「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
秩父「鉱泉」巡礼行

 --------もしもし、急で申し訳ないんですけど、今夜1泊出来ますか?
 --------はい、行けますけど、うちは湯治専門にやってますんで、そんな立派な設備ないですよ。部屋も古くて狭いですし・・・・・・。
 --------別に構いません。と言うか、そーゆー所を探してたんです。

 ・・・・・・と電話したのが西部池袋駅構内だから、行き当たりばったりもいいトコの無計画さではある。晩秋の晴れたある日、思い立って秩父を訪ねてみた。

 電車をトコトコと乗り継いで一体何時間掛かったことやら、妙にド派手な西部秩父の駅前に降り立ったら、時計は結構な時刻を指していた。さらに秩父鉄道に乗り換えて奥地を目指す。轟音を立てて長い石灰列車が行き交う、貨物線みたいな路線である。

 一般には余り知られていないが、秩父には古くからの鉱泉が点在し、幾つかは小規模な温泉郷を形成している。しかし泉源が貧弱なためか、多くは一軒宿で、温泉街を形成するには程遠い。クルマを全く使わず、オマケに交通費節約のために極力徒歩で一気巡り、というのも自分では珍しいパターンなので、その時のメモを元に探訪記をお届けしたいと思う。

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 まずは鳩の湯鉱泉から行こう。駅からすぐそこだ、と思っても歩きだとけっこうある。果樹園の間を抜けた村外れ、小高い山裾に、目指す鉱泉はポツンと建っていた。小さいけれど、ボロくはない。電車はハイキングで三峰口を目指す乗客でそれなりに混み合ってたけれど、ここを昼間から訪ねる物好きもいないらしく、旅館は静まり返っていた。

 鉱泉宿の例に漏れず、比較的小さなタイル貼の浴室と浴槽。硫黄臭が強い。壁にはでっかく温泉の由来が掲げられている。別に大した事は書かれていない。向かいの山はかつての城跡で、時は戦国乱世の時代、戦で傷ついた将兵は、山鳩のお導きで湧き出る白い水で云々かんぬん・・・・・・こんなのに目新しさがあってはならない。ありきたりなのがいい。
 誰も入ってない時のクセで、おれは窓を開け放した。のぼせにくくて、これが長湯には一番いい。紅葉した木の間越しに、向こうはお決まりの谷川。特に急ぐ訳でもなし、かなりの時間浸かっていたが、結局他に入浴客は来なかった。土曜日だっちゅーのに。

 果樹園の道を元に戻る。踏み切りが見える。どうしたことか遠くからSLのドラフトと汽笛が聞こえて来た。煙もボコボコ上がっている。子供っぽいが慌てておれは線路際へ駆け出した。何で汽車走ってんねん!?

 うわお!おるおる。テッチャンらが、三脚すえて長玉で狙っとる。

 サービスなのか、えらく威勢良く汽笛を鳴らして「長瀞号」なるC58の引く観光列車は、勇ましい音とは裏腹に、死ぬほどユックリ通り過ぎて行った。この後、旅館にはテッチャン連中が入湯客としてやって来るのだろうか。
 でも、秩父鉄道って過去に汽車が走ったことってあったんかいな(笑)。

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 滑り出しの鳩の湯は、一発目としては上出来だった。次もアタリだとうれしいな。目指すは白久鉱泉。線路沿いの国道をひたすら奥地に向かう。いちいちバカ高い電車になんか乗ってられない。秋とはいえ、風呂上がりで早足なのでアッとゆー間に全身汗だくだ。うぅキモチ悪い。たかが一駅とあなどれん。田舎ゆえ駅間距離が長いのだ。

 ・・・・・・そうこうしてる内に、宿の看板が遠くに見えてきた。

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 山の小駅の古いヨロズ屋でウーロン茶のペットボトル買い込んで、今度は鹿ノ湯鉱泉だ。何でも関東圏内最後の秘湯らしい。何とマジでランプの宿だという記事をずいぶん前に本で読んだ。楽しみである。
 駅前には、随分古びてチンケな「歓迎温泉郷」のアーチ。「ランプの宿、鹿ノ湯」も片隅に出てる。これ又古びて色褪せた観光案内図で道を確かめ、山に入って行く・・・・・・って、白久鉱泉のハナシはどうなったんだって!?

 ・・・・・・済んません。割愛させていただきます。だって、しょーもなかったんだから。ずぇーったいにありゃ、タダの水やったな(笑)。

 ともあれ、駅前からすぐに道は上りに差し掛かる。クルマが離合するがやっとの、簡易舗装の林道である。実は手前にも大きな鉱泉宿があるのだが、時間も押してるのでパス。無理に立ち寄ることもあるまい。

 道はますます急になり、入山の注意書なんぞも立ってる。いよいよ深山に分け入る感じだ。いつまでたっても着かないので、そろそろ不安になって来た頃、ようやく「鹿ノ湯入口」の小さな看板を見つけた。
 沢沿いの細い踏み分け道の向こうに見えるのは、およそ現代の宿とは思えない時代がかった木造の小さな建物である。「ザ・鉱泉宿」とは正にこれだ。静まり返る異常に軒の低い玄関で、おれは久々の大当たりの予感に期待をふくらませて大声を上げた。

 --------ごめん下さい!!!
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 ・・・・・・返事がない。これで自分でこたえて入ったら吉本新喜劇だが、何だか様子が奇妙だ。人の気配が全く無い。北海道の臼別温泉で当主の留守中、勝手に温泉に入ったことを思い出しながら、申し訳ないと思いつつ玄関の引き戸を開けた。そして愕然とした。

 ・・・・・・内部は調度がそのまま残ったまま、見事に廃屋となっていた。壁にかかったカレンダー・敷かれた布団・ちゃぶ台・水屋に並ぶ茶碗や湯飲み、仏壇のローソクまでがそのままだった。生活がいきなり断ち切られて、忽然と人が蒸発したような、何とも不吉な感じの荒れ方である。一体何なんだ!?
 玄関脇の土間に落ちていた新聞の(勿論、広げられた跡はない)の最後の日付は、平成5年の盛夏の頃となっている。とすれば、もう4年もの間、ここは荒れるに任せていることになる。

 そう、関東圏内最後の秘湯は、最期を迎えた後だったのだ。

 淋しい山中で、こんな不気味なあばら家にポツンと一人、おれは途方に暮れた。取り敢えず、内部だけは探検しとこう。探検と言っても狭い。木造2階建ての建物が二棟、古い湯治場の定番で2階部分を渡り廊下でつないでいる。自炊客用の貸し出しコンロや布団類もそのまま。後は別棟の小さな男女別浴室・・・・・・否!そんなん鏤々書き連ねて一体どうなる!?最早、迎えてくれる当主を喪くした旅館の詳細なんて、気分が重いだけだ。

 悄然と引き返し、ウーロン茶を買い込んだヨロズ屋で尋ねてみる。

 --------ああ、あそこねぇ。お爺さんとお婆さんでやってたんだけど、お爺さん先に亡くなって、その後お婆さん一人でやってて、3・4年前かなあ、お婆さん入院して、それっきり・・・・・・後継ぐ人もいなくって、ホント惜しいわよねぇ、湯はあそこが一番いいのよ・・・・・・。たまに遠い親戚が見てるみたいだけど、あのまま無くなっちゃうのかねぇ・・・・・・。

 ・・・・・・絶句するしかなかった。

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 とにかく気を取り直さねばならない。宿泊地までは5kmは優にある。随分陽の傾いた国道を行くと、行楽帰りのクルマがどんどん追い抜いて行く。途中から広い道を外れ、トボトボ歩き続けて山間の集落に出たと思ったら、もうそこが柴原温泉であった。数件の鉱泉宿が散在している。

 果たせるかな、予約してた「元湯・菅沼旅館」は、中でもズバ抜けて古びて貧しそうな宿であった。築三百年という古い建物はいかにも湯治場らしく、自炊が基本の、何の飾りもない小部屋が並ぶ。無論、TVもない。鹿ノ湯はなくなってしまったが、こんな渋い湯治宿が残ってるのだから、この辺もまだ捨てたものではない。
 1泊2食で6,000円と破格の安さだが、それでもおれは「観光客」扱いされたのだろう。景色の良い2階の角部屋に通された。雰囲気がある。太宰治の初期の短編に、旅館の一室で取り敢えず原稿用紙を広げて、いろはにほへと、とか何とか書いてるフリをする、というシーンがあったが、ちょっとやってみたくなった。

 ・・・・・・アホな考えを巡らしてる場合ではない。肝心のフロだ。
 混浴、狭い脱衣場には、湯治客の干したタオルが一杯。小太りのジイサンが一人、チンケな丸椅子で涼んでいたのが、ヨタヨタと立ち上がった。能でも舞うようなノロい動きで服を着始める。無論、パッチ&腹巻きは標準アイテムだ。もし当たってコケでもしたら大変なので、おれは辛抱強く隅で立っていた。

 ・・・・・・???ん!?ええっ!?うわわわわ〜っ!!

 ふと目を遣った椅子の上に異様な「モノ」の形を認めて、のけぞりそうになった。いくら年取るとユルくなるとはいえ、自分で気ィつかへんのか!ジジイ!ボケてんじゃねえ!!何モラシてんねん!!・・・・・・これ以上書きたくもないが、イチョウ型の浴槽の縁にもブツはくっ付いている。諦めたおれは、泣く泣く洗い流して入ったのであった。トホホホホ。出る時、入れ替わりにやって来たバアサン3人組は、無論死ぬまで気づくまい。

 素朴だが、予想以上に立派な夕食をつつきながらおれはつくづく思った。湯治とはやっぱし療養なんだ。五体満足で体力の有り余ってる者が、こーゆー場所に出没する方がおかしいんだ。そうだ、これは病院でここは病室、風呂場は治療室、そう思えばハラも・・・・・・やっぱし立つわい!これをいかにも湯治場らしいエピソードと許せる程、おれはまだ老成していない。
 ・・・・・・翌朝、朝食を運んで来た女将さんに朝風呂を勧められたが、当然、テキトーにノラリクラリ理由をつけて固辞する。表に出ると、今日も上天気だ。秋の滲むような陽射の下、何だか妙にホッとした。

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 さて、朝イチは巴川鉱泉。温泉ガイドには載ってないが、現地で仕入れた地図で見つけた。今度は流石にちと遠い。とにかく電車に乗って、又テクテク歩いて、道に迷って、やっと着いたけどフツー!1,000円!流していくぞ〜!!次は何処や?和銅温泉。また電車かいな。イヤやなあ。高いもんな。仕方ない。又々迷ってやっと着いたら、日曜日の入浴お断り!だって。こんなフツーの観光旅館、こっちから願い下げじゃわい!そこからUターンするように約8km、美山温泉は、多分この辺では1番デカい観光旅館。1,000円也。特に何の感慨もない。すぐ近くの山田温泉は、団体が入ったばかりとのことで断られた。一体朝からどれだけ歩いたのだろう。オレも良くやるよな、と村を行くと新木鉱泉が見えて来た。ふぅ。

 ・・・・・・余りに端折り過ぎた。鉱泉に入る前にこの辺の風景について触れて置こう。実はこの付近、結構住宅地なのである。しかしながらどの旅館もロケーションは良い。と言うのも、川筋の谷は意外に深い峡谷状で、殆どの旅館はこれに懸崖状にへばりついてる。だから上の平坦な台地には住宅が迫ってても、深山幽谷の趣はあるのだ。
 
 ・・・・・・といささか理屈っぽくなったが、とにかく、新木鉱泉はとゆーと、これが見事に村の中の湯で、平凡そのものの立地。それを気にしたのかどうか、コッテコテの民芸調。入湯料900円を払って入ると、えらく繁盛してる。ここも硫化水素臭の強い硫黄泉で、秩父には鉱泉は鉱泉でも赤褐色の炭酸鉄泉系は湧出しないみたいだ。まあ、樽の露天風呂があったりして、もろ観光のフロだったけれど、源泉槽等に鉱泉宿の意地が感じられて良かった。まあ、万人受けしますな。

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 しまった。順番を間違えた!と気づいた時は既に遅し。次の不動温泉は、朝の和銅温泉のすぐ近くぢゃあーりませんか!チクショウ!これで恐らく無駄にする距離は10kmを超すハズだ。いー加減疲れてバスに乗ろうかと思うが、日曜日の午後ではバスの本数は極端に少ない。仕方ない、歩くしかない。

 不動温泉は全く特徴に乏しい家並みと畑を抜けた、やはり谷底にあった。長い階段を下ると、狭い入口に至る。途中で階段は二手に分かれており、他方の先はその名の通り、お不動さんと滝のある行場らしい。チープで仰々しい割に古びた作りはフェイク感一杯で、温泉と言うよりは、何だか宗教系脱力観光スポットに来た感じである。
 入口も狭いが、フロントも狭い。多分、観音巡礼の年寄り相手にやってて、そんなトコに金遣う気がないのだろう。まあ、遍路宿に毛が生えたよーなもんだ。置かれてある付近の案内図も秩父霊場のものが大半だった。

 700円払って、谷底に沿った細長い建物を突き当たった辺りが浴室。ここも鉱泉宿らしく、内部も浴槽も狭い。そしてかなり古い。古いのに、造花をテンコ盛りに飾ってあったりするところが脱力観光入ってる。殆ど無色無味無臭の鉱泉だが、一応ただの水ではなさそうだ。訪ねる客も少ないのか、湯は滅茶苦茶に熱かった。窓からは特徴的な、ストンと垂直に落ち込んだ渓谷の様子が良く分かる。

 そーだろーなー。今時、何泊も滞在する巡礼なんて流行んないし、よしんば行く物好きがいても、団体でバス仕立てて少し豪華に1泊とか、自家用車で日帰りだったりで、本来ここが対象にしてたような客は減ってるのだろう。館内は全体的にある種の荒廃が忍び寄ってる、そんな風情が感じられた。

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 1日なんてアッちゅー間。最終目的地、これまた謎の丸山鉱泉を目指して、夕陽の道を歩く。よっぽどワシの方が巡礼みたいやんけ、と思いながら着くと、意外にも立派な旅館だった。手前に別館があるが、ラブホテルっちゅーのが笑わせる。ちなみに、一部で超有名なハードコアオフロードパーク「ブロンコ」はこの奥らしい。

 温泉ガイドに載っていなかったワケは、言い訳じみた効能書で判明した。ホンの少し、成分量が不足していたのである。でも良かったから+1だ。露天風呂にはたくさんの人があふれていた。

 暮れなずむ灰紫色の風景の中を駅に向う。真正面にはガリガリ露天掘りで採掘されて、すっかり元の山容が分からなくなった山がそびえる。秩父の象徴、甲武山である。合計8ケ所入湯達成。徒歩ならまずまず上出来の方だろう。

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 いつも旅に出て思う。全く未知の土地をフラフラしながら、知らず知らず探してるのは、自分が生まれる前の風景なんじゃなかろうか。原風景よりももう少し溯った時代。おれの場合なら昭和35年前後くらいか。無論、その景色は全く記憶にない。あらかじめ失われ、希求された風景・・・・・・。

 旅の終わりの寂寞感の底には、そんなのも横たわってる気がする。



補足:
 これも、東京に来てすぐの頃に書いたものである。今回、かなりの加筆修正を加えた。

Original 1998 Add & Edit 2005
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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