「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
夕景の海にポンプの音が響く

 20何年前、沼津から出てる連絡船に乗って初めて訪ねた西伊豆の風景は、おれに強い印象を与えた・・・・・・ったって、友人たちと4〜5泊、土肥の手前の戸田っちゅー小さな漁村の民宿に泊まって、日がな一日海で遊んでただけなのだけどね。
 それでも戻ってしばらくして、その時見た色々な風景を再構成し、そこを舞台として、まったくの創作で小説らしきものも書いたりしたくらいだから、ものすごくインパクトがあったものと思われる。あ〜、今思い出すとムチャクチャ恥ずかしい。

 ま、それくらいあの時の海村の風景は、真夏の強い陽光とともに、妙におれの中に刷り込まれたのだった。

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 そんな西伊豆の、松崎から少しさらに南下したところに「雲見」という集落があって、そこに入る手前に無人の露天風呂がある。初めて訪れたのは、上に書いた初訪問の5年後、秋の終わりの頃だった。

 大体において急峻な海岸べりの道というのは、村以外は海岸線の高い所を通っていて、村の前後でグネグネと曲がりながら波打ち際に向かって下っていくことが多い。そんなかなり高くなったところから道路を外れ、急な踏み分け道を下ると、小さな入江状になったところにコンクリートの小屋がポツンとある。

 それがその露天風呂の脱衣場(?)。小屋は元々なんだったのかは知らないが、完全に朽ち果てており、内部はがらんどうで何の調度もない。イラクやパレスチナの戦闘があった後の建物を連想させる。左右振り分けで壁が仕切られてるところからすると、大昔は男女別のそれなりにリッパな施設だったのかもしれない。石造りの露天風呂はその外側にあって、もうすぐ真下は海だ。

 ぬるい食塩泉が湯船に大量に流れ込んでいる。なんぼのぼせやすい食塩泉とはいえ、こうも泉温が低いとなかなか暖まらない。だからじっくり浸かるしかない。
 裏手のこれまたオンボロのポンプ小屋から聞こえてくる揚上ポンプの音と、あとは波の音がわずかにする程度。傾いた西日が正面に見え、港に戻っていくのだろうか、小さな漁船がオレンジ色に光る海を横切って行ったりする。いい雰囲気だ。

 どんなに民芸調にしつらえたって、周囲のロケーションに優るものはないのだ。

 それから何度もここは訪問した。次に行った時はヨメがいっしょ。その次は子供たちもいっしょ。相変わらずコンクリの小屋はボロボロのままだが、近年新たに源泉が掘削されたのか、湯の温度が少し高くなって、寒い季節でも入りやすくなった。
 それはありがたいが、昔より有名になったせいか、最近は独り占めにしてゆっくり入っていられる機会は減ったように思う。

 そうそう。不思議なことにここの印象はいつも夕暮れ時だ。初回訪問時は残念ながら写真を撮り忘れたのだが、前後の画像から判断するに、16時前後とそれほど遅い時間ではなかったようだし、その後訪れた画像でも、必ずしも全てが夕方ばかりではなかったことも明らかだ。
 なのに、おれの異化された記憶の中で、雲見の露天風呂はいつも、少し寂しげな夕景にトントンとポンプが響いてる。記憶なんて勝手なモンだわ、ホンマ。

 ???・・・・・・おめぇ見たんぢゃなかったの?

 ちょっと弁解させてもらおう。

 --------荒海や佐渡によこたふ天の川

 俳聖・松尾芭蕉の有名な句だが、これがリアルなルポでないコトも有名なハナシだ。この句が詠まれた高田での当日天気は雨だったし、最近のちょっとヲタともいえるテクストクリティークによって、そもそもこの時期に天の川が佐渡に横たわるように見えることは絶対ないコトも判明してる(ってーか、一年を通じてないらしい)。
 つまりこの作なんてもう、完全なデッチ上げである。しかし、そこから文芸は始まるのだ。世阿弥ぢゃないけど虚実皮膜、っちゅーもんだな。ホントのことだけ書き連ねても仕方あらへん、って。

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 とまれ、初めて入って以来ずいぶん年月は経ったが、周囲の風景はまったくといっていいほど変わらない。ヘンに手を入れず、これからも朽ち果てたままのボロボロの状態でいいからあり続けて欲しいと思う。


 最後に、この先の村である雲見温泉についても、ちょっと触れておこう。

 至極平凡な漁村に小さな旅館や民宿が散在する程度で、別に温泉街があるわけではないが、何もなさが却っていい雰囲気で落ち着ける。どこも自家源泉ではなく、引き湯しているしているみたいだ。
 おれは「長右エ門」って民宿に泊まったが、値段からは想像がつかないくらいの魚貝類が出されたのはうれしい驚きだった。

 ちなみにキャンプでも2度ほどこのあたりでは泊まった。しかし、海沿いはあまりオススメしない。というのもこの辺りは、オートキャンパーに人気は高いのに、国立公園内だかなんだかでキャンプ場が厳しく規制されているため、サイト数が根本的に不足しているのだ。その結果、設備のわりに値段が猛烈に高かったりする。

 加えて、キャンプ場以外でのテント設営は厳禁。勝手に海沿いでテント張ってると、撤去を命じられるのでご注意を。では。

2005.09.27
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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