「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
御犬様


チビゾウ近影。

 幼稚園の頃の一時期、家に犬がいた。

 茶色い雑種で、父方の祖母が拾ってきて平野にあった家で飼ってたものだが、そこを引き払うことになって捨てるわけにも行かず、杭全の我が家に引き取られて来たのだった。
 どれくらいの期間いたのかはもう覚えていない。何せ5軒続きの狭い家だったし、通りに面していきなり玄関の扉があるような構造だったから犬小屋さえも置けず、両親はかなりその存在を持て余していたような気がする。
 ・・・・・・というのも「タロウ」という名前のその犬、見事なまでに駄犬で、お手の一つ出来るわけでもなし、いつまでたってもワンワンワンワンと吠えグセが止まず、家の中に放せばあちこちでマーキングをするという体たらくで、おれなど怖くて怖くていつでも泣きながら逃げまどっていたものだ。
 今思えば、おれだって窒息しそうになってた家の雰囲気に、駄犬とはいえ人間なんかよりはるかに敏感なタロウは相当ストレスを溜めてたのかも知れない。

 その内、いいもらい手が知り合いに見つかって、タロウは引き取られていったのだが、可哀想なことにほどなくしてジステンバーに罹って死んでしまったという。もう40年くらい前の話だ。

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 太平の平成日本は今、空前のペットブームである。

 朝夕の公園にでも行ってみるといい。ベストみたいなん着せられた生意気そうな小型犬から、ブチャむくれたの、あるいは芸の覚えは悪げだが膂力にまさる凶暴そうな大型犬まで、何だっている。無論、野良犬ではないから、おおむね犬の数と同数かちょっと少ないだけ飼い主もいる。たいていはオッサンオバハンだが、DINKSなのか何なのか若夫婦みたいなんもケッコー目立つ。
 ホント、ようやく子離れして親バカ卒業したと思ったら、今度は犬バカかい!?それともアレか、子供がヒッキーで家庭内暴力振るって手に負えないもんだから、従順な犬に逃避したのかい!?やりがいとか自己実現とかキャリアアップとか抜かして、子育ての貧乏と面倒くささ放棄かい!?などと、悪口雑言の限りを尽くしたくなってくるぞ、ったく。

 犬だけではない、猫はもとより、兎やハムスター、小鳥に魚、爬虫類、昆虫・・・・・・ホームセンターに行っても、ペットコーナーは店内の巨大な一角を占めてるのが普通だ。ペット産業の市場規模は1兆円をとうに突破し、飼われる犬猫の数は3千万匹に迫ろうとしているらしい。ちなみに15歳以下の子供の人口は千八百万ちょっとしかいない、というのにだ。恐ろしい話だ。

 ま、おれもそれほど偉そうなことは言えない。家には現在、飼ってはや8年、手の平大にまで育った「カメキチ」っちゅう名前の銭亀がいるし、夜店の金魚すくいで取ってきた金魚もいる。
 ちょっと前までは「チビゾウ」という名前のロボロフスキーハムスターもいた。その先代は「ハムゾウ」という名前のジャンガリアン。ハムスターは元々寿命が短く、大切に育てても3年くらいしか生きない。なついているのに死なれるのはやはり悲しいので、もうハムスターは飼わないことにした。主を失くしたケージは、今はベランダの物陰にしまわれたままだ。

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 それでも、と思う。何なんだ!?この異常なまでのペットブームは?絶対、どっかおかしい。

 ペットロス、って言葉があるらしい。ペットに死なれて、その悲しみから立ち直れないでそのまま鬱状態になってしまうことらしい。まっこともってアホちゃうやろか?目ェ噛んでオマエも死にさらせ!と思う。ちなみに、呆れたことにそのカウンセラーまで存在するのだそうな。どこまでホンマおめでたいのやら。

 ペットは可愛い。そして、情の移ったものの死は悲しい。それは言うまでもないことだ。こんなおれでも、ハムスターが死んだときは、なんだか不憫でちょっと泣けた。しかし、ぶっちゃけ忌憚なく言ってしまえば所詮は畜生の死である。そこには割り切りが必要なのだ。その当たり前のことが分からず、悲しみを克服するだけの意思の力も持てず、死(あるいは命)のプライオリティを自分なりに整理できない者なんて、手厳しい言い方をさせてもらうと「人間の姿をしただけのフニャフニャした気味の悪い生き物」に過ぎない。
 こぉゆう骨の髄まで情緒だけで出来上がったようなヤツは(・・・・・・って同じ言い回し前に使ったなぁ、笑)、本来的にはペットを飼うべきではない。たいていの愛玩動物は残念ながら人間より寿命が短いのだ。どうしても飼いたいのなら、ゾウガメを勧める。平均寿命が200年もある。アンタがくたばったあともノソノソと元気でいてくれるだろう。

 そういや先日、南洋在住の作家・坂東真砂子が、飼い猫が孕んではボロボロ子を産むのを崖から捨ててるって話をエッセイに書いて、どえらい物議をかもしていた。まぁ、なるほど実際たしかに、胸くその悪くなるようなかなりバッドテイストな話ではある。しかし、こんなコトを敢えて文章に起こして発表する以上は、そこに何かしら陰険な意図があるのだろう、とフツーは気づいていろいろ考えるはずなのに、日本人の白痴化はどうやら半端ではないらしい。
 「そんな残酷な〜!」とか「カワイソ〜!」とか「ひどい〜!」とか、ちょっといささかその平板さにウンザリするような感情論ばかりがたちまち噴出したのだった。お話にならない。中には「何で不妊手術を受けさせない?」という理論的な非難をした人もいたけど少数派だったし、それに彼らでさえ問題の本質に気づいていない。
 坂東を弁護する気は毛頭ないが、彼女が撃とうとしたものは分かる。「動物愛護の名の下の、度しがたいまでの人間のハッピーな身勝手さ」である。キリスト教臭さプンプンの「人間は万物の長」という思い上がり、である。

 生き物の要件としては、「自己増殖能力」「エネルギー変換能力」「恒常性維持能力」という3つの能力が挙げられるらしい。だとすれば、その一つを人間の論理でもって一方的に奪うことは、カタワで生かすという最高の暴力であり、とてつもない辱めに他ならない。中国の宮刑の例を引くまでもなかろう。やはりとても残酷なことなのだ。
 ペットを愛玩するという行為はつまるところ、決して「他の生き物の生命を貴ぶ」ことではサラサラなくて、人間の利己主義の極限である。それを見据えないままやれ可愛いだの可哀想だのホザくのは、どう考えてもおめでた過ぎると思うのだが、どうだろうか?

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 今、家族から「今度は犬を買ってくれ」とせがまれている。言うまでもなく、おれはあまり乗り気ではない。しかし、犬はやはり可愛い。困った・・・・・・。
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この世の悲哀を一身に集めたようなカオしたパグはいいな・・・・・・

http://peachykeene.blogspot.com/より
2006.12.06
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