「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
これはこの世のことならず・・・・・・川原毛地獄


川原毛地獄案内看板

 昨夏に訪問して以来ずーっと、陽炎だか地熱だかの向うに揺らいで見えた、あまりに時代離れした泥湯温泉の佇まいのことを書こうと思ってたのだけれど、年末に大変不幸な事故が起きてかの地は一躍有名になってしまった。なんだかそのせいで却ってタイミングを逸した、っちゅうか、今書くとあざとい、っちゅうか、どうにも書く気が起こらない。

 なもんで、その隣に当たる川原毛地獄についてまとめてみよう。

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 泥湯も相当広い白土化した地熱地帯、いわゆる「地獄」の上にあるのだが、小さな稜線を一つまたいだ向うの谷間に広がる川原毛地獄は巨大である。下流にはカムイワツカとならぶ有名な大きな湯の滝がある。こういった場所が必ずそうであったように、かつては硫黄鉱山だったらしい。

 ここは日本三大霊地の一つと言われる。残り二つは恐山と立山らしい。ちなみに三大霊場は高野山・比叡山・恐山、三大地獄は恐山・立山・川原毛なので恐山強し!ってトコだろう。後生掛の広大な地獄が含まれないのはちょっと惜しい。ところで霊場と霊地の違いって何やねん??宗教施設の有無か??
 ともあれ日本には自然物に神が宿るってアニミズムの伝統があるので、そのような魁偉で異様な場所が神聖視、あるいは異界・冥界への入り口と見なされたことは想像にかたくない。かつて日本には到る所に結界、サンクチュアリが見えない網の目のように張り巡らされ、人はあるときに恐れ、またあるときにはすがり、またあるときには日常のさまざまな抑圧をそこで解放したのだ。おれはそのような「祝祭の空間」が大好きだ。

 最上部から見下ろすと相当の高低差があり、はるか下にまで地獄が広がっているのが望まれる。ありゃ〜、「死出の山路の裾野なる、賽の河原の物語・・・・・・」って〜くらいで、これぢゃおれ達は冥府の奥からやってきたことになるなぁ(笑)。
 よく、一木一草も生えぬ、と形容される真っ白な荒地のあちこちから噴気が上がり、その周囲だけが僅かに硫黄で黄色く染まる。ところどころに戯れの石積みもある。そんなのを眺めながら、ボロボロと崩れやすい遊歩道を下って行くのだが、帰路はその分登らにゃならんと思うと気が重い。
 あたりはそれぞれにもっともらしく「**地獄」などと名前が付いているようだが、おれには単にだだっ広い白土地帯にしか見えなかった。件の湯滝はかなり下流の方になるのだろう。水気らしきものがまったく見当たらない。こんなんなら遠回りしてでもクルマで麓の方から回り込めばよかった。

 それにしても土産物屋はおろか観光施設らしきものがほとんど見当たらない。白土地帯を下りきった末端に、わずかに駐車場と無料休憩所、東屋、巨大な地蔵が立つだけ。自動販売機さえない。ひょっとしたら電気が来てないのかもしれない。しかしそれもまた、この寂しい景色には似つかわしい・・・・・・などとスカした感慨を抱いている場合ちゃいまんがな!!家族でペットボトル6分目くらいしか手持ちのお茶が残ってないのだ。照り返しの強い炎天下、とにかく暑い。オマケに硫化水素臭が強い。日差しのせいで陰々滅々とした陰惨さはないが、影に乏しいしらっ茶けた世界は、それはそれで酷薄だ。
 しかしここまで来た以上、引き返すのも悔しい。意地でも湯の滝まで行かねば。駐車場から先は緑も深くなり、熱湯の流れる渓流沿いをダラダラとさらに下り、最後に流れから離れて巻いて降りたところで到着。歩き始めて約40分、あっけなかった。

 いや〜!リッパリッパ。高さ20mはあろうかと思われる滝が2条、結構な水量(湯量?)で流れ落ちている。かつて訪ねた知床のカムイワツカや函館近くの恵山と非常に似ている。乾いた部分が滑りやすく、逆に濡れた部分ほど滑らない白い岩肌、透明だが毒々しく緑がかった泉質・・・・・・間違いなく強酸性だろう。

 ・・・・・・ま、観察は後からいくらでもできる。入るのが何より先決ぢゃ。大水の際の水位上昇を避けるためか、対岸の少し高いところに立てられたベニヤ作りの粗末な脱衣場にてそそくさと準備完了・・・・・・ったってハダカになるだけなんだけどね。それにしても鍛えてるだけあって、ウチの家族はホントみんな服脱ぐのが速いなぁ〜。

 近づくと轟音を上げて落下する滝の勢いは想像以上に激しい。ウワ!やっぱし酸性泉。ビチビチと飛び散る飛沫ですでに身体がチクチクし始める。髪の毛脱色されそう。インキンタムシシラクモトビヒにミズムシ白ナマズ・・・・・・漢字で書くとややこしく、見てるだけで痒くなりそうな皮膚病もイッパツで治るだろう。あ、言っとくけどおれにはない。
 上流では沸点近い温度だったのが、流れる間に自然に冷やされて、結構な適温。滝つぼが深く、おれ以外は溺れる深さなのと、酸ゆえに飛沫が目に入るとメチャクチャにしみるのが難点だが、あまり訪ねる人もなく、人の手も加えられない雄大な野湯を快適に愉しむことが出来たのだった。

 ちなみにこの湯の滝をさらに下ったところは、地獄にちなんで「三途の川渓谷」と名づけられている(笑)。バッドテイストでいい。血の池地獄、っちゅーのも案内板では近くにあるらしかったが、よく分からなかった。森の奥にはかつて存在した温泉宿の跡もあるみたいだ。

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 下った分だけは登らなくちゃならない。予想通り帰りは辛かった。いつの間にかみんな口数が減って黙々と登っていく。相変わらず照りつける陽光に、白い地面の照り返しがまぶしい。White Light/White Heat、なんちゃって。手持ちのお茶はすでになく、クルマまで我慢するしかない。

 ・・・・・・信心深く、またアメニティの少なかった昔の人にとって、ここは霊的な交信場所であると同時に天然のテーマパークだったのかも知れない。無論、テーマは「地獄・極楽」。鈴を鳴らし、御詠歌を唱えつつ、鹿爪らしい名前のつけられた地獄を丹念に巡る・・・・・・それって、ウォークラリーみたいなもんだな。そしてこの荒涼とした世界に地獄の顕現を見、救済を求める・・・・・・温泉つきで。後楽園ゆうえんちにスパリゾート「ラ・クーア」がくっ付いてるのに似てる気がする。
 これはこの世のことならず・・・・・・暗い意味だけでなく、ひと時のファンタジーを与えてくれる「場」としても、ここは機能していたのだろう。ちょっと抹香臭いのはしかたないとして。

 ・・・・・・いささか不謹慎なことをあれこれ考えているうちに駐車場が見えてきた。ひと時の異界巡りは終わり、クルマに戻ったおれたちは、寂しい山道を秋ノ宮に向けて走り始めたのだった。


【附記】本稿のタイトル、ギャラリーの方で一部引用した「地蔵和讃」は以下のような内容である。かなり長いが全文を紹介してみよう。使われている単語からして割と近世のヴァージョンと思われる。盆踊りの口説き、義太夫の語り等に共通する「そんでそんで?次は?」ってな調子で聴き手をグイグイ引き込んでいく五七調の言葉運びが印象的。「きょうだい心中」のメロディーのままでいいから、山崎ハコに歌って欲しい。

     帰命頂礼地蔵尊 無仏世界の能化なり

     これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり
     この世に生まれし甲斐もなく 親に先立つありさまは 諸事の哀れをとどめたり

     二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが さいの河原に集まりて 苦患を受くるぞ悲しけれ
     娑婆と違いておさなごの 雨露しのぐ住処さえ 無ければ涙の絶え間無し 河原に明け暮れ野宿して
     西に向いて父恋し 東に向いて母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり
     悲しさ骨身を通すなり

     げに頼みなきみどりごが 昔は親のなさけにて 母の添い寝に幾度の 乳を飲まするのみならず
     荒らき風にも当てじとて 綾や錦に身をまとい その慈しみ浅からず
     然るに今の有様は 身に一重さえ着物無く 雨の降る日は雨に濡れ 雪降るその日は雪中に
     凍えて皆みな悲しめど 娑婆と違いて誰一人 哀れむ人があらずなの ここに集まるおさなごは 小石小石を持ち運び
     これにて回向の塔を積む

     手足石にて擦れただれ 指より出づる血のしずく からだを朱に染めなして
     一重つんでは幼子が 紅葉のような手を合わせ 父上菩提と伏し拝む
     二重つんでは手を合わし 母上菩提と回向する
     三重つんではふるさとに 残る兄弟我がためと
     礼拝回向ぞしおらしや

     昼は各々遊べども 日も入相のその頃に 地獄の鬼が現れて 幼き者の側に寄り
     やれ汝らは何をする 娑婆と思うて甘えるな ここは冥土の旅なるぞ
     娑婆に残りし父母は 今日は初七日、二七日 四十九日や百箇日 追善供養のその暇に
     ただ明け暮れに汝らの 形見に残せし手遊びの 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆き
     達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかと 酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの
     責め苦を受くる種となる

     必ず我を恨むなと 言いつつ金棒振り上げて 積んだる塔を押し崩し
     汝らが積むこの塔は ゆがみがちにて見苦しく かくては功徳になりがたし
     とくとくこれを積み直し 成仏願えと責めかける

     やれ恐ろしと幼子は 南や北や西東 こけつまろびつ逃げ回る
     なおも獄卒金棒を 振りかざしつつ無惨にも あまたの幼子睨み付け 既に打たんとするときに
     幼子怖さやる瀬無く その場に座りて手を合わせ 熱き涙を流しつつ
     許したまえと伏し拝む

     拝めど無慈悲の鬼なれば 取り付く幼子はねのけて
     汝ら罪なく思うかよ 母の胎内十月の内 苦痛さまざま生まれ出て 三年五年七歳と
     わずか一期に先だって 父母に嘆きを掛くること
     だいいち重き罪ぞかし

     娑婆にありしその時に 母の乳房に取りついて 乳の出でざるその時は 責まりて胸を打ち叩く
     母はこれを忍べども などて報いの無かるべき 胸を叩くその音は 奈落の底に鳴り響く
     父が抱かんとするときに 母を離れず泣く声は 八万地獄に響くなり

     父の涙は火の雨と なりてその身に振りかかり
     母の涙は氷となりて その身をとずる嘆きこそ
     子故の闇の呵責なれ

     かかる罪とがある故に さいの河原に迷い来て 長き苦患を受くるとぞ 言いつつまたもや打たんとす
     やれ恐ろしと幼子が 両手合わせて伏し拝み 許したまえと泣き叫ぶ 鬼はそのまま消え失せる
     河原の中に流れあり 娑婆にて嘆く父母の 一念届きて影映れば
     のう懐かしの父母や 飢えを救いてたび給えと 乳房を慕いて這い寄れば
     影はたちまち消え失せて 水は炎と燃え上がり その身を焦がして倒れつつ 絶え入ることは数知れず

     峰の嵐が聞こえれば 父かと思うて馳せ上がり 辺りを見れども父は来ず
     谷の流れの音すれば 母が呼ぶかと喜びて こけつまろびつ馳せ下り 辺りを見れども母は無く
     走り回りし甲斐もなく 西や東に駆け回り 石や木の根につまづきて 手足を血潮に染めながら
     幼子哀れな声をあげ もう父上はおわさぬか のう懐かしや母上と この世の親を冥土より
     慕い焦がれる不憫さよ

     泣く泣くその場に打ち倒れ 砂をひとねの石まくら 泣く泣く寝入る不憫さよ
     されども河原のことなれば さよ吹く風が身にしみて まちもや一度目をさまし 父上なつかし母ゆかし
     ここやかしこと泣き歩く

     折しも西の谷間より 能化の地蔵大菩薩
     右に如意宝の玉を持ち 左に錫杖つきたまい
     ゆるぎ出てさせたまいつつ

     幼き者のそばにより 何を嘆くかみどりごよ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり
     娑婆と冥土はほど遠し いつまで親を慕うとぞ 娑婆の親には会えぬとぞ
     今日より後は我をこそ 冥土の親と思うべし
     幼き者を御衣の 袖やたもとに抱き入れて
     哀れみたまうぞ有難や

     いまだ歩まぬみどりごも 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御肌に 泣く幼子も抱き上げ  
     なでさすりては地蔵尊 熱き恵みの御涙 袈裟や衣にしたりつつ
     助けたまうぞ有難や

     大慈大悲の深きとて 地蔵菩薩にしくはなく これを思えば皆人よ 子を先立てし人々は
     悲しく思えば西へ行き 残る我が身も今しばし 命の終るその時は 同じはちすのうてなにて 導き給え地蔵尊
     両手を合して願うなり

     南無大悲の地蔵尊 南無阿弥陀仏阿弥陀仏

 
地蔵和讃はhttp://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/より


湯滝入湯。ギャラリーとは別のショットで。

2006.01.22
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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