「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
フルムーンも今や昔

 もう何年前になるだろう。ずいぶん旧聞に属するが、元祖「フルムーンパス」のポスターで上原謙と高峰三枝子が浸かっていたのが、今回紹介する法師温泉の一軒宿「長寿館」の大浴場だった。二人とももうとっくに鬼籍に入ってる。古いハナシだ。
 もうちょっと最近の話では、小栗康平の「眠る男」、とゆー映画のロケ地にも選ばれている。そんなことより何より、ここが巻頭を飾った温泉ガイドは数知れず、とゆー風に超有名な「秘湯」の一つなのである。困ったモンだ。「有名な秘湯」なんて矛盾してるもんな〜。

 国道17号線は、三国峠を越える古い街道である。今は主役を関越道に譲り渡してスキーシーズンが混み合う程度となってしまった。沿道には多くの温泉があって、猿ケ京なんぞはそうとう規模も大きいが、たいていは路傍に数軒の宿の固まる小さな温泉場ばかりである。

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 でっかい看板を目印に国道をはずれ、谷底の川沿いの道をひたすら走るとあっけなく到着。正直なところ、あまりにもアプローチがラクなので拍子抜けしてしまった。
 何度も写真やTV番組で見た、軒の重い古風な木造旅館である。離れと母屋をつないで中二階を渡る木の回廊も、湯治場の雰囲気を盛り上げるには欠かせないストラクチャーの一つだろう。敢えて建物の周りは舗装してない様子で、玄関の「JTB」や「日本旅行」といった指定旅館の小さな看板が無ければホント、時代劇のセットみたいだ。

 これで静かなら最高なのなのだが、行ったのは3月の終わり。春スキーの帰りとおぼしき連中(・・・・・・とはいえおれもその中の一人だったのだけど)で館内はごった返している。ここも日帰り入浴時間は昼間の数時間と極端に短い。とは申せ、伝統格式料と雰囲気料を考えれば、案外入湯料は安い方なのも人気の一因かも知れない。

 能書きはともかく、まずは入る。大浴場に到る廊下も人がウジャウジャいる。その人並みを文字通りかき分けるようにして大浴場に到着。湯殿と呼ぶのが似つかわしい浴室は1つに8人ほどが入れそうな升目で6つに仕切られた浴槽の両側に脱衣棚っちゅう、非常に古典的なタイプ。信州以北の湯治場では比較的よく見かける気がする。そぉいやぁつげ義春のヘンなエッセイ「夢日記」にも、このテの風呂の話が出てきたっけ。
 たぶん単純泉か石膏泉だろう、透明で熱い湯がドバドバ湧いている。飲んでみたけど特に味はなかった。小石が敷き詰められた底からも湧いていた。

 う〜む、それにしても引きもきらずやってくる人の何とかますびしいことか。ガキ、まぁこれは仕方ない。おれの豚児どももしかり。因果な親のところに生まれたせいか、温泉はまぁ、大好きである。いくら叱ってもキャーキャー走り回る。これは親の不徳を恥じるべきところだろう。
 しかししかし、だ!!もっとも始末に負えないのが「オバハン」であることは、ここも例外ではない。それも徒党組んだ奴等!

 以前は外国で札ビラで顔ハタいて顰蹙買うのが「オッサン」、尻が軽くて入れ食いなのは「ギャル」だったが、こやつ等がバブル崩壊以降、リストラや成果主義の導入、あるいは正社員採用の抑制とかで、イマイチ精彩を欠いてるのに対し、未だオバハンは強い。日本の観光地、あるいは昼飯時の首都圏のレストランやケーキ屋に徒党を組んで現れては、奇声を張り上げて跳梁跋扈し、ナサケ容赦なく「雰囲気」や「品位」というはかないものを蹂躙して暴れ、蛇蝎のごとく忌み嫌われるのが「オバハン」に他ならない。とにかくタチの悪さではピカイチと言えよう。

 恥ずかしい恥ずかしいとかピーピー騒ぎよってからに!女子専用浴室と混浴の大浴場の間をワガモノ顔でウロウロするその姿の方がよほど恥ずかしいわいっっ!!オマエ達のせいで、脱衣場のスノコがビチョビチョになってしもたやんけ!!
 だまって堂々と脱いで入ったヨメ、およびその他数組のカップルの女性の相方の方がズ〜ッとマトモと言えるだろう。

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 ・・・・・・とまぁ、ずいぶんぶち壊しだったけど、それでもこの法師温泉、古いもので無ければ醸し出せない雰囲気が随所にあふれていたノも事実である。荒俣宏の名言に「どんなゴミでも100年経てば宝物だ」ってーのがあるけれど、その言葉をエールとして今回はこれでおしまい。



附記
 書類を整理してたら、関東に越してきた当時に書いたものが新たに発見されたので、大幅に加筆修正して今稿とした。
Original 1998 2006.02.11
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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