「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2021 茨城(前半)
梅雨が明け、晴れて暑くなりそうなある朝、北関東方面に出掛けてみることにしました。

思えばこの頃、コロナは確かちょっと一段落して、人出が少し戻りかけてた時期でした。
・・・・・・って、とにかく人のいないトコばっか目指してるんで、うちにはあんまし関係ないんですけどね(笑)。

まずは利根川越えてすぐ、守谷の集落の外れにある石神神社に到着。
あれれ!?「石神社」、ってなってますね。

・・・・・・って、細かい名称の違いなんてどぉでも良いんですが。
この神社、本殿がポコッと飛び出た小さな築山みたいな上に乗っかるようにして建ってます。
名前からして巨石系を想像された方は残念!
ひたすらチンマン系っちゅうか、チンポまみれなんですな、これが。

グルッとお社の周囲を取り囲むようにそそり立つチンコの群れ。
太さも長さもカリもマチマチなのが素朴で良いカンジ。
石造りの立派なのもありました。

スカルファックできる人なら挿入できるかも(笑)。
こうしてみると人里離れたロケーションのような感じがするんですが、実際はすぐ近くにまで民家が迫ってます。
・・・・・・なもんでここはムリせず、アッサリ撤収。

ひょっとしたらこの土盛、古墳なのかも知れませんね。
一発目がアッサリ終わったんで、ちょっと東京方面に戻るようにして我孫子のココ。

ハーケンクロイツのつもりで卍を描いちゃったんでしょうね。DQNはバカだから・・・・・・地蔵かよ!?(笑)。
ここは道からそんなに離れてないんですが、ピンポイントで場所を特定しないと辿り着けないと思います。

いきなりこんな穴に落ちたらタイヘン。
鬱蒼と生い茂った木々に囲まれて昼なお暗いココ・・・・・・有名な「オレンジハウス」です。
とにかくこれ以上はない、っちゅうくらい徹底的に破棄されちゃってますね。
ちなみに巷間騒がれてるような心霊スポットではありません。

ピロティ状の特殊な造りからすると、何か保養施設的なモノだったようです。
寮だったって説もありますが、部屋が割とどれも和風で趣味性高く拵えてあるんですよね。
な~にが「昭和57年に一家心中があった」や!?「子供の霊と話すな!」や!?
1階は何に使ってたんでしょうねぇ?

ある種、広い座敷やホールみたいにしてたような気がします。
いやまぁココでは大量に撮影敢行したんですが、紹介できるのはこれくらいです。

とにかく廃墟は荒らさないことをみなさん心掛けましょう。
続いてはR6を北上し、牛久沼の畔にあるこちらへ。
ひじょうに巨大な建物が無残な姿を晒してます。

この辺では老舗として有名だったという「水神屋」です。
唐突にマメ知識をブッ込むならば、牛久沼は日本のうな丼発祥の地と言われてます。

そんなんで今も、鰻を中心とする川魚料理の店が何軒か並んでたりします。
この水神屋は規模的には一番大きかったようで、1階部分では養殖なんかもしてた模様。
なもんでちょっと廃工場な雰囲気もあったりします。
ツブれたワケは簡単で、過剰投資が仇になった、それだけです。

「1995年に経営者が強盗に殺された」って事件、たしかにありますが、調べたら別の場所でした。
懐かしの8トラテープ。

ガチャンって突っ込むんですよ。
ここはレストラン部分。

そんなに荒らされた感じはありません。
何で市会議員ってこうも胡散臭いヴィジュアルの人が多いんでしょうねぇ?

調べてみたら、昨年に69歳で鬼籍に入ってました。
和食屋らしく大量の食器がそのままに・・・・・・パクりたくなりました(笑)。
ここは恐らく洋食的なレストランとかラウンジだったんぢゃないかと・・・・・・。
廃墟の中のガラス瓶って何だか好きなモノの一つ。

静謐が凝縮したような感じがあるんですよ。
鰻屋としてはこの辺で最も老舗で、かつては多くの文人墨客に贔屓にされてたそうです。

実際、常連には横山大観、小川芋銭、志賀直哉、松本清張・・・・・・と著名人だらけ。
客室部分。

いささかチョーシ乗って、結婚式場・宴会場・ホテル・・・・・・と間口広げ過ぎたのに加え、6号バイパスができて動線が変わり入りにくくなったところに、さらに東日本大震災で建物が大きくダメージ喰らったのがトドメを刺したようです。
呆れつつも付き合ってくれるのは本当にありがたい。
客室数からするとムチャクチャ狭い大(!?)浴場もありました。
何てーか、造りのセンスがしかし、あちこちダサくって統一感が無いのが如何にも茨城仕様(笑)。
ダイヤル式の呼び出し機はかなりレトロな一品かも。
再びピロティ状の1階で撮影してたら、湖の方からボートのエンジン音が近付いてくるような気がしたんでそろそろ撤収。
せっかくの老舗もこうなっちゃあきません。

実は蹉跌の始まりは、欲に駆られて古い佇まいを残すのを忘れたことにあったんぢゃないかって気がしました。
これからもこの崩壊しかけた骸のような姿で、牛久沼の畔に聳え続けるんでしょう。

・・・・・・あ!ボートの音で切り上げたのは正解でしたな。どうやら湖岸に繋がる1階奥が船溜まりに使われてる模様。ふぅ~っ・・・・・・。
続いては東に向かい、岡田小学校女化分校に到着・・・・・・以前訪ねた竹内農場のすぐ近くだったりします。

「女化」は「おなばけ」と読むナカナカな難読地名です。
名所旧跡に乏しい牛久で、今は文化遺産オンラインにも登録される貴重な木造校舎。
廃墟ではなく、「牛久市女化青年研修所」として現役で今も使用されているようです。
保存状態は従って極めて良好。
もちろんあんな写真やこんな写真は撮ってません。

それに大体、グランドには何台かの軽トラが集まってイベントの準備中。
まぁ、物好きな観光客に思われたでしょうね。
ともあれこうした古い木造建築が美しく保存されてるのは、とても喜ばしいことだと思います・・・・・・中に入れないのは残念でしたけど。

後半も専ら廃墟中心に、撮影活動に励む予定です。
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