「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
宗教の荒野


う〜ん・・・・・・これならいい!これなら許す!(笑)

 IS(Islamic State---イスラム国)を名乗る集団の様々な残虐行為が猖獗を極めている。捕虜を斬首したり生きながら火を点けたりと、日々、新聞の一面は彼らの蛮行・テロ・戦争行為に関する記事で埋め尽くされる状況となっており、つい先日までの北朝鮮の金正恩やら尖閣諸島や南沙諸島、竹島といったネタはスッカリ霞んでしまった感がある。世界情勢なんていつだって殺伐としてんだけど、このISが台頭して以来ますます状況は宜しくない方向に向かってる気がする。

 だからイスラム教はダメだとかキリスト教がいいんだとか、いや仏教はもっとエラい・・・・・・な〜んて言ったって始まらないし、言う気もサラサラない。

 実は全ての宗教は宗教であるがゆえに多かれ少なかれ狂信的な暴力性を必ず内包しており、救済という名の下、破滅の体系としての性格を有するのだ。サラッと書いちゃったけど、日々の勤勉な祈りといった慎ましさや清浄な倫理感という表層に普段は全く隠れて見えないだけで、宗教は本質的に破滅の体系である。
 よってすべての宗教はいわば「同じ穴の貉」であり、宗教戦争なんて実は下卑た長屋の喧嘩みたいなモンだとも思ってる。ヲタクが同じ趣味の微妙な差異でいがみ合ってるに等しい。だからおれは宗教、特に経典等によって教理の確立した宗教をまったく信じない。強いてシンパシーを抱くとすれば原始的で体系化されていない汎神論的なアニミズムくらいだ。

 歴史を紐解いてみれば分かる。比較的穏健であると何となく思われてる仏教でもいろんな過激で死を称揚するがごときセクトが現れては消えて行った。唐の時代に過激な末法思想で時の皇帝より徹底的に弾圧された三階教、朝鮮半島に現れた弥勒ナントカ教、暴力性はなかったらしいけど淫教の名をほしいままにし、伝わる教理が本当ならばおれも坊主になっていいかな?とちょと思わせる(笑)真言宗系の立川流や天台宗系の玄旨帰命壇、みんな極楽往生できるってんで喜んで戦って死んでもんだから為政者が手を焼きまくった中世日本の一向宗(現在の浄土真宗、中世の近畿圏を中心としたその激しい活動はあるいはISに近かったかも知れない)、一人一殺・一殺多生などと全く以てテロの論理と同じことを主張・実践した日蓮宗の井上日召による血盟団、20世紀末の日本を震撼させたオウム真理教・・・・・・枚挙に暇がない。

 キリスト教系にだって腐るほどある・・・・・・っちゅうか圧倒的に多い。古くは南フランス一帯に勢力を広げた、ある種緩慢な自殺を奨励するかのような極端な禁欲主義が特徴のカタリ派、聖地奪還を錦の御旗としながら多くは異教徒への暴力と殺戮に過ぎなかった十字軍、完全に政治運動と一体化し数々の爆弾闘争を行ってきたIRA、要は教祖がヤリまくりたいだけの統一教会に代表される朝鮮半島独特の異端プロテスタント、集団自殺で一躍世界に知れ渡った人民寺院やブランチ・ダビディアン・・・・・・これまたキリがないのでこの辺で止めておく。

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 これまでの歴史の中で宗教によって救済された人の数と命を落とした人の数を比べたならば、間違いなく後者の方が多いだろう・・・・・・まぁ命を落とすことで救済の至福を得られる難儀な人がいることも事実で、数の重複は相当あるんだろうけどね(笑)。とにかく死屍累々状況と言っても過言ではなかろう。
 本来的には宗教の萌芽は死や災厄への恐怖から逃れたいという心理から起こっているハズだが、結局のところ宗教はそれらを糊塗し、端的に言えば人を麻痺させペテンに嵌めることによって名目を保ってきた。マルクスが「宗教は麻薬だ」と喝破したのもこの辺にある。

 終末史観も多くの宗教に共通するものだけど、誰も見たことを立証しえない死後の世界、あるいは来世といった地平での魂の救済を謳うのは畢竟、宗教の限界を示している。何一つ、誰一人救うことなんてできやしない。
 そんなことはないよオマエ、奇跡を体験すればきっと分かるって、なんて意見もあるだろう。しかし何かの漫画で読んだセリフが正鵠を射てる。奇跡は信仰に入るきっかけとしてはちょくちょく起こってくれるのだけど、信仰の結果としては決して起きてくれない・・・・・・と。

 大学に入った頃、キャンパスでは原理研究会っちゅうのが盛んに暗躍していた。統一教会の隠れ蓑となっていた同好会だ。止しときゃいいのに同級生の自他共に認めるガチガチのマルキシストで血気盛んな男が鼻息荒く、「そんなもんおれが粉砕してやる」って、有名なセブンデイズっちゅう洗脳セミナー合宿に出掛けて行った。モノ好きと世間知らず、思い上がりにもほどがある。自ら飛び込んで行くなんて紛うことなき大馬鹿野郎だ。

 何ヶ月かして京都市内で悪友のMがパッタリ彼に出くわした。彼はキモチ悪いほどに晴れやかな笑顔でMにこう語ったそうな。

 ------おお!Mクンか!久しぶり!あのねぇ、僕は新しい境地に達したよ!・・・・・・神は居るねっ!

 ハハハ。奇跡なんて要は、何日か呑まず食わすで寝なければ誰にだってカンタンに起こるものなのだ。神だってすぐにホイホイ降臨してくれる。イージー極まりないがそれが真実だ。言い古されたことだけど、ドラッグのもたらす幻覚と奇跡体験に本質的な差はない。

 さて、もちろん言うまでもなく、その後の彼は統一教会の走狗として、霊感ツボなんかを盛んに勧めるようになったのだった。挙句の果てには韓国まで出かけてって集団結婚式に参加もしたようである。今はどうなったか知らない。親は泣いてるだろう。
 思えばヤマギシ会なんかも同じようなやり口で会員を増やしてた頃と重なる。

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 冒頭に書いた通りで、おれはおそよ宗教なんてこれっぽっちも信じてなんかいないのだけど、だからって宗教を冒涜しようという気持ちはない。明らかなカルトはいざ知らず、普通にその辺にあるようなんなら、信者だからって貶す気もなければ、施設を破壊しようという気もない。

 葬儀に参列してそれが仏式ならば普通に焼香もするし、キリスト教式なら献花もする。ある日、知り合いん家の葬式に参列したら、あろうことか実はその家、おれの大嫌いな創価学会でお題目を延々とがなり立てさせられたけど、まぁ我慢して付き合った。年始の初詣に行けば玉串奉奠もするし、柏手も打つ。そもそも結婚式はチャペルだったな(笑)。

 ・・・・・・つまりひじょうに寛容なのだ、おれは。否、おれだけでなくたいていの日本人はそんなんだろう。無節操とも言うけれど(笑)。

 なのに、あらゆる宗教は往々にして寛容の徳を説くくせに不寛容が目立つ。世界の終わりだとか末法の世の後に信者だけが救われる、な〜んてケチ臭いコトばっか並べ立ててる。異教徒、あるいは異なる宗派だともぉ人間扱いしなかったりする。話は脱線するけどそれは、昨今のこれまたイスラム圏と西欧キリスト教社会の軋轢で盛んに叫ばれる「表現の自由」の「自由」にとても似ているとおれは思ってる。
 寛容たって、許してるのんキリスト教社会の中だけでぢゃねぇか!?自由たって、認めてるのんキリスト教社会の中のさらに白人だけぢゃねぇか!?みたいな。
 別にイスラム世界に与するワケぢゃないけど、自分たちに都合のいいとこだけツマミ食いして、寛容だの自由だのって御高説垂れられても知らんわボケ!と言いたくなってくるよね!?

 そぉいや花村萬月の小説の中でヤクザの主人公が、借金返せなくなった中小企業の一家を仲良く全員揃って海外旅行にトバす際、部下に確かこんな内容のセリフを言い放つ。

 ------平等だ、あくまで平等を心掛けることだ。権力でもって平等を与える者は畏怖される。

 どうにも宗教の説く寛容の背後にあるのは、このヤクザの主人公の残忍・冷酷で狷介な性格と通底してるように思えてならない。

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 ともあれ、こんなにも宗教から遠いトコにいるのだから、多分おれに救済は訪れないだろうし、くたばったからっていいトコ行けることもなかろう。それでいい。全然構わない。

 死んでからそこが無明の闇であろうがなかろうが知ったこっちゃない。そんなんより今の世を生きながら、不毛極まりない宗教の荒野を歩む方がよほど真っ平御免というものだ。

2015.02.17

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