「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ゆで玉子と鯉の池

 ネス湖のネッシーがブレイクして、日本のあちこちの湖沼でもUMAの存在が囁かれたことがある。その中で、池田湖のイッシーと並んで有名(?)だったのが屈斜路湖の「クッシー」だ。正体は良く分からないが、イトウか何かが年を経て巨大化したヤツだったのかもしれない。

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 その近くにアトサヌプリはある。付近の地名は「跡佐登」。語源の意味を活かしつつよくまぁ漢字を当てたものだ。和名では「硫黄山」という火山で、爆裂火口付近からはいまだに勢いよく噴気を上げている。その噴気孔にカゴに並べた玉子を突っ込んで蒸かしたものが名物として売られているのだが、この呼び込みが「タマゴ〜、タマゴ〜、タマゴだよぉ〜ん!」みたいな、かしましくもマヌケな調子で笑える。
 箱根や湯村温泉の荒湯、あるいはいまだにキオスクで売られてるネットに入った塩をまぶしたヤツにしてもそうだが、行楽におけるゆで玉子って、玉子が贅沢品だった昔を今に伝えているように思えて、懐かしくも楽しい。

 観光バスが何台もやってくるそこを離れ、釧網本線の川湯温泉駅近くに戻ってこの山の裏山を目指す。しばらくだらだら登ると道はすぐに白土化し、廃屋が何軒も並んでいる。鉱山跡特有の景色だ。運動場の跡らしき空地も見え、操業当時はかなり規模の大きい鉱山だったのかもしれない。途中、ヒグマのものらしき大きな足跡を見つけておれは少しビビッた。

 登りつめると一面のガレた噴気地帯。向こう側が大きく崩れているところからすると、ここは火口縁で先ほどの玉子売りのいたあたりの反対側の上部に出たのだろう。

 荒涼としたそこにポツンと樹脂製で石目模様の鯉の池が置いてある。よく家の庭に埋めて使う、楕円が段違いにつながったようなアレだ。あとはいかにも手書きの「秘湯露天風呂」の看板と、ドラム缶、それだけ。

 どないもこないもこれが通称・硫黄山温泉の正体だった。塩ビ管が地面に転がっていて、熱い硫黄泉が流れ出ている。チョロチョロと鯉の池に溜めるといい具合の適温・・・・・・やが、なかなか溜まってくれんがな(笑)。

 しかし、景色はサイコー。稜線に阻まれて屈斜路湖の方は見えないが、後方、眼下の原生林のかなたに摩周湖の外輪山がドーンと望まれる。天気は素晴らしい秋晴れで、異様に空の青が濃い。

 人のくる様子もなく、おれたちはけっこう長い時間をそこで過ごした。

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 この温泉、元は硫黄鉱山の従業員が、湧いてる湯を集めて作ったものだと言われる。日本の硫黄採取は60年代半ばにはどれも衰退したはずなので、ふもとのユースホステルが引き継いで整備したというのはその後、70年代のディスカバージャパンのブームあたりだろうか。
 しかし、ディスカバージャパンもカニ族もはるか遠い話となった。ユースもなくなった。川湯温泉駅にしても往時の賑わいはなく、今では一日数本の列車が止まるだけの寂しい駅である。

 古い写真で、周囲をきれいに鉄平石で囲んで整地された状態のここを見たことがある。その頃はスノコや洗面器も備わっていたみたいだが、ユースホステルが廃業して以来、維持するものも絶え、荒れるがままに放置されたのだった。元々火山性で風化しやすい土壌のためか、おれが訪問したときには何もかもが崩壊してしまっていた。

 訪問からさらに十数年がたった。おそらく今や、完全な野湯に還ってしまっているに違いない。ま、しかし、それはそれで仕方ないことなのだろう。

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 UMAの前フリから始めたので、最後に全然関係のない余談を一つ。

 屈斜路湖では何一つ見なかったが、その2年ほど前、会社の連中と琵琶湖の堅田に泳ぎに行ったとき、おれは不思議なものを見た。波打ち際から7〜8m離れたところで、何らかの生き物が鼻と目玉だけを水面から出している。目測で眼と鼻の距離は30cmくらいあるように見えたのでかなり全体は大きいように思えた。おれ以外にも数名が見つけ、口々に「あれは何や!?」と騒いでいたので錯覚ではない。

 発見して10秒かそこいらでそれは水面下に沈んでしまった。その様子は誤解を恐れずに言うならば、「ワニ」そっくりであった。 

2005.09.12
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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