「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
穴が好きっっ!!


あぶくま洞にて。どうでもいい名前ですね〜。


 ・・・・・・ったって別にシモネタを振るワケぢゃない。なぁーんて断りを入れる時点ですでにオッサン入りまくりなんだけど、とにかく今日はそぉゆうハナシぢゃない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 温泉は今さら言うまでもないけれど、おれは洞窟の類も大好きなのだ。鍾乳洞、鉱山の坑道は言うに及ばず、防空壕や秘密基地、採石場、はたまたお寺の胎内巡り、古墳の横穴、いやもうトンネルだってかなり好きだ。
 まぁ、温泉ほどの快を伴わないし、また温泉以上に余人に理解されず、孤独をかこつのもつらいので、穴系だけを狙って出かけることは、まず、ない。でも、いつしか気づけば、旅先で鍾乳洞や鉱山跡を見つけると立ち寄らずに入られなくなってしまっていた。

 何でそんな暗〜い穴が好きになったのか?決定的な理由は自分でもよく分からない・・・・・・初めて行った旅行らしい旅行である小学校の林間学校で、吉野は洞川の「五代松鍾乳洞」って小さな洞穴に入った経験がルーツかも知れないし、地図を飽きず眺めているうちに諳んじるようになった鉱山・炭鉱に対する憧憬かも知れない。鉄道マニアの終着点の一つ、ナローゲージに関する多くの画像を見たこともそれをさらに強固にした気がする。
 はたまた、岩波少年文庫版で読んだ「古事記」の黄泉平良坂の話や、糸魚川の垂直鍾乳洞にケーヴィングする話、今さらここで書くまでもないが鍾乳洞を舞台にした、トリックよりも伝奇性にすぐれた「八つ墓村」の読書体験(なんて書いたが、最初に読んだのは影丸讓也のマンガ版だったかも、笑)、あるいは夏になったらよくやってたオカルト番組でみたトンネルの幽霊の話(たしか愛知の伊勢賀美トンネルだったなぁ〜)。

 もちろん、単におれが暑がりで、手っ取り早い涼を求めてる、っちゅうのもあるんだけどね。ともあれ、驚きやロマン、スリルや恐怖、そして郷愁・・・・・・色んな要素がないまぜになって、何だかよく分からない穴好き野郎の出来上がりである。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、そのような穴の愉しみ方だが、特段変わったことをするわけではない。たいていの場所は有料なので、入口で入場料払って冷気の吹き出してくる暗い中に入っていく。ことに鍾乳洞と鉱山跡は何でこうも没個性なんだろう?と思ってしまうくらい、日本中どこ行っても同じだ。

 鍾乳洞ならば、ぽたぽたと地下水が滴り落ちる中、あちこちにそれらしい名前がつけられてある。「千枚田」「千畳敷」「クラゲ岩」「月の宮殿」「**観音」「ナントカの柱」etcみたいなヤツね。見た目はダリの絵のようにグニョグニョと柔らかそうだが、岩だから固いし意外にザラザラした肌理の鍾乳石や石筍。無表情な案内テープの流れる薄暗い中をトコトコと歩くだけ。
 説明書きもワンパターンで、やれ石筍は1cm伸びるのに100年かかるだの、縄文人の住んだ跡があるだの、猟師が犬を洞内に放ったら何十キロも離れた山から出てきただの、とたいていこれもいっしょ。

 鉱山跡もワンパターンだな。「通風洞」なーんて名前の閉山の最期まで残った主要坑道が入口になっていて、その前にはやる気のない土産物屋や児童遊具。一歩坑道に踏み込めば足元には埋められたトロッコの線路の跡。湿気で錆だらけになったバッテリーカーや鉱車、削岩機に混じって古びたマネキンが奇妙に浮いた視線で作業服着てドカヘルかぶって並ぶ。あるいは急に江戸時代にタイムスリップして、妙に白人顔のクセに月代の伸びた丁髷姿でマネキンが金づちふるってたりする割には、戦時中の負の歴史のことは慎重に隠匿されてたりもする。ところどころにあるチープな発破の仕掛け、日本の産業振興に大いに寄与した過去の栄光を物語る色褪せたセピアの写真群、鉱物標本、「坑道の総延長は東京⇔福岡に匹敵する距離がありました」なんて案内、砂金すくい体験・・・・・・思い出さえもが滅び行く世界。

 つまり、今さら行ったって何の新鮮味もないのだ。ワザとらしいチャチな仕掛けや説明があればあるほどに風景は空々しい。穴は異界の入口でも何でもない。その向うに「常世」や「ニライカナイ」があるのは諸星大二郎のマンガだけだ。んなこたぁ百も承知だ。それでもおれは入らずにはいられない。そして、いつも穴から出てきたとき、暗い虚無の奥にあったはずの何かを見そこねたような、拾って来そこねたような気分になる。
 ・・・・・・そりゃぁ単にオマエが貪婪なんだよ、って!?(笑)そうかも。

 強欲ついでにつけたすと、温泉については昔からかなり詳細に記録を取っていたけれど、穴については、自分にそこまで穴好きの自覚がなく、全然無頓着だったため、どれほどあちこち行ったのかはマトモな記録もなく、かなり忘れてしまった。ちょっともったいないことをしたなぁ(笑)。
 ちょっとこれからは、記録しなくちゃな。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・てな風に書き掛けで数日ほったらかしてたら、またもやシンクロニティだ。

 毎年恒例にさせていただいている菅平ツアーの二日目が、2月とは思えない豪雨でコケて、おれ達一行はにわか仕立ての観光ツアーとあいなった。長野といえば善光寺である。
 「牛に引かれて善光寺参り」で有名な、元々は天台宗の流れを汲むらしいこの寺は、最近坊主初の労働組合ができたとかで新聞沙汰にもなっていたのだが、とにかく日本有数の巨大な古刹である。仁王門くぐってもまだ両側に土産物屋が櫛比する参道を行くと、これまたでっかい本堂がある。寺の境内と町が一体になって溶け合ってるようだ。
 その戒壇下に、「胎内巡り」があった。どこの胎内巡りもそうであるようにやはり、内陣脇の急な梯子段を下り、粘りつくような空気のただもうひたすら真っ暗な闇の中を行くと、大きな錠前らしきものがかかった扉か何かの前に出る・・・・・・それだけ。シブいアトラクションだよなぁ〜(笑)。

 こうして久しぶりの胎内巡りをしながら、ひとつ思い出したことがある。

 そぉいやおれは帝王切開で産まれたのだそうだ。案外、それでなくてもチョンボの多いこの人生において、今は無意識の淵に沈んだ、この一等最初のしくじりの代償行為を、おれは知らず知らず続けてるのかも知れない。

 でもまぁ、そんなこたぁどうでもいい。くだらぬ因果律だ。


降りしきる雨の中、黒くそびえる善光寺本堂

2006.02.26
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved