「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
法整備と格差


参勤交代は結果的に全国に薄く広く富を再配分していた。

http://masuda.org/より
 日本は法治国家であるという・・・・・・ってーかおよそ世界の先進諸国は法治国家を名乗っており、法整備が行き届いていない国は後進国、おっと発展途上国っちゅわんとアカンのやったね。発展する気が毛頭なさそうな国も随分多いんだけど発展途上。発展は必然であるというありがたい思し召しだ(笑)。あ〜も〜、出だしからもぉいきなり毒気吐きまくりだなぁ〜。

 ともあれ法整備には終わりがなく、マトモな国である以上その見直しは間断なく行われているのが普通である。国会なんて法案審議で会期の大半が費やされてると言っても過言ではなかろう。かくして国民・国土の平和と安寧は保たれている・・・・・・。

 ・・・・・・本当なんだろうか!?

 仕事の上でも結構法改正に向かい合うことが多いせいかもしれないし、おれ自身の遵法意識が他人より低いせいかもしれないけれど、積み上げの繰り返しで年々厳正化されるばかりの各種の法律に、近年いささかの息苦しさだけでなく、しんねりと綿密で周到に仕掛けられた悪意さえ漠然と感じているのだ。

 今日はそんな話だ。

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 近頃、トマ・ピケティという人が話題になってる。フランスの若手の気鋭の経済学者らしい。「21世紀の資本」という著作はお堅い内容なのに売れに売れまくっている。世界で100万部以上売れてるみたいで、版権持ってるみすず書房も浅田彰の「構造と力」以来、何十年ぶりかの思ってもみなかった大ベストセラーにウハウハだろう。普段はそんなバカみたいに売れてる出版社ではなさそうだから、ポチ袋に入った大入りくらい出たかもしれない。

 内容は仄聞とナナメ読みなのでエラそうには書けないが、要は資本主義社会に於いては長期的に見た場合、資本収益率は経済成長率よりも高いために、富の集中は必然的なものであり、その結果、格差社会はどんどん拡大して行く。したがってその是正には富裕層や法人への増税が必要である・・・・・・ってな内容だそうである。富の再分配が必要ってコトだ。

 以前おれは「ナマズ/革命/お取りつぶし」ってなタイトルで、広がる格差社会への対応方法として富裕層からの富の再分配について触れたことがある。その時は格差増大の要因が預金にも借金にもつきものの利子にあるのではないかと述べて、増税なんて生易しいものではなく、笑いのオブラートで包みつつもやんわりと江戸時代の「お取りつぶし」を復活させるのが結構いいんぢゃないかなぁ〜?ってな風に書いた。ピケティさんがあくまで民主/資本主義のフレームの中で税のメカニズムで格差を縮小させようと考えてるらしいのに対し、おれはやや呉智英の言うところの封建/資本主義的な主張だったとも言える。

 そんなんだから膨大なデータを基にしてるが故にピケティの主張にはたいへん説得力があるものの、主張は極めて平明、っちゅうかおれにしては当たり前のことを当たり前に言ってるように思う。むしろおれが興味を持ったのはその著作そのものよりも、この主張への賛同・反論等のツイッターの中であった。

 ウロ覚えなんだけど、ある人が、「そうは申せ資本主義社会なんだし、自由競争の原理で成り上がることだってできるではないか?現に過去の歴史に於いても一代で財を為した人は数多くいるではないか?」ってな内容をツィートしたところ、別の人が次のような反論をしたのである。「自由競争ってアナタ、ライオンと素手で戦う権利を与えられたからって、それで人がフツーに勝てますか?」・・・・・・と。

 ハハハ。たしかに、多少なりともベアナックルで勝機がありそうなのは、ターザンか百獣の王・武井壮くらいなモンだろう(笑)。

 そうなのである。ライオンはマトモに闘って勝てる相手ではない。勝つには竹槍を敷き詰めた落とし穴を掘るとか、毒矢を射かけるとか、鉄砲で撃つとか、マタタビを食わせて惚けたところをやっつけるとか・・・・・・一言でいえば卑怯な手を使うしかない。

 かように現代の高度資本主義社会に於いて、個人が裸一貫のし上がることは容易ではない・・・・・・どころか殆ど無理な相談だ。成功する可能性は限りなくゼロに近い・・・・・・ましてや日増しにややこしくなる法律なんて足枷をガチガチ嵌められてりゃ尚更だ。
 そこまで考えて、ニブいおれはようやっと、法整備とは富裕層が自らの居場所を確保するために行われてるのではないか?と思い至ったのだった。

 だからってもちろん、暴力革命っちゅう卓袱台返しを肯定する気はサラサラないが、法律守って正攻法で地道に行って貧民層が富裕層になれることなんて、まずもってない。せいぜいが中産階級に仲間入りできる程度だろう。

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 さてさて、ここにもう一つ真逆の主張がある。その名を「トリクルダウン」と言う。

 富裕層により富が集中すれば、お金をジャブジャブ遣ってくれるだろうから貧困層も自然と潤って豊かになる、っちゅう考え方らしい。ナカナカお目出度くも楽観的な考え方と言えるだろう。調べてみるとかつてのレーガノミクスがこの考えに沿って行われたらしい。

 結論から言うとおれはこれはまやかし、あるいは富裕層の言い訳に過ぎないのではないかと思っている。そんな持ちなれない金を持って浮かれて散財するのは、例えば宝くじに当たった貧乏人とか、都市近郊の土地成金とか、何か巨額の保障受けたとか(原発の放射能汚染地域である福島で外車が売れまくってるなんて最たる例だろう)、とにかくそんな人ばかりである。ホンマの金持ちは、少なくともこれまでの人生でで出会った何人かの人を例に取ってだけだけど、みなさん極めて倹約家ばかりだった。いや、有り体に言うと吝嗇だった。
 彼等は自分あるいは一族の資産を減らさないことに細心の注意を払っている。生まれた時からそのことを叩き込まれて育ってる。一見贅沢をしているようで、純粋な消費のための消費は決してしない。例えば商談を有利に進めるとか、人脈を広げるとか、何らかの意味や目的が消費行動には必ず伴っている。さらには全て経費で落として節税対策に繋げていたりといじらしいまでの努力を行ったりもしてる。寄付等の善行でさえも、税理士なんかに相談して冷徹計算尽くで持ってかれる税金と控除を両天秤にかけて行うのだ。
 従って資産は増えこそすれ減ることは決してない。悪くて横ばいである。

 もしトリクルダウンを本当に実効的に機能させるなら、色と欲と吝嗇にまみれた人の自由意思に任せるのではなく、もっと強制的な散財の社会システムをあちこちに作るしかないだろう。これが備わることでトリクルダウンはピケティの主張と噛み合うのではないかとも思う。

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 おれはかなり前から江戸時代の消費システムはかなり洗練されたものではなかったかと思ってんだけど、当時はそういった強制散財システムが上手く社会に組み込まれてたように感じる。例えば大名には参勤交代、一般庶民にはお伊勢参りや御嶽講といった風に長期ツアーを盛り込むことで金を広く薄く社会に還元して行く巧みな仕掛けがあった。
 昔から商人は大体ケチと決まってるんで、豪商なんかに対しては生温い自発的寄付を待つのではなく、河川を付け替えたり新田を開拓したりといったプロジェクトへの強制的な拠出があったりもした。

 冠婚葬祭もまた様々な階級の財力に応じた散財システムとして機能していたように思う。それぞれが財力に応じて出来る限り金を遣うような仕組みが出来ていた。ただ、冠婚葬についてはそんなにしょっちゅう行われないのが難点ではあるが。
 ところが、だ。かつて日本の祭りはバカみたいにしょっちゅう行われていたのである。しかしそれだとみんな遊んでばかりで富国強兵にならんので、たしか大正時代にゴッソリ整理されてしまったのだった。貧乏藩の薩長が権力の中枢に収まって以来、随分日本は詰まらなくなったのである。それはともかく、かつての日本ではぶっちゃけ三日にあげず村では祭りが開かれていたのだった。さらには祭りにカウントされない念仏講や庚申講、若衆講なんてのもある。ホンマ、今の感覚からするといつ働いてるんや?ってな状況だったのだ。
 言うまでもなくこれらも所得に応じた富の再配分としては極めて有効に機能していたとおれは思っている。

 さらに、日本人独特の「恥」や「世間体」、「横並び」なんてー感覚はある種美徳のように語られることもあるが、おれはちょっと穿った見方をしている。富裕層から貧困層まで、金持ち度合いに応じた適正な消費を促すために時の幕府が時間を掛けて全国的に植え付けた価値観ではなかったのか?と。江戸っ子の「宵越しの銭は持たねぇ」とか「粋」を貴ぶなんてぇ気質も、あるいは巧妙に仕掛けられたモノかも知れないとさえ思ってる・・・・・・まぁ、ただのおれの根拠のない仮説だけどね。

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 ピケティさんの主張はそれほど間違ってはないと思う。ただ、再分配の方法が税金だけっちゅうのはいささか野暮で明るさが足りない気がするし、交付金まみれなのにそれでも衰退する我が国の地方の現状等を見てると、あまり良いソリューションではないのではないかという疑念も起きる。

 むしろ所得や資産に応じた強制消費、或いはちょっと無味乾燥だけど拠出というシステムを今の時代にフィックスした形で甦らせることの方が、色んな意味で活力を生み出すと思うのだが、如何なものだろう?県知事は部下100人を引き連れて、手弁当で東京に徒歩で参勤交代、市区町村長は県庁所在地にミニ参勤交代・・・・・・な〜んて面白いと思うけどな。

 そこまで思い切った法整備を進めることが出来たならば、日本も随分変われるんだろうけど・・・・・・どぉだかね〜。


トマ・ピケティ氏近影

http://jp.wsj.com/より
2015.02.19

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