2021 静岡(二日目・前半) |
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翌朝、まだ暗いうちからお決まりの単焦点散歩に。 |
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この光の感じは結構好きかも。 |
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思うんですけど今の時代、単焦点ってボケ以外に使い道あるんかな?と。
カメヲタにはシバかれかねませんが・・・・・・。 |
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玄関前の様子。 |
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もう一軒の宿である小杉館の看板が小さいのがちょと悲しい。 |
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この奥が隣接する小杉館です。 |
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川向こうにある温泉の名前の由来となった法泉寺山門。
雨ざらしの仁王さんって案外珍しい。 |
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その奥にある滝不動尊。 |
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この滝を見て記憶がうっすら甦りました。 |
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ここに昔は旅館が二軒並んでて、そいでもってこちらの小杉館の旧館の方の風呂に入らせてもらったんだ。
滝本館はその名の通り、滝のすぐ横にあった!・・・・・・そこは今は更地になってますが。 |
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そんなことを想い出しながら寺に戻ります。 |
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釣鐘、って何か好き。
ちなみに楽器としては最も遠達性の高いモノだそうっす。 |
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何や!?アレ? |
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池の鯉って実はスッキリ撮るのがひじょうにむつかしい。 |
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だからって凝りまくって撮ろうって気にはなれないんですけどね。 |
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写真は突き詰めるとスナップショットちゃうんか?と思ってる自分に、そもそも一眼自体が実は向いてないのかも(笑)。 |
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・・・・・・などと最近ちょとお悩み中。 |
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花ってしかし、性器を高々と誇らしげに開いて見せてると思うと、ムチャクチャ猥褻ですよね。 |
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・・・・・・でもこれが本来の生き物のあり方なのかも。 |
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朝日が上がって来ました。 |
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それにしてもMFTって、画素数とかイメージセンサーとかのイメージでスゴく損してる気がします。 |
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実際に使ってみるとシステム全体の軽量コンパクトさと、画質のバランスがとても使いやすい。 |
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・・・・・・それと、異常にハイレベルの手ブレ防止とか。
後は暗所耐性が2段ほど上がってくれれば言うことなし。
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あ、おはようさんどすえ。 |
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う~む、今日も小さい!(笑)
・・・・・・シバかれるな。
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これで35mm換算14~200mmをカバーし、60mmマクロもある、と。 |
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ではそろそろ朝食に向かうことにしましょう。
・・・・・・って、まだあんましおなか空いてないんですけどね。
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うわぉ!朝も早よからこりゃまた賑やかな! |
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チリメンジャコ。 |
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野菜の炊き合わせ。 |
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ひじきの炒め煮。
最近は仕入品で済ますトコも多いんですが、チャンと手作りでした。
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インゲン豆の胡麻和え。 |
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ハムエッグ。 |
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塩鮭。 |
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湯豆腐は具沢山。 |
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キュウリの糠漬け。 |
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味付海苔。
・・・・・・最近気付いたんですが、旅館の食事を丹念にアップしてるサイト・ブログは数あれど、海苔まで偏執狂的に載せてるのは珍しいかも(笑)。
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味噌汁にはその旅館の料理のクオリティが如実に出ますよね。
もちろんココは美味かった。
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夕食ほどハードコアなボリュームでなかったのでちょと嬉しそう。 |
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ヨユーで完食。
それにしてもこの滝本館、食事がエラくハイレベルでした。
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このモチャッとした感じ、如何にも家族経営の宿っぽくて好きです。 |
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最近の昭和ブームなんかもそうなんでしょうけど、何事もスッキリ洗練され過ぎると面白くないし、飽きるし、疲れるんですよ。 |
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多分、音楽で言うところの「レイドバック」が必要なんでしょう。 |
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暗い部屋の中からの額縁構図って、ありきたりだけど好いっすね。 |
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随分昔に自転車の団体で泊ったことがあるんです、っちゅうたら覚えておられました。
スゴい人数で、旅館だけでなく寺にも分宿したみたいです。
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さて、本日の一発目はすぐ近くの報徳神社。 |
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二宮尊徳を祀る神社なんですが、ここ掛川にはその弟子の岡田良一郎が設立した大日本報徳社ってのがあって、ここはその岡田の旧宅跡。 |
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コンクリートの特異な本殿が目を惹きます。 |
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戦前は神格化されてた二宮尊徳でしたが、今はあんまし流行りませんね。
そんなんもあってかいささか荒れた境内ですが、撮影敢行するには民家多し。
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そうそう!こうした写真でもMFTは案外ピン抜けがないんですよ。
前のD810の方が失敗率高かったかも。
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・・・・・・って、肝心のニノキン撮り忘れたがな~っ! |
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東進して次は事任八幡宮。
「ことのままはちまんぐう」と読みます。
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まずは少し離れた山の上を目指します。 |
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後ろは御神木。 |
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一旦、神社の外に出て登って行きます。
もっと楽勝かと思ってたら、意外に急な山道でした。
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てっぺんに並ぶ磐座。 |
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ココに神が降り立ったと言われてますが、神社のサイトにはなぜか一言も触れられてなかったりして(笑)。 |
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それほど岩は大きくはありませんが、独特の雰囲気があると思いました。 |
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あ、もちろん撮影はサクッと敢行。 |
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思うに磐座は建前でここは、かつて地元豪族の要塞の物見みたいなトコだったんぢゃないかと。
由緒に蝦夷征伐の坂上田村麻呂が出てくるのが何となく怪しいし。
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奥宮まで下って来ました。
神社は元々ここにあったそうです。
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ナメてかかるとけっこうキツいこの階段、271段あるそうです。 |
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平成の初めに道路ができるまで、この山と神社はひと繋がりになっていました。 |
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夫婦杉の幹。
数年前の台風で倒れてしまったんだそうです。
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あぁ、まだチャンとお参りしてなかった。 |
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思い通りに事が叶う、っちゅうんで念入りに拝みました。 |
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これは大楠。
ちなみにむっちゃくちゃ心を込めて祈りましたが、宝くじはまだですねぇ・・・・・・(笑)。
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隣には稲荷、金毘羅山等の摂社が並んでます。 |
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くじら山御霊石だそうで、件の道路工事で雄くじら山が切り崩されることになり、そこにあったらしい磐座を偲んで移したとかナントカ・・・・・・。 |
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そもそもくじら山の由来となった伝説も面白いんですが、引用するとメッチャ長いんで割愛。 |
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本殿裏の今は禁足地となってる雌くじら山にも間違いなく磐座があるのではないかと睨んでます。
最近ハマッてる御朱印もゲットできてメデタシメデタシ。
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さらに東進し藤枝市の外れにまでやって来ました。
急な坂道の上にある小さなお寺。
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東谷山・常昌院と言います。
「ごめんくださぁ~い!」って大声を張り上げましたが誰も出て来ません。
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仕方がない。
開いてるし、入らせてもらうことにします。
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本堂の戒壇裏側に整列するそれらは・・・・・・ |
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明治時代の軍服を着た人形でした。 |
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ここは日露戦争での戦死者をかたどった人形を祀る「兵隊寺」として一部で超有名です。
その数実に223体!・・・・・・それはつまりこの界隈だけでもそれだけの数が戦死した、ってことです。
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みんな同じように見えますが、一体一体すべて顔が違ってます。 |
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このような兵隊寺は私の知る限り他に2ヶ所ありますが、どれも中部地方にあります。
その中でここは最も有名。
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静まり返った中、直立不動でズラーッと人形が並ぶ様子は壮観にして鬼気迫るものがあります。 |
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軍馬もありました。 |
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いや~、ぶっちゃけアップで撮る勇気が出ません。
何だかとても怖い。
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英霊だの七生報国だの言われても、死んだらお仕舞いでっせ。 |
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死んでも大将は大将みたいっすね。 |
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有名な203高地。
籠城作戦を取るロシア軍に正面突破で行ったために、恐ろしく沢山の戦死者が出たと言われてます。
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・・・・・・とまぁ、何だかとても考えさせられるお寺でした。あ!もちろん賽銭はせめてものお礼の印に沢山はずんでおきましたよ。
後半はさらに東進しながら、圧巻の巨大廃墟を目指します。
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