「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
青森へ

 特急「つがる」から眺める八戸を過ぎてからの景色は退屈だった。そして、いささか陰鬱でもあった。ま、それはおれの主観、心象が実際の景色に投影されているだけなのだけど・・・・・・列車で移動するときのおれは、ガラにもなく憂鬱/感傷モードなのだ。ハハハ、いきなり三文センチメンタルかよぉ!?って。

 とはいえ、線路の両側の多くが深い防雪林に覆われて眺望はあまり効かず、低く、海に向かってうねる丘陵地帯を突っ切る線路際に点在する湿地帯のような沼、乗降客の姿が全く見えない通過する駅々、防雪林の切れ目に見える荒れ果てた休耕田、何よりも、人家の少なさには、やはり寂寥感が漂う。かぼそい悲鳴に似たタイフォンの甲高い音も、こんな風景には却って似つかわしい。

 列車は三沢に着いた。東北では大規模な温泉地・古牧温泉があり、十和田観光の玄関口でもあり、さらには米軍基地でも有名なところだが、駅は小さい。構内の隅っこから小さな私鉄電車が出発を待っているのが見える。非番をどこかに出かけていたと思われる、米兵と思しきリュック背負った白人ニーチャンが二人、赤いカオして降りてった。

 唐突に、おれは「淋代」って地名を思い出した。この近くのはずだ。

 ・・・・・・小学生の頃のおれは、どこかに行きたくて仕方のない子供だった。もう少し厳密に言うと、「ここに居たくない」子供だった。ところが、決して楽ではない家計と、おれに対する教育と、「一戸建て」に異常な執念を燃やす我が家において、「泊りがけの旅行」なんて神をも畏れぬ暴挙だったのだろう。おれは林間学校で行った吉野の奥の洞川と、修学旅行で行った伊勢の二見ヶ浦以外、旅館に泊まったことがない。実家のある三重だって2回しか行ったことがない。
 だから、夏休みの後とかに帰省ではない旅行をしてきた級友の話を聞くとうらやましくて仕方なかった。

 そんなおれの無聊を慰めるのは、鉄道趣味の本と地図だった。家に元は誰のものかは分からないけれど、昭和31年版の「高等地図」っちゅーのがあって、とりわけおれが何度も読んだものだったが、そこには色々なものが喪われた現代からは想像もつかないくらい豊富に、零細な鉄道や鉱山、名産品の類が書き込まれていたのである。そこに「淋代 砂鉄」とあった。どんな風に採掘していたのかは未だに知らない。

 子供ゴコロにも何ちゅー漢字の地名やねん、と思った。しかし、等高線のほとんどない海岸べりに記されたそれは、すでに家の息苦しいしがらみに気づき始めていたおれにとって、砂鉄の黒灰色の色合いのイメージと入り混じったモノクロームな風景を想像させ、暗い情動をかき立てるに充分だった。

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 野辺地に向かってさらに風景は寂しくなって行く。荒涼とした、ささくれ立ったような風景だ。緑あふれる景色っちゃ景色なのだが、人の手が入ってない自然ではなく、一度は加えられた人為が放棄されたような、寂れた自然だ。野辺地の駅からは下北半島に向かって支線が延び、一日に何本かの快速も走るが、何とも空漠な雰囲気の駅だ。
 半島を横切り、線路は陸奥湾沿いに走る。家は増えたが、空は曇天。海は何だかこげ茶色で重たげだった。

 それでも少し賑わいを見せる浅虫温泉を通過すると、青森はもう間近。案内放送が流れ、だんだんと家が増えてきて、貨物基地や機関車の並ぶ中を大きく右に回りこんで行くと、あっけなく到着した。
 青函トンネルができるまで、ここは連絡船が行き交う北海道の玄関口だっただけあって、突堤が駅になったような変わった立地で、海岸に直角に突っ込むようにどん詰まりの駅が作られている。しかし、客貨両方の巨大ターミナルとしての使命を終えたここもやはり、何とも閑散としていた。

 --------燐寸擦るつかのま海に霧深し、身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)

 有名な代表作だが、個人的にはさほど好きではない。政治からは終生距離を置いていた彼に「祖国」って言葉は似合わない気がするからだ。ともあれ、その謳われた海がこの海かどうかは知らないけれど、幼かった彼が、ここ青森駅の古い貨車の中で遊んでいたというエッセーは、昔、読んだ気がする。おれの引き合いに出されるのは故人としても迷惑だろうが、彼もまた「ここに居たくない」人だった。

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 ここで特急は方向転換して奥羽本線に入って行く。いつの間にかまばらになった乗客はめんどくさいのか、シートの方向転換もしない。対しておれは進行方向を背にして走るのが生理的にイヤなので、一人律儀に引っくり返した。東北本線とは異なり、ここは本線とはいえ単線で、これまでの快調なスピードからするとかなりゆっくりと、列車は終点・弘前目指して走っていく。貨物列車はそれなりに多いのか、駅での行き違いの距離はむやみに長い。
 平野部に出ると、かなたに異様な形の山が望まれる。津軽富士・岩木山である。休火山であって、てっぺんが二段になって小さな頂が飛び出している。
 ・・・・・・あれも溶岩円頂丘かなぁ、などと思う間もなくトンネルの闇を通って、ではないがもう弘前だった。青森第2の都市だけあって大きな町で、何だか少し安心した。明日はここで仕事なのだ。

 ・・・・・・が、ここから普通に乗り換え、まだ二駅先に行かなくちゃならない。宿泊料金の安さと、温泉であることに惹かれて、大鰐温泉に今夜の宿を取っているのである。待ち合わせは約25分。小腹が空いたので、改札を出て駅ソバを食べる。駅のチープな立ち食いソバは大好きだ。
 420円也で「幻のソバ」ってーのがメニューにあったのでそれを頼んだが、何が幻なのかはよく分からなかった。

 秋田行きの普通列車は僅かに2両編成。斜向かいのシルバーシートには奇妙な老夫婦(?)が乗っている。花柄の刺繍が一面に入ったデニムのジャンバーを着たジーサンは、二人の間に置いた大きな風呂敷包みにもたれかかって眠りこけ、派手なベストのバーサンは、鳥のような、ある種の猜疑心に満ちたような目つきで落ち着きなく視線を動かしている。そのちょっとサイケな格好と雰囲気、っちゅーかオーラ、加えて異常に多い荷物はイヤでも目立つ。
 カートにくくられたそれらをさりげなく見ると、何とテントポールらしきものが何本か飛び出しているではないか。そういや、一番下のナイロンっぽい緑の袋はずいぶんデカいけど、テントにも見える。

 歳を取ったら、気ままに野宿しながら放浪することをおれは漠然と夢見ているのだが、その時はできれば自動車にしよう、と思った。

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 家を出て8時間、列車は大鰐温泉に着き、荷物の重さにウンザリしていたおれは、閑散とした駅前ですぐさまタクシーを拾った。


夕暮れ迫る大鰐温泉

2005.08.28
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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