これからおれの語る臼別温泉はもう存在しない。建物は取り壊され、露天風呂もなくなったそうだ。今では跡地に、町営か何かの何の変哲もない無人の男女別になった共同浴場があるだけだという。
大げさな言い方だけど、あの光景は永久に喪われてしまったのだ。今は手許に残った数葉の写真を元に、記憶をたどるしかない。
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朝、雷電朝日温泉を発ち、途中温泉によりながら瀬棚を過ぎ、遠くに奥尻島を望む海岸線から遊楽部岳目指して林道を入ったところに臼別温泉はあった。もっと厳しいアプローチを想像していたら、道は舗装されてはいないものの川に沿った平坦な道で、案外あっけなく到着した。
かなり古びた羽目板作りの建物がある。全く温泉宿には見えない。玄関脇の看板がなければ、営林署の詰所と見間違えそうな雰囲気だ。
--------ゴメン下さい〜!
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返事がない。何度も大声を張り上げたが、煙に燻された匂いの染み付いた館内は静まり返っている。
困った。今日は朝から宮内・宮内奥・千走川と、それでなくても楽しみにしてたトコが三タテでコケてるのだ。加えて道内はおろか日本でも数少なくなったランプの宿であるここを落とすのは、なんとも忍びない・・・・・・黙って入ってこましたろうか!?(笑)
玄関先でいろいろ思案に暮れていると遠くからクルマの近づいてくる音が聞こえてきた。やった!宿の主人が帰ってきたのかもしれない。
・・・・・・到着したのは1台の札幌ナンバーのマイクロバスだった。「わ」ナンバーなのでレンタカーらしい。
中からドヤドヤ出てきたのは中年のオッサンばかり十数名。いでたちからするに釣り人らしい。みんなワーワー言いながら真っ直ぐみんなこっちに向かってくる。多少酒も入ってるみたいで、おれの姿なんかまったくアウトオブ眼中って雰囲気。
--------おぉ〜い!ジジィ!おるかぁ!?
--------こらぁ〜っ!死んどるんかぁ〜っ!?
--------ウワハハハハ〜!死んでるかもな〜!
--------おるんやったら返事せんかぁ〜っ!
--------ホントに死んでたりしてなぁ〜!
--------ウワハハハハ!あのジジィならあるかも知れん。
--------おう!もう入ろ入ろ!!
--------みんな、上がれ上がれ!!
アッパーでテンション高くて、何かほとんど言葉を挟める雰囲気ではない。
--------あ、あの・・・・・・
--------ん!?オニーサンもいっしょに来たらエエ。
--------え!?いいんですか。
--------あ〜、いい!いい!
オッサンたちに気圧されながら、おれは後についていった。玄関を上がって真っ直ぐ行った突き当りが浴室。手前の通路にズラッと灯油ランプのホヤが並べられてるのが目についた。
混浴の内部は、湯船が一つだけのいたってシンプルで古典的なもの。その外に丸い露天風呂がある。湯は薄い灰褐色で塩味が強い。小さな沢の向う岸の崖の上から、竹を半分に割った樋で注ぎ込まれているのが変わっていた。
件のオッサン達は見た目どおりやはり釣り仲間で、ココの常連。マイクロバスを仕立ててたまに札幌からやってくるのだという。貸し切り状態の風呂の中でもみんな終始上機嫌で、ワーワーワーワー大声で話しまくってた。何だかとても楽しかった。
--------お金はいいんっすか?。
--------あ〜、お金かぁ。300円くらいそこに置いといたらかまわんから〜。
--------そんなんでいいんですか!?
--------ああ〜、いつもここはこうなんだ〜。
入ったときと同じく、ドヤドヤドヤドヤと出て行くおっさんたちの後について、おれは臼別温泉を後にした。ついに宿の主人は見ずじまい。何ともシュールでアナーキーでとぼけた経験だったなぁ、と未だに思う。
建屋がヘンなだけの旅館なら現在でもけっこうある。しかし経営っちゅーか、在り方そのものがここまでヘンな旅館には、その後久しく出会っていない。
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蛇足だが、大津波で奥尻島が壊滅的打撃を受けたのがこの翌年のことだった。思えば何だかこの頃から、国内で大地震が増え始めたような気がする。 |