けているのが本館らしい。黒光りする廊下、低い格子天井、フロントよりは「帳場」と呼びたい玄関横のカウンターに、これまたラウンジというよりは「談話室」と呼びたい古風な赤いビロードのソファが置かれたスペース・・・・・・典型的な古い日本旅館の佇まいだが、ここは一層古めかしさが際立っていた。それもそのはずで、訪問した時点ですでに何年も前から移転が決定しており、リニューアルに一切金かけていなかったからだ。理由はご多分に漏れずダム建設らしいのだが、肝心のダムは完成したのだろうか。

 おそらく長年にわたって増築を繰り返したであろう複雑な迷路状の廊下を、右左に曲がり、上り下りした先の突き当たりの角部屋に案内される。自分が一体何階にいるのかも分からない。火事になったら絶対に逃げられないな、こりゃ(笑)。
 入口に「九號」と旧字体で部屋札が下がっていたり、松と扇をかたどった灯り取りのくりぬき窓やそこに配された竹などが、昨今のポストモダンでバウハウス的な和風とは異なる、「野暮ったい風流感」を醸し出してるのもいい感じ。
 8畳の部屋は細かい桟の格子窓が鴨居の上にも一面にあって明るい。鏡台までが超レトロ。とかくこのような谷底の旅館にはどことなくジメッとした印象がつきものだが、不思議にこの部屋はそのような湿り気を感じさせなかった。
 窓からは谷川と空気抜きのある湯殿の屋根が見える。屋根は苔むして深緑色の複雑な模様を描いていた。

 浴衣に着替えて玄関に戻り、土俵や木製のブランコなど、今時ちょっと見かけない遊具が並ぶのを横目に行くと、旅館からずいぶん遠く離れて、滝を望むあたりに露天風呂。ちゃんと入ったのだが、混浴だったか別浴だったか忘れた。さらにその向うにプールがあったような気がするが、ちょっと記憶に自信がない。最初に見た3階建てはどうやら自炊棟のようで、売店や昔ながらの鋳物のポストが設けられていたりする。

 部屋の隣、急な木の階段を下ったところにある「熱湯(たでゆ)」と名づけられた大浴場も、その手前の家族湯も、室内のほとんどが浴槽で、洗い場が極端に狭い古色蒼然としたもの。入口近くにはメチャクチャ古い分析表が掲げられていた。そぉいやこの風呂に行くには必ずおれの泊まった部屋の前を通らねばならないのだが、そんなに人の行き来する足音は聞こえなかった。宿の大きさ、あの日の浴衣着た泊り客の数からすると、ひょっとしたら他にも浴室はあったのかも知れないが、その辺の記憶は定かではない。
 ご飯が木のおひつに入ってたことだけは覚えているが、食事の中身もすっかり忘れた。布団はどうだったっけ?夜はえっちに励みまくってたからなぁ・・・・・・ん?部屋から玄関までの雰囲気は?スリッパは?お土産は?

 ・・・・・・「古めかしかった」こと以外、みんなみんな忘れてしまった。もっと写真撮っとけばよかった。

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 移転はしたが、小山旅館自体は今でもリッパにある。元の谷底近くからかなり山の上の方に場所を移して建て直されたのだ。公式ホームページも存在する(http://www.oyamaryokan.com/)。ちょっと画像が小さいのと、ページ構成がアッサリしてるのが、読みごたえの点で残念。ちなみに「1日5組限定」の条件はつくものの、平日なら1泊2食11,550円で泊まれるし、ページを印刷していくと10%引きになるそうな。「ぐるなび」みたい(笑)。

 蛇足ながら最後に申し添えておくと、ここ、お値段こそリーズナブルだが、創業350年の伝統を誇る老舗にして、過去には各界の名士が浴客として数多く名を連ねる、いわゆる「名旅館」でもある。おれが好んで取り上げるトホホ系ではない。したがって、そぉゆうことにアテられやすい人にもオススメしておきたい。

2006.04.16
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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