「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
下北にて


ヒッソリと静まり返る野辺地駅構内

 有名なたとえだが、下北半島は振り上げられたまさかりの形をしている。その柄の付け根の部分にむつの町はある。

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 野辺地の駅でガラガラとアイドリング音を立てて停まっていたディーゼルカーは、型こそ新しいがたったの一両。これからの道行きの寂しさを思って乗り込むと、ありゃりゃ。予想に反し車内は満員だった。立って行くんかいな。ウゲゲ!!
 みんなリュック背負った中高齢の観光客。みちのくの夏の終わりももう近いとはいえ、まだまだ観光シーズンなのだろう・・・・・・って、みんな年金世代。夏休みは関係ないか(笑)。地元の人間らしき姿はほとんど見えなかった。

 ワンマン列車は動き出した。両側に高く伸びた雑草の間をえらく快調に飛ばして行く。線路は変化のない海岸線に沿っておおむね真っ直ぐに伸びるが、路盤が余りよくないのか道床が薄いのか、揺れはかなり激しく、最後尾の窓あたりに陣取っていたおれは、何度か巨大なルームミラーに頭をぶつけた。

 途中駅はほとんどが無人。申し訳程度のホームと小さな小屋がくっ付いてるだけ。人の乗り降りもほとんどない。それでもこの大湊線、1日9本の列車が走り、うち一往復は指定席もある豪華な快速列車だったりもするので、まだそれなりに用途はあるのだろう。
 ドアの上にはこの線の各駅の開業年代の解説があった。まず最初に終点と途中の一駅だけが開業しているのが目に付く。とにかく線路を敷きたかったのだ。

 理由は簡単。大湊は重要な北の守りの軍港だったからだ。元々人口希薄なこの地方に突貫工事で鉄道を敷設するなんて、軍事目的以外にありえないもんな。今は海上自衛隊の基地がある。下北から分岐して大畑に向かう支線は3セクに経営を移管しても15年少々で力尽きてなくなったけれど、おそらくこの線はそれなりに残す気かもしれない。有事に備えて。
 見れば下北駅の開業は「昭和14年」となっている。支線開業と共に駅ができたのだそうだ。ますますキナ臭さが感じられる。実際線路の分岐は、野辺地側から分かれるのではなく、終点の大湊から分かれて行く。特に地形上の制約があるわけでもないのに、こんなヘンな分かれ方、普通はしない。無論これも、戦争拡大に備えて太平洋側からの物資補給路を作りたかった軍部の意向によるものだろう。

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 そんなことを考えてると、ツアーバッグに何やらスローガンをデカデカと貼り付けたのがドア近くにあるのに気づいた。持ち主は初老の夫婦。二人とも上品な服装で固そうな雰囲気だ。ピンクを基調にしたその大きなポップだけが異常にアンバランス。何ぢゃい!?とよく見ると「憲法第8条にノーベル平和賞を!NoWar!日本共産党」とある。自衛隊機地にデモしに行くんだろうか?おっと「デモ」って言っちゃいけないね。「平和行進」と呼ばなくては!(笑)。
 ・・・・・・大変やねぇ、党員も。こんなカッコ悪い看板貼って国内を移動せなあかんとは。ま、こんなのカバンにつけるくらいだから、ゴリゴリの細胞で、むしろ誇りに思ってるかも知れないけど・・・・・・。
 これでカバンに突っ込んである新聞が「東スポ」ならちょっと好きになれたかもしれないが、やはりそこはそれ、創価学会には「聖教新聞」、ってなワケできっちり「しんぶん赤旗」でした(笑)。何であれって「しんぶん」ってひらがな使うんだろう?

 おれは右翼vs左翼って二元論での好き嫌いはないが、どうもこの代々木一派は嫌いだ。一言で言って新興宗教団体と同質の「ウソの清浄感」、もっとありていに言えば、「偽善」を感じるのだ。理性で平和が来るなどと主張する、おめでたくも選良意識こあふれた傲慢は、神仏への帰依以上に何ともカンに障る。ここは青森県、っちゅーことで対岸出身の太宰治にご登場願おう。彼はたしか「人間失格」の中で、こんな鋭いセリフを吐いていたはずだ。

 ------共産主義には「色」と「欲」が欠けている。

 アンタら呑気にディーゼルに乗ってるけど、この線って軍国主義の落とし子なんだぜ!
 アンタらが連帯を熱く表明してた中国やソ連や北朝鮮が一度だって軍隊を放棄したことがあるかい!?
 アンタら、結局は排除の論理、臭いものにフタぢゃねぇのか!?

 ・・・・・・などと毒づくことはもちろんない。ただもう「パパ〜ママ〜共産党〜♪ビンボ〜♪ビンボ〜♪パパ〜ママ〜共産党〜♪ウソつき〜♪」とスターリンの曲を声に出さず歌ってただけである。

 下北に着く前、党員夫婦のオッサンの方は帽子を取り出してかぶった。何と、そこにも件のスローガンはくっ付いていた。グロテスクもここまで染まれば大したもんだ(笑)。

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 乗客の大半は下北駅で降り、ほとんどが恐山行きのバス、あるいはタクシーに乗り換える。今はホーム一面だけの小さい駅だが有人で、思ったより活気にあふれ、構内もきれいに整備されて花が植えられている。何となくホッとした。
 しかし、海に面してしらっ茶けた低い建物が点在する町に活気は見られない。その印象は市の中心街であるバスターミナル近辺に移動しても同じだった。どだい、いっちゃん交通の往来がありそうな三叉路の一等地は巨大な更地になったままやんけ!

 しかし、そんな寂しいところでも、港町の常としてやたらと飲み屋だけは多い。どれもこれも小さく、ずいぶん古びて色褪せた感じだが、軒数だけはやたら多かった。面白いと思ったのは、神社を囲むように路地が取り巻いて飲み屋街を形成していることだった。ハレとケ、聖と俗が溶け合ったようなアバウトな雰囲気がいい。無論、淫売宿だってこの様子なら探せばあるに違いない。オマケに一駅となりは自衛隊の基地なんだしね。信太山の例もあるし。
 スローガン貼っ付けてこの世が救えると思ってる連中には、死んでも理解できず、認めたくもない世界だろう。

 飲みに出ようと思っていたが、止した。移動するばかりで運動不足だし、今の時間から飲み始めたら、止まんなくなる。スーパーを見つけたので入って売り場を見ると、郷土料理の店よりも驚きがあった。お惣菜コーナーに筋子や焼き味噌のオニギリがたくさん並んでいたり、水に漬かったホヤが山積になってたり、と食文化の違いを感じる。ホテルに戻ってイカソーメンとアサリのぬた、寿司に酒少々で簡単に夕食。

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 下北についてあれこれ書いて恐山を無視するわけにはいかない。

 東北仏教のヒーロー・慈覚大師開山と伝えられるここには、死者の霊魂が寄り集まる、と言われ、あらゆるナントカ三大霊地・霊場に数えられる。有名なイタコの口寄せ、荒れ果てた宇曽利湖を中心とする風景・・・・・・一言で言って非常に分かりやすい「死」のイメージだ。
 思えば軍隊だって、勝っても負けてもそこには「死」がつきまとう。それに最近の下北は核廃棄物の集積所としても名高い。あれだって「死」のイメージからは逃れえないものだ。さらには多くの店がシャッターを下ろし、道行く人の姿も少なく、寂れて活気のない町、長く続く草ぼうぼうの廃線跡・・・・・・。

 ・・・・・・最近控えていたせいか、わずかの酒が回る回る。酔いの勢いでおれは、「恐山」というキーワードを振り出しに、いつのまにか「死」のオブセッションに捕われていた。

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 翌朝、おれはとある人の不慮の死の報をケータイで知らされた。何でもいいから元気で長生きして欲しい、と切願していた人だ。ぶっちゃけいささかエゴイスティックな理由だが、それがおれ自身にとっても救済になることだったのだ。おれは駐車場で電話の向うの声を聞き、周囲のしらっ茶けた風景がさらに真っ白にトンで見えるような衝撃を受けた。

 デキ過ぎと思う人がいるかもしれないが、何一つ脚色はしてない。死のイメージに満ち満ちた下北で、死の報を聞く・・・・・・どうもおれには、笑えないブラックジョークのような、イヤな偶然が時々起きる。


小さな飲み屋が目立つむつ市街中心部

2005.08.31
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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