「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2021 山梨(二日目・前半)

翌朝、温泉街を遠望。

営業してるのは左側の大きいのだけで、下の旅館も真ん中遠くに見えるのも絶賛廃業中。
寝惚けてます(笑)。
もっかい風呂に行ってくる、ってんで浴衣にお着換え。
私はいつもの朝の散歩。

・・・・・・へぇ~、この旅館自体が史跡になってんですね。
旅館の裏山の方に登ってみることにしました。

温泉神社なのになんだか妙に地味な雰囲気の湯谷神社。
・・・・・・ってか、いきなりこれ磐座ですやん。
それもかなり立派な。
他にも気になる巨石があちこちに点在してます。

この山には戦国時代、湯村山城といって、武田信玄の父親である信虎が作った城がありました。
う~む、これはノーマークでしたわ。

分かってたら朝食前の撮影敢行してたのに。
・・・・・・かといって、今から急いで旅館の下駄で走って呼びに行ったらコケそう(笑)。
まぁ、アセらず行きましょう。

今日も天気は良さそうだ。
あ、以前訪ねた千代田湖の方にも抜けられるんですね。

あそこは素晴らしいロケーションだったなぁ~。
旅館に戻って参りました。
色々準備中。

こりゃ~急に呼びに戻っても無理でしたね。
そぉこぉするうちに朝食の時間になりました。
いきなり漬物から撮ってしまいました・・・・・・いや、あまりのショボさに(笑)。
ポテトサラダが添えられてるのが嬉しい。

実は大好きなんです。ポテサラ。
何だったんだろ?これ?

要するにスルメかタラか、干物を細く刻んで甘く炒め煮にしたモノ。
これがメインディッシュですな。

左から高野豆腐、ハム、その向こうに隠れて白菜浅漬、ヒジキ煮、向こうが笹蒲鉾、明太子、向こうが里芋煮っころがし。

朝食と云えど八寸になってるようです。
温泉玉子。
かなりペラペラの塩鮭。
味付海苔。

いつも思うんですけど、ここに旅館専用のモノを付けるのってコスト配分としては勿体ない気が・・・・・・。
味噌汁は、白味噌のように淡い色でした。
実は二人とも、旅先の方が熟睡できてたりして。

いや、普段は曜日関係なしに朝はネコに起こされてますから。
そんなこんなでチャチャッと出発進行!
ヨメは来たことないんで、まずは武田神社へ。

私は何だかんだで3回目かな?
甲府市内観光の定番スポットの一つでしょうね。

めっちゃ街中にあります。
あまりに有名すぎて今更注釈を加えるのも憚られますが、こここそが武田氏の本拠地であった躑躅ヶ崎館の跡地です。
・・・・・・って、神社がこうして建てられたのは実は大正時代の半ばだったりするんですが。
当然ながら境内の至る所に武田菱の家紋があります。
奉納の一斗樽も武田菱。
これはこの辺から信州方面でよく見る子供が生まれた時の名前の奉納。

個人情報がぁ~!とか野暮言っちゃいけません。
手水舎ももちろん武田菱。
山梨県民にとっては武田氏は未だにスーパースターなんですな。
続いては、何度目かの訪問になる春日居の八嶽山神社。
いや~、何でか知りませんけどここはどうも相性悪くて、辿り着けてないんですよ。
・・・・・・で、今回も失敗。

尾根道を上がったトコの巨石群で力尽きました。
今にも崩壊しそうな懸崖造りの妙見神社も結局、行けず仕舞い。

そんなにハードではないハズなんですが、ここは縁がないのか何なのか、いつも辿り着けないんですよ。
それはともかく、これは桃の花ですかねぇ?桜ですかねぇ?
気を取り直して続いてやって来たのは・・・・・・
首地蔵です。

ちなみに自然石の上に頭部だけ拵えて載せたスタイルの石仏では下諏訪の「万治の石仏」が有名ですが、現存数では山梨の方が圧倒的に多いです。
うわ~!謂れの説明が長すぎ!(笑)

とにかくまぁ、落っこちてきた大岩に潰されて死んだ子守り女の霊を慰めるために出来たけど動かそうとすると祟りがあって・・・・・・云々。
いや、これ見に来たんぢゃなかったんだ。

目的地はその隣にあるココ。
ひゃぁ~!めっちゃ急な石段やな。
子之神社です。

間違いなく背後の巨石が御神体だと思われます。
ムチャクチャ急なトコにボロボロのお堂があります。

上から鞘堂作ってあるトコから考えると、余程オリジナルを残したい事情があったんでしょう。
でもぶっちゃけ、ちゃんと本体のお堂を立て直した方が良いような気がします。
・・・・・・あ、もちろんココでは撮影敢行。

ただ、磐座をバックに収めるのにはとても苦労しました。
上りより下りの方が絶対に怖い。
この辺一帯は、探せばまだまだ巨石スポットがあるのではないかと睨んでます。
続いては140号バイパスのトンネル真上あたりにある秋葉大権現。
殆ど地元でも忘れられた存在ではないかと思います。
これまた急斜面を登ってくと、ニュウ~ッと磐座出現。
奉納の幟なんかがあるトコを見ると、今でもそれなりに信仰を集めてるようです。
遥か下に民家の屋根が見えてますね。

ちなみにヨメは吊橋とかの高いのは苦手なものの、急斜面はケッコー平気。
それにしても山梨方面も、大体巨石はコンプリートしつつあるような気がします。
続いては「隼遺跡」・・・・・・いやいや、こんなん絶対に近付けませんがな。

なもんで、写真はこれ1枚だけ。右側の擁壁の下あたりにあるみたいなんですが。
あんまし危ないトコばっかしも疲れるんで、これまた武田氏ゆかりの地、菩提寺である恵林寺に。
「滅却心頭火自涼」で有名な快川和尚のいた寺ですな。

信長の焼き討ちにあった時にそう言って悠々と火に飛び込んだ・・・・・・って逸話は実は後世の捏造。
ほんなコトゆうたかて、だってそもそも熱いモンは熱いっしょ?
徳川家の庇護もあって江戸時代に再建されて今に至ってるそうです。
信長が旧寺社勢力を嫌ったのは、権力を時に籠絡・左右するクセに、自分は全く責任を取らないコンサル的な態度が気に食わなかったのでは?って想像してます。
探したけど見当たりませんでした。
「風林火山」はホンマにスローガンだったみたいっすね。
自然僕を組み合わせた見事な梁。
よく見ると、外に露出してる小屋梁なんかもそのままの木を使ってますね。
高地の盆地にもようやっと春が来たカンジです。
ところで、徳川家が旧・武田氏の一党を庇護したのは何でなんでしょうね?
実は日本の歴史にはトンと疎くて・・・・・・。

何はともあれ、ケッコー良い雰囲気でした、恵林寺・・・・・・キノコはエリンギ(笑)。
おなかがそろそろ空いて来たので、寺のすぐ入口付近のほうとう屋に入ることにします。

いやまぁ、エネルギーの大半は画像的には何もなかった八嶽山神社で消耗したんですけどね。
壁に並べられた缶詰はどうやら売り物みたいです。

最近はあまり見かけなくなりましたけど、昔は安い飲み屋でメニューに「缶詰」ってよくありました。
ん!?
何でここにショーケンの写真が!?
隣はEpiphoneのポスターだったり。

店主はミュージシャンでもやってたんでしょうかねぇ?・・・・・・ほうとう息子の帰還、なんちって(笑)。
ほうとう、到着!

沢庵が添えられてるのがちょっと嬉しい。
ケッコー、ニンジンが目立ってますねぇ。
たしかに「先代からの味」を謳うだけあってナカナカに美味。

カンタンそうで、素材がシンプルな分、旨味を出すんがむつかしいんですよ、ほうとうって。
あ!店の名前を書いてませんでしたね。

「竹の子食堂」です。ちなみにちょっと北に上がったトコに今は、「人生の楽園」に出てたたこ焼き屋ってのもあります。
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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