2021 静岡(初日・前半) |
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目印はこれ。
この路傍の廃車体を目指して、雨上がりの秋のある日、静岡県の山中深く分け入ってやって参りました。 |
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そこから廃屋の立ち並ぶ中を抜け、いささか不安になるくらいの高低差をひたすら登って行くと忽然と現れます。 |
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それが嵯塚分校跡です。
山中の僅かな平場に立っています。 |
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恐らくかつてはここまでの道が通じてたものと思われますが、既に廃道となり先程の遥か下の県道からしか今は到達できません。 |
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美しい小振りの木造校舎が山中に悄然と残っています。
情報によると1977年に休校となったようです。つまりもう半世紀近くが過ぎてるワケですね。 |
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ここまでの曲がりくねった山道でちょと酔いました。
とにかく静岡の奥ってアプローチが長く、道路改良も遅れてて狭いんで大変。 |
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裏手には古タイヤを並べた遊戯スペース。 |
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廊下部分は床板だけでなく根太まで抜け落ちてしまってます。
ホンマに勿体ない気がします。 |
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ちなみにここはずっと下の方にある天方小学校の分校でしたが、その小学校もすでに廃校となってます。
森町は静岡県下でも有数の消滅可能性自治体と言われます。新東名が通ったことで、却って過疎化は加速するんぢゃないでしょうか。 |
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堅いハナシはともかく準備開始。
スンマセン!こっから先は静物画のようなショットの連続です。 |
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ここの素晴らしいトコは荒らすような訪問者がい無いコト。
こんな風にちょっと気の利いたコトはしてますけど。 |
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分校ゆえの複式学級だったせいか、机や椅子のサイズがバラバラ。 |
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ここは職員室兼図書室だったような雰囲気ですね。
ちなみに室内の独特の光の感じを活かすため、明るさの補正は敢えて行ってません。 |
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右側のシリンダーは何に使うモノだったんでしょうね? |
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おれ、どれ一つとして当てはまらないかも・・・・・・(笑)。 |
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ここに書き残せる権利があるのって、この分校の卒業生だけだと思うんですが・・・・・・。 |
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最近流行りな日々のヘルスチェックサーベイを、とってもアナログにやってたんですね(笑)。
釘の数が生徒数の少なさを物語ります。 |
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木造家屋ってこうして一ヶ所抜けると、そっからドンドン崩壊して行きます。
コマメに手入れさえすれば100年でも持つのに。 |
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ここまで道路が通じてた物言わぬ証拠。 |
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分校なので先生の部屋もありました。 |
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日本教育新聞・・・・・・こんな業界新聞があるんですね。
その下には臙脂の校旗らしきものも見えます。 |
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これは毛髪湿度計ではないかと思われます。
パツキンの白人のオネーチャンの髪の毛で作るのが上等って言われますな。それをモチーフにした新田次郎の短編がありました。 |
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かつては少ない生徒数ながらも和気藹々と賑やかだったんでしょうね。 |
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こちらにもOBの寄せ書きが。
どうやら幼稚園も併設されてたコト、駐在の先生は夫婦でどっちも教師だったコトが分かります。 |
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妙にリアルな静物画用の果物のレプリカ。 |
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給食も提供されてたんですね。 |
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めっちゃシブいコレは蝋燭。 |
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廃墟の配電盤ってナゼか妙に美しい。
そろそろ切り上げることにしましょう。
ここでは超大量に撮影しましたが、全然撮り足りない気分です。 |
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雨上がりの山道はとにかく「アレ」が心配。 |
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言うまでもなく、恐るべきスナイパーなヤマビルです。
音もなくいつの間にかくっ付くんで、しょっちゅうチェックするしかありません。 |
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集落のあたりまで戻って来ました。 |
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何軒もの廃屋が倒壊しかかりながら残っています。 |
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たしかにココは不便すぎます。
森町の中心部までクルマでも軽く1時間以上掛かる上に、とにかく道が狭い。夜中に急病人が出てもどうにもならないような環境です。 |
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そんな中、この一角だけは比較的綺麗な状態。 |
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積み上げられた茶摘みの道具類。
かつては一面の茶畑が広がってたんでしょうね。 |
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何か良く分からない動力の車輪。 |
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この家は空き家になって間もないか、あるいは定期的に人が訪ねて来てるんぢゃないか、って気がしました。 |
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・・・・・・って、苔がもぉ滑る滑る! |
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この姿勢のままズーッと滑って行きました(笑)。 |
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こちらは村が共同でやってたと思われる製茶工場の跡。
スレート葺きで結構新しいモノな気がします。
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Ready Go!!(笑)。 |
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まだまだ全然使える建物に見えます。 |
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お茶って、摘んで乾かすだけでは全然ダメで、かなり繊細なプロセスを経てようやく緑茶になるらしいです。 |
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それにしても門外漢にはサッパリ分からない機械ばっかし。 |
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何となく焙じ茶を作る釜に見えますが・・・・・・ |
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分校の生徒の誰かが木工で作ったんですかねぇ・・・・・・。 |
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真ん中やや左で開いちゃってるのは森林組合手帳。
「森林組合の歌」ってのが泣かせますね。日付は2007年になってました。その頃にこの集落全体が離村したのかも知れません。 |
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ゆっくりと、しかし着実に蔦が侵食してきています。 |
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ここでも恐ろしく大量に撮影・・・・・・は良いんですが、フツーに服着てるのを撮ってませんでした(笑)。
それはまたいつか別途ご紹介する日が来るでしょう。
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新東名に戻り西進し、やってきたのは高速のすぐ南側にある金刀比羅神社。
有名な岩水寺の南西あたりになります。
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こちらはまぁフツーに立派な神社と申しましょうか、お祭りなんかも盛大に行われてるようです。 |
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・・・・・・って、私たちが用あるのはこっちの方。 |
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「遠州山の辺の道」って名付けられたハイキングコースを5分ほど歩くと着きます。
コロナのせいで上天気なのに誰も歩いてません。
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秋とはいえ、陰影の濃さは残暑の厳しい日差しですね。 |
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・・・・・・って、いそいそ。
この高根山一帯は古墳があったりもして、古くから祭祀の場であったようです・・・・・・防空壕跡なんかもあるみたいですけど。
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でもまぁ、古墳はロケーションにあんまししたくないですね。
高根神社そのもは小さなお社ですが、その裏山は明らかに岩石祭祀系。 |
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そんなトコに摂社が点在してます。
ちなみに拝殿後方も巨大な岩盤となってました。
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「心子女神」という謎の巨石・・・・・・「原子心母」は知ってますけど(笑)。
恐らくはチンマン系なんでしょうが、良く分かりません |
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あややや!雑な着方になっちゃってますねぇ・・・・・・(笑)。 |
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何はともあれシッカリお参り、シッカリお賽銭。
これは絶対に欠かしません。
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こんな小さな神社(・・・・・・失礼!)なのに式内社ってトコに、この一帯の歴史性みたいなんが感じられます。 |
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少し下ったところにヒッソリとある養蚕(蚕影)神社。 |
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色々書かれてありますが、元々磐座としての信仰の場が時代が下がって養蚕信仰の場に転じたのではないかって気がしました。 |
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だってこれ、どぉ見たって磐座ですやん。 |
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金刀比羅神社まで戻って来ました。 |
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ここに「金鳴石」ってサヌカイトみたいな石があるって知ったのは戻ってからでした・・・・・・。 |
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これ、等倍で見たらむちゃくちゃシャープに写ってました。
MFTでも、中級機でも条件さえ揃えばスゴい絵になりますわ。
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少しづつ時間が押して来てます。
何はともあれしかし、おなかが空きました。
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浜松に来て餃子と鰻を外すような我が家ではない!(笑)。 |
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あらかじめリサーチしてた「初代しげ」ってトコです。 |
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昼の営業時間が終わりかけてたにもかかわらず、快く入れて下さいました。
ニンニクの量で「昼餃子」「夜餃子」「深夜餃子」ってあるのが面白い。
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私たちは餃子については余り変化球を好んでません。
これは夜餃子。
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ほいでもって昼餃子を2人前。
旅館に行ってあまりにもニンニク臭かったら迷惑でしょうし。
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それとサイドメニューにあった「ジャージャー丼(小)」を頼みました。
夕食に備えてちょっと控え目。
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それにまだちょっと撮影予定ありますし、おなか出てたらみっともないですしね。 |
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ヨユーで完食!
浜松の北の方にワリと多い、ちょっと揚げ餃子っぽい食感で美味しかったです。
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-----アンタ、ご飯の分だけ余計ちゃうん!? -----いや、そ、そんなことは・・・・・・。
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あとはこのまま浜名湖の近くまで行って、そこから引き返すようにして東進して行く予定です。
当たり続きで、今日はナカナカ濃密な一日が過ごせそうです。
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