「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2021 山梨(二日目・後半)

続いては八坂大神社に到着。

恵林寺の北東あたり、葡萄畑が切れて山裾に連なるあたりにある神社です。
裏山に磐座があるって情報なんですけど・・・・・・。
・・・・・・手前横にありました。
結構な大きさがあってそれなりに趣はあるものの、どうもポジションが宜しくないですね。
この位置で撮影敢行はむつかしい。
オマケに太陽の向きがサイアクだったりして。

写真は朝か夕方、って言われるのは分かる気がします。
神社の隣には巨大な桜の木。

ちょっとばかし時期が遅かったかも。
へぇ~!天然記念物なんだ!

調べてみると、有名な桜の巨大古木はほぼこのエドヒガンって品種らしいです。根尾の薄墨桜とか、同じく甲州の神代桜とか。
つっかい棒の独得の並び方が印象的な葡萄畑。
さらに南下して、蘇芳桜が満開になってるトコがありました。
かなり派手な色っすよね!?
そうこうしてるうちに旧・勝沼駅スイッチバック跡に到着。

現在の勝沼ぶどう郷駅の横に伸びています。
駅前にはいささか状態の良くない電気機関車が保存されてます。

碓氷峠ほどの急勾配でない路線用に作られたEF64。
実のところEF60~67って、66以外は殆ど同じだったりするんですよね。

減速比の違いや貫通扉の有無くらいで、後はホンマ似てます。
現在の駅舎もすぐ近くにあります。
かつて中央本線は初狩・笹子・勝沼・韮崎・新府・穴山・長坂・東塩尻・・・・・・と実に8ヶ所ものスイッチバックがある、とんでもない山岳路線でした。
そらそうですわな。

新宿から標高700mを超える塩尻まで、いくつもの峠を越えながら行くんですもんね。
撮影敢行した方が良かったかなぁ~・・・・・・?

ちなみに「はじかの」とは現在の「甲斐大和駅」のことです。

「えんざん」は・・・・・・♪塩山を抜け♪表札を潜り♪路面の穴には兜蟲、なんちって(笑)。
国道20号に出て少し先、次の目的地に到着。
これまた武田氏ゆかりの大善寺です。
武田信玄の息子・勝頼は、信長の甲州征伐で小山田信茂の謀反にあって敗走中、この寺に逗留したと言われています。

そしてそのおよそ1週間後、武田家は滅亡しました。
ここにも蘇芳桜が咲いてますね。

そうした武田家の最期の様子を綴ったのが、この寺に残る「理慶尼記」だそうです。
本堂まではメッチャ長い石段。
おお!なんとココも懸崖造りぢゃあ~りま温泉。
まぁ、このタイプは階段の下を潜り抜けるためにムリヤリ作ってる気もするんですけどね。
本堂に到着。

寄棟の五間四方でなんとなく白水阿弥陀堂を広くしたような印象。
ちなみにこの寺、戊辰戦争にも縁があるそうです。
本堂内陣は撮影禁止だったんで、先程の懸崖造りの中へ。

「楽屋堂」と呼ばれてるみたいです。
休憩スペースみたいになってました。
さて、ここから以前訪ねた大日影トンネルの方に山を入って行きます。
この看板の近くから山を北に上がるとあるハズなんですが・・・・・・。
落ち葉で滑りまくる急斜面を必死で登りましたが、結局何もありませんでした。

後からよく調べると、200mほど下流のトコから上がれるようになってたみたい。残念!!
仕方なく、下流の本宮に戻って来ました。     
以前も結局場所が分からなかった深沢大石神社です。

神様が船石という大石に乗って、奥宮から川を下ってココまでやって来た、っちゅう変わった伝説があるようです。
ちなみに、もっと下流には里宮があります。

小さいながらも、チャンと山岳系の大きな神社のスタイルになってるワケですね。
ここまで来る人はしかし少ないのか、いささか荒れた印象。
拝殿の隣、少し高くなったトコには石の構造物。

神池の跡か何かかな?磐境にしては深い穴になってるし、真ん中に島あるし。
後方に見えるのが、かなりな大きさの御神体の巨石。
その下にはナカナカ立派な陽石が屹立。

左は恐らくマンの方でしょう・・・・・・いささか写実性には乏しいですが(笑)。
ぶっちゃけ磐座・磐境・神籬等の区別は良く分かってなかったりするんですが。
これはさっきの石組み以降の反対側あたりにある小さな磐座。

天然石を積んで祠状になってます。
寂れてますけど、正月にはどんど焼きやったりしてるみたいですね。
奥宮には行けませんでしたが、深沢大石神社、本宮も十分にサイキックな雰囲気の場所でした。
国道に戻り、ボックスカルバートを並べたトンネルの裏の狭い道を行くと突然現れる廃吊橋。

渡れば確実に死ねますね(笑)。
次のポイントを目指すには、クルマの置き場所の関係上、こうして行くしかないんですよ。
地図見てて何となく気になってた聖観音堂。

場所的にはトンネルの上あたりになります。
非常に繊細な細工のされた、立派なお堂が悄然と山中に残ります。

これは迦陵頻伽かな?
多分、かつては旧中山道がココを通ってたんぢゃないでしょうか?
奉納された草鞋の山も、いかにも手甲脚絆の旅人が行き交う街道筋の観音堂って気がしますし。
しかし今はスッカリ忘れ去られた存在。

大体、取り付き附近に一切クルマを停められるスペースが無いんです。
同じようなんが横・縦で続いちゃいましたね(笑)。
あ、ここではもちろん撮影敢行。

ただ、寺系って撮りにくい気がします。神社の方がナゼか構図とかキメやすい。
ともあれもう少し整備したらシブい観光スポットの一つになれるのになぁ~、って思いました。
さっきの廃吊橋まで戻って来ました。

後から知ったんですがこの吊橋、「長垣の吊橋」といって、かつては「大和十二景」って絶景ポイントの一つに選ばれていたようです。
撮影敢行すりゃ良かったかな?・・・・・・でも、廃吊橋では以前ハデな撮影事故やらかしてるからな~(笑)。

ともあれコロナに振り回される中、何とか無事に旅行も終わり。あとは下道をタラタラと東京に戻りました。
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