「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
AでなくてはBできないC


興味の無い人からしたら単なるボロボロのエレキ(笑)

http://www.vintageguitarz.com/より
 【問】 上記表題の「A」・「B」・「C」それぞれに当てはまる言葉を述べよ(複数回答可)。

 色んな言葉が考えられる。

  ●A:ストラト、B:出すことが、C:音
  ●A:ツアイス、B:吐き出すことが、C:絵
  ●A:空冷フラット6、B:味わうことが、C:高揚感

 実のところ模範解答は無数にあって、逐一言い出すとキリがないので3つくらいで止しとくが、断言しても構わない、まぁこのテの言説の99%はまったくのウソ、若しくはペダンティックなハッタリ、あるいはクダらない自己満足の思い込みである。
 しかし、このような浮わついたセリフについつい乗せられて物欲パワー全開になっちゃったり、いつまで経っても自分の所有する道具に満足できずに鬱屈たる思いを募らせてたり、取っ替え引っ替えの遍歴を重ねたり、或いは人生棒に振っちゃったり・・・・・・なんてぇ御仁はとても多いと思う。

 今日はそんな話だ。

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 結論から書いちゃってると、どうにも文章の後が続かなくなっていつも困ってしまうのだけれど、この「AでなくてはBできないC」は主観の世界に於いては実際にあると思う。また、大いにあっていいことだろうとも思う。

 おれみたいなチャチな耳にだって、自分で弾いてればストラト・レスポール・SG・フライングV・・・・・・それぞれの個性が分かる。良さも分かる。デキのヒドいムスタングやダンエレクトロはもっとハッキリ分かる(笑)。アンプにしたってわざわざ真空管に替えたのはやはり、独特の粘りとか音の芯・ハリが違うなぁ〜、エロいなぁ〜、って感じたからだ。エフェクターもどんなにデジタル技術が進化しても、歪み系なんてやはりブースターで持ち上げてさらにアンプの方もフルアップにした時のドスの効いたブッとくも艶やかな歪みには敵わない。

 しかし、それは実際に自分で弾いてるからこそ分かることであって、そんなん聴かされてる方からすれば殆ど何も違いは分からないし、見事なくらい第三者には伝わらない。せいぜいが「あ〜、上手ですねぇ〜」とか「エエ音させてますねぇ〜」程度の、気の抜けた炭酸飲料か風呂の中の屁のようなマヌケなコメントが引き出せる程度だろう。

 カメラやレンズにしたって同じだ。一眼レフだけでもう3台目になったワケだけど、自分で撮ってるとそれぞれの写りの違いは何となく分かる。残念ながらそれぞれの個性を引き出すなんてぇレベルにまで腕が上がってないんで、ボディによる味の違いまでは分からない。でもレンズはまぁある程度分かるようになったかも知れない。スームと単焦点、同じ焦点距離、同じ画角で撮っても違いは自分では分かる。でなきゃ単焦点なんて買わへんって。
 しかし最も変わったと感じたのは結局、扱いやすさとか性能の向上だったりする。ピンボケや手ブレによる失敗が劇的に減って歩留まりが大いに向上したことや、被写界深度、解像感の違いによる透明感やら空気感みたいなのが苦労せずとも得られるようになったのである。しかしながら同じサイズにリサイズすればAPS−Cだろうがフルサイズだろうがその差は僅少で、増してや見せられる方としては・・・・・・以下省略。

 クルマについてはその違いが比較的第三者にも明確に分かるかも知れない。軽自動車と2000ccのクルマでは横に乗せられてても明らかに違いを感じるし、ワンボックスとセダンでもやはり違う。
 しかし、ヴィッツとフィットとマーチ、デミオを目隠しで乗せられて正確に車種を当てられる人はまずいないだろう。素人ならともかくお偉い自動車評論家だって怪しいものだ。ヴォクシー/ノアとセレナでも同様、イスズと日野と三菱のトラックも然り、86とBRZ・・・・・・あ、こりゃ一緒だな(笑)。
 それほどまでに乗り物の世界では各セグメントでの均質化は進んでいるのである。強いて挙げるならスバルの独特の旋回性、アレは他社にないものなので、山道で振り回せば気付けるかも知れない。ただ、その前にクルマ酔いするだろうけどね。

 自動車はこうして車種や大きさによる違いが分かるが、バイクやチャリになると第三者に違いを分からせるのがそもそもむつかしい。単車に目隠しで後ろに乗せられてもおっかないだけだし、ロードバイクなんかではそもそも後ろにも載せられない。だから以前ボロクソにコキ下ろしたようにロードバイクのインプレ本はああも提灯記事丸出しで出鱈目の限りを尽くせるのだろう。

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 ・・・・・・って、批判がましく書いてはみたものの、エゴ丸出しで微妙な差異に拘ることこそが趣味でありヲタクなんだから、自分自身の中で「AでなくてはBできないC」を炸裂させて悦に入るのはいっかな自由である。思う存分やれば宜しい。

 おれにしたって理由の大半はまぁ単なる所有欲だったが、それでもこの「AでなくてはBできないC」がためにギターがバカみたいに増えて来たんだし、カメラはコンデジも含めれば2ケタを買い替え、レンズも何だかんだで10本くらい渡り歩き、ただの鉄フレームなのに部屋には2台のロードバイクが鎮座しとるワケである。クルマは比較的乗りつぶす方なんで他の道具とはいささか違うとは申せ、それでももう何台目だ?

 ただ、だからってこの「AでなくてはBできないC」を他人に軽々しく語るのは主観と薀蓄の区別さえ付かないようで、実にみっともないし幼稚な感じがする。どうにも如何なものかとずっと思っていた。全部読み返したワケぢゃないんで余り偉そうに言えないが、そんなんで拙サイトの駄文の中でもこのような言い回しは努めて避けるようにしてきたツモリだ。多分使ったことはこれまで多分ないと思う・・・・・・あ、あったらゴメンナサイ!!何せいつも大体酔っぱらって書いてるもんで・・・・・・ポリポリ。

 なのになのにああそれなのに、世の中余りにイージーに「AでなくてはBできないC」を語ろうとするヤツが多過ぎる。全く以てどうにかしてる。それはどうにも癇に障るし嘆かわしい。
 理由は?っちゅうとカンタンで、恐ろしいコトにおよそあらゆる事物にこの「AでなくてはBできないC」という一見重々しく思慮分別がありそうで、その実内容空疎なフレーズを当て込むことが出来てしまうからである。
 世に溢れる安っぽいド素人のインプレ・レビュー、モノ関連のブログといった類の中にももちろん、「AでなくてはBできないC」は氾濫しまくってる。さらに語尾に「・・・・・・があることは確かではないかと思います」なんてぇですます調の丁寧言葉のオプション付ければ若干の奥床しさがプラスされて効果的だろう(笑)。

 つまりはもう手垢付きまくりのフレーズなのに、恐らくそんなことは少しも思いを致すことなく得々と「AでなくてはBできないC」を語ってるページとかを見ると、最近はもう心底こいつはアホなんだろうなぁ〜、とまで思う。

 しかし、少し冷静になって日々世界中で起こってる殆どは陰惨で不幸なな出来事等を考えると、まぁ趣味趣向の世界でばっかしこんなにも「AでなくてはBできないC」が垂れ流されてる今の日本は取り敢えずとても平和なんだろう、憤慨したって仕方ない、ってコトにすぐに思い至った。むしろ実にありがたい状況なのかも知れない。

 そう、こんなんみんなが口々に叫ぶようになったらおれはとても嫌だし、怖い。

 ●アッラーの教えでなくては実現できない世界秩序
 ●南無妙法蓮華経のお題目でなくては到来しない平和

 ・・・・・・ひねくれ者のおれの駄文を酔狂にも読んでくださってる諸兄に於かれては、まさかこんなことマジで言ってる人はいませんよね!?(笑)


味がどぉこぉより単なる物欲っちゅうた方が清々しいって思いません?

2014.12.26

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