--------殿中でござる。殿中でござる。殿中にて刀を抜けばお家は断絶、身は切腹・・・・・・。
一説には、江戸城松の廊下の欄間の透かし彫り越しのチラつく光に、持病の癇癪の発作が起きて錯乱したなどとも言われるが、いずれにせよこの一件で播州赤穂の小藩であった浅野家はお取りつぶしとなり、残った家臣の一部は徒党を組んで本所の吉良邸に押し入って仇敵・上野介を討ち、本懐を果たしたのであった。200余年前の今日、12月14日の(当時はは旧暦だったけど)の夜半のことである・・・・・・。
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ここに「鯰絵」と呼ばれる一枚の錦絵がある。巨大なナマズがまるで鯨のようにのたくって、大黒天が大判小判・金銀財宝の類を周囲に撒き散らしてる、という何ともシュールな絵柄だ。生簀に十日戎のクマデをぶち込んだようなまことに賑々しいもので、江戸時代、安政の東海・南海地震とそれに続く江戸地震の後に盛んに描かれたものだという。
前者は被害が文献等で判明してるものとしては、日本の歴史上ケタ違いに甚大なものであった。M8.4、正確には2日にわたって発生した。まず始めに東海沖でプレートが動き(安政東海地震)、翌日、耐え切れなくなった紀伊半島沖から九州くらいまでがズレたのである(安政南海地震)。二つあわせてM8.4ではない、それぞれが同じくらいの規模だったのだ。
さて、この絵の意味がどぉゆうことか、っちゅうと、実は大地震によるカタストロフによって、富める者は財産を失い、貧しき者にはお助け小屋その他の救済があるわ、復興に向けた建設ラッシュその他で仕事の口が引く手あまたであるわ・・・・・・で、富の平準化が進んだぜ、地震ブラボー!ウェルカムだぜ!Oi!Oi!Oi!みたいな、まことにアナーキーなものなのである。
たしかに、一理も二理もある。阪神大震災の後、近畿地方は建設関連を中心に震災特需で沸きに沸いた。友人の勤める住宅メーカーは震災後の数年間、そこの家が揺れに強いという評判が立ったこともあって、もう笑いが止まらない状態だったらしい。
富の移動はホンのわずかではあるが、たしかに起こったのだ。
ともあれかくして江戸時代末期、一般庶民にとって、大地震はいわば天恵であったわけで、とんでもない話ではあるが「地震待望論」が生まれたのである。
タイトルどおりのベタな展開だけれども、即ち大地震とは、もはや「革命」と言っても良い現象なのであった。それもイデオロギーも団結も、ムシロ旗も赤旗もビラも立て看板もヘルメットも、内ゲバも旧体制の処刑も時後の粛清も・・・・・・くどいな(笑)、ともあれ何一つ不要の。
地震が四の五の言わせぬ一瞬で後腐れのない革命であることをいみじくも喝破した点において、この錦絵の透徹した観察力、ひいては江戸町人のドライでシニカルな見識は相当のものだったと言えるだろう。
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さて、生暖かくも着実に、貧富の差は拡大しているらしい。それも、日本で顕著なのは中所得者層以下の部分での貧富の格差が広がっていることで、これは他の先進諸国には見られない現象なんだそうな。しかしここで、自民党政治がどうのこうのとか言う気は毛頭ない。
実は貧富の差とは資本主義の問題ではない。貧富とは平たくゆうと、世の中には働いた分以上に儲けるヤツと、働いた分だけ儲からないヤツがいるってことなんだ、と昔プロの活動家に教えてもらったが、このあっけらかんとした事実は実は文明そのものの、もっと突き詰めて言えば人間そのものが内包する根本的な「業」のようなものだからである。だから共産主義にだってある。党幹部かそうでないかによって(笑)。ヤマギシ会の似非コミューンの中にだってあるだろう。
・・・・・・と、アタマでは分かっていても、わずかな家のローンに汲々とし、ヨメもちょっとは働きにでないとやりくりして行けないロウワーミドル、つまり「中の下」たるおれとしては、それでもやっぱしハラは立つ。これもまた人間の業、ってモンだろう。いやまぁ、これでオンナ日照りのない「性の富裕層」だったりしたら、もうちったぁ〜いろんなくさぐさことの溜飲も下がっていたのだろうか?(笑)。
今日はそんな話をしたいのではない。
経済メカニズムが複雑・グローバル化してる現代にあまり乱暴なこと言っても戯言に過ぎないし、おれはとんと銭カネの問題に疎いので、話半分でこっから先は読んで欲しいのだけれど、そんな門外漢のおれにも分かるリクツがある。それは預けた金にも借りた金にも「利子」っちゅうのがつく以上、貧富の差がいったん広がり始めると、それはよほどのことがない限りは拡大の方向に向うはずだ、ってことだ。
長い長いゼロ金利時代は終わり、長期金利はグズグズしながらも上昇傾向にあるし、20代半ばから30代終わりまでの最も生計費がかかってしかるべき層によって不安定な派遣社員や請負が支えられているっちゅう実態も、これを後押しする要因となるだろう・・・・・・あ〜馴れないこと書くと肩がこるなぁ〜。
貧富の格差があることは仕方ないとしても、それがあまりに大きくなりすぎるのは本能的にマズいことだと思う。しかし、資本主義は「主義」を標榜しつつ、その実「思想」もなければ「メカニズム」もない「原理」のようなモンであるから、その向う先が是であれ非であれ、根本的な抑止機能は存在しないんぢゃないかともおれは思ってる。
どの程度の格差までが妥当なのかは知らないが、今は憂慮すべき方向に大きく社会が動いてる気がしてならない。
ちなみにもし、政治が抑止の役目を果たせると思ってる人がいるとしたら、そりゃ大甘栗の甘納豆は大納言、っちゅうヤツだ。今の政治が、即効性と有効性のある対策を大胆に断行できるわけがないではないか。民主主義と大資本に支えられ、トーダイ出の狂えない卑小な事務方に牛耳られ、色々な利権が甲論乙駁でやりあうばかりでちっとも結論のでない政治に。
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話を戻す。ホンネのところでおれは、下らないロジックの整合性やバランス感覚といったものまで問答無用で一気に蹂躙する大地震の到来こそが、貧富の拡大に対して有効に作用するのではないかと、今、かなり本気で思ってる。とはいえ、東海沖の巨大地震もカウントダウンと言われながら一向に来る気配がない。アテもなくそれを日がなまってても仕方ないことだろう。
ならば、「お取りつぶし」が復活するのが一番の妙案だろうなぁ〜、なんて思ってる。でも、こんなもんが今どき法として成立するはずもないので、もはや勝手な「妄想」に過ぎないけど。
冒頭の赤穂浪士の例を引くまでもなく、江戸時代、おおむね今の地方自治体に当たる「藩」にも、また時代劇なんかで山吹色のモナカ、なんちゅう粋な菓子折りをそっと差し出してニヤリと笑う「商人」にも、それが不始末をしでかしたり、あまりに肥大化した場合には「お取りつぶし」っちゅう処分が待っていた。
この措置の過酷さに較べれば、このところ頻発してる生損保各社やサラ金への業務停止命令なんてカスみたいなもんだ。死刑と廊下で立たされるくらいの開きがある。
言うまでもなくこの制度が何がしかの高邁な志によるものではなく、あくまで徳川家による幕藩体制の安寧と秩序を維持するためのものだったとはいえ、結果的には富裕層の固定化を抑止する効果が多少なりともあったのではないかとおれは考えている。チョーシくれてると、ある日突然バキッとやられてさいなら〜、いきなりド貧民へと転がり落ちるワケだから。
ところで現在、チョーシくれてる連中って誰なんだ?
政治家か?自治体か?ITか?通信か?銀行か?商社か?証券か?保険か?流通か?自動車か?年金持ち逃げ世代か?しかし、お取りつぶしの後には何が来る?次群の富裕層がまた同じ寡占を繰り返すのか?そしたらまたお取りつぶしか?敵は組織なのか個人なのか?強者が弱者を搾取するのか?ブルーハーツの歌詞にもあるではないか「弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩く」と。
・・・・・・そこまで到り、酔いも回って混濁したあれこれとりとめのないおれの脳内逍遥は立ちすくむ。やっぱ地震っきゃねぇな、こりゃ(笑)。
【参考文献】
「大地動乱の時代」石橋克彦(岩波書店、1994) |