「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2020 岐阜~愛知(初日・後半)

続いてやって来たのは、高速道路の橋脚の下の何だか分かりにくいトコロ・・・・・・。
ひょえあ~っ!延々と石段が続いてます。

クルマで上がれる道もあるみたいなんですが、チェーンが張ってあって仕方なくこちらにやって来ました。
清来寺・巖谷不動ってお寺で、瑞浪市街地の北あたりになります。

ここも偏執狂的なデータマイニングで見付けました。
上がると・・・・・・これはナカナカやおまへんか!

ただお寺系はどこ行っても赤い幟が並んでて、これがワタシ的にはイマイチ好きになれません。

景観のアブストラクトな迫力をスポイルしてる気がするんですよ。
えぐれた窪みには石仏等が並んでます。
多分ココが奥ノ院なのかな?
何かこれからお祭りでもやるような雰囲気ですね。
白布の敷かれた長机が出されたりなんかもしてるし・・・・・・。
このオーバーハングは素晴らしい迫力。

もっと広角で下からアオッて撮れば良かったかも。
奥ノ院からさらに上に向かって道は続いています。
至る所に石龕が彫られてあるのは、ちょっと松島を想い出しました。
いやぁ~、あんまし期待してなかったんですけど思わぬめっけモン、ってカンジですね。
あ~、そりゃもちろん撮影は敢行しました。
ちなみに分かる人は分かるかと思いますが、この撮り方は古くはゴヤ、最近だとヘルムート・ニュートンがやったことの稚拙な模倣、あるいはオマージュです。
これほどの巨石スポットがあまり知られないままとは、愛知~岐阜方面が如何に巨石まみれであるか、ってことの裏返しですね。
ね!?

ちなみにこの寺、天台寺門宗って要は園城寺系の寺なんですけど、ミニ八十八ヶ所巡りがあったりして良く分かりません。
何か食えそうなキノコが生えてました。

多分、クリタケだと思います。
それにしてもあまり看板とかも出ておらず、なんとなく謎めいたお寺です。
山を北上して、再び旧中山道に戻り、到着したのは村はずれのこの神社。
村の鎮守としてはかなり立派な平岩八幡神社です。
ここの神社はとにかく奇妙です。

パッと見分かりにくいですが、このような岩脈が麓から山に向かって大蛇か龍のようにうねって延びてます。
社殿の真横を走る岩脈。

昔の人が神聖視したのが何となく分かる気がします。
いわばこの山そのものが、何体もの龍の横たわる御神体であるってこってすね。
さらに岩脈は上に向かって伸びてます。
ただ、そうしたサイキックな意味は今では忘れられかけてるのか、社殿から上は草ぼうぼうになっていました。
お!ここにも見事なキノコ。

漢方薬とかに出来そう。
まさに「龍脈」というコトバが当てはまる、何とも不思議なスポットでした。

ただ、残念なのはここでは撮影敢行しなかったコト・・・・・・いや、どうにも構図が決まりにくかったんです。
真っ赤な鶏頭が咲いてます。

これほど鮮やかでも色飽和を起こしにくいのは、MFTの長所かも知れません。
まぁ大分陽も翳ってた、っちゅうのももちろんありますけど。
そのまま西に山を下ってって、「津橋の巨石」に到着。

軽トラの右奥にドーンと鎮座してるのがそれ。
大きいことは大きいんですけど、まぁ要は路傍の巨石ですね。
秋もだんだんと深まって来つつあるのが分かります。
下りきると御嵩宿。

ここは名鉄・広見線の終点の街です。
宿場町も結構好きかも。

ヘンなしがらみがないんなら暮らしてみたい気がしてます。
独特の形をした駅舎。
今は寂しく線路がドーンと1本突っ込んでるだけですが、昔はこの一帯は貨物の積み出しで随分と栄えました。
何と、「亜炭」といって低火力な石炭の一種の炭鉱があちこちにあったのです。

・・・・・・って、電車到着。
ナンボ閑散時間帯とは申せ、それでもお客さんはひじょうに少ない。
さてその亜炭、戦後も家庭用等でかなり需要はあったみたいなんですが、エネルギー転換の波には逆らえず、昭和42年には最後の炭鉱が閉山となっています。
現在B級グルメとして売り出し中の味噌ホルモン・「とんちゃん」も、元々は炭鉱労働者の食い物だったそう。
大分時間も押して来てるんですが、古い佇まいを残す宿場町をブラブラしてみることにします。
良いなぁ~、こぉゆう風景。

ローアングルでパースペクティヴを強調すると如何にも宿場町っぽい。
犬矢来は古い商家のマストアイテムかも。
実際住んだら不便なトコも多々あるんでしょうけど、やっぱ良いっすよね。

いや、実は今迷ってるんですよ。古民家買おうかどうか。
これはちょっと新しいかな?
「乗って残そう」っちゅうたかて誰も乗ってませんやん(笑)。

ちなみに名鉄は細かく枝分かれした多数の支線を有していましたが、この20年くらいで随分廃線になってます。
「竹屋」というかつての豪商の屋敷が無料公開されてるので入ってみました。

野呂家はこの辺きっての地元名士だったようです。
立派だけど華美な装飾はなく、書院造的な完結さがありますね。
竈・・・・・・「おくどさん」っちゅうた方がエエのかな?

実際めんどくさくてこんなん毎日使ってられないとは分かるんですが、ちょっと欲しい。毎日飯盒炊爨みたいなモン(笑)。
庭の奥には土蔵が並んでます。

母屋から離れてるのは、万一の火事の際の延焼を避けるためなんでしょうね。
かつて栄華を誇った頃の御嶽の町並みがパネル展示されてました。
ちなみに御嶽の町が亜炭で発展し始めたのは明治になってからのことだそうです。
元から宿場町だったトコがさらに炭鉱の町になったんだから、そりゃ賑わいますわな。

ただ、現在では坑道跡の陥没が起こるのが問題になってるとか・・・・・・町の真下を縦横に坑道が走ってるんですよ。
続いてやって来たのは3駅ほど離れた明智駅。

名前でお分かりの通り、明智光秀の明智家由来の地名。後方には実にシブい駅前商店の廃墟が見えますね。
とてもユニークな形をした駅本屋は開業当初からのモノでしょう。
ここはかつて支線の支線である八百津線の分岐駅でした。
その名残で今はローカル線の無人駅なのに、妙に駅構内が広い。

八百津線は、以前訪ねた足助についに到達せぬまま力尽きた三河線同様、末期は電化を止めてディーゼルカーっちゅう悲惨な状況でした。
「半切入母屋」とでも呼ぶべき、ズングリした特徴的な屋根の形が分かります。
左に広がる空地が八百津線の線路跡。

廃止されたのは2001年のことでしたが、同日廃止の谷汲線や揖斐線の陰に隠れた地味な最期でした。
御嵩行の電車到着。

乗降客は殆どおらず、こっちの線も時間の問題かもしれません。
八百津線側の終端部分に残る安全側線。

マニアならお分かりでしょうが、右方向に分岐してるのは珍しいかも。
宿に向かって走る途中、なんかナビにヘンな寺が出てるので寄ってみることにします。
何がヘン、って飛騨川の中にポツンと寺マークがあったんですよ。

その名を「小山観音」というみたいです。
暮れなずむ中、結構長い石の橋を渡って行きます。
実際はこれより暗かったような・・・・・・。
思ったより大きくて立派な観音堂が、ポコッと突き出した大岩の上に建てられてました。
後から調べてみると、元々は歩いて渡れたみたいです。

ダムができて今のような不思議な景観になったワケッすな。
それにしても観音って、どうしてこぉゆうトリッキーなロケーションが多いんでしょうねぇ?
お不動さんなんかよりよほどややこしい場所のコトが多い。
今もお祭りの時とかは近郷近在の参詣客が多数訪れるようです。
美濃加茂市ってマトモにこうして走るの初めてかも知れません。

高山本線に揺られて通過したことはあるんですが。
さらに途中の地元スーパーで土産物を買ったりして、私たちにしてはずいぶん遅い時間に今夜の宿に到着。
とにかくすぐに風呂っすよ!

温泉でも鉱泉でも何でもなく、フツーに風呂。
温泉ではないけど、何かとても雰囲気の良い風呂でした。
今日も一日、脱いだり着たりの繰り返しでお疲れ様でございまする。
まぁ、色んな意味で頑張ってくれてます・・・・・・あともぉちょっと思い切りが良ければ良いんですけどね。
それにしても最近、めっきり温泉訪ねるのは少なくなりました。

昔だったら温泉でない宿に泊まるなんて考えられませんでした。
ただ、今はそのシバリが自由なコース取りを疎外してたのかな?って気もしてます。
まぁ温泉旅行のギャラリーを期待されてる方には、いささか物足りんかもしれませんが・・・・・・。
でもホント、私が求めるような温泉って未訪のトコが随分減っちゃったんも事実です。
あ、今日の宿の名前に触れてませんでしたね。

高山本線の中川辺の駅から少し入った旧街道沿いにある、「料理旅館・かつや」ってトコです。
所謂、街道筋の商人旅籠が今も頑張ってる・・・・・・と。
ぶっちゃけ、もっとオンボロを想像してたら、ビックリするくらい綺麗な宿です。
さらにビックリするのは、その宿泊料金の安さ。

旅でそんな贅沢する気がないんで、あまり考えずに決めたんですが、嬉しい誤算でした。
ただし部屋の狭さは、昔ながらの木賃宿の雰囲気をそのままに残してます。

・・・・・・って、全然どぉでもエエんですけどね。
食事の時間になりました。

到着が遅かったんで、着いてからここまで約45分(笑)。
泊ってるのは私たちだけ。

緊急事態宣言解除だ、GoToだ、っちゅうたかてそんなすぐにお客は戻って来ませんって。
まずは刺身4種盛り。

オーソドックスにマグロ・カツオ・サーモン・甘海老。
付出の塩辛。
空豆とリンゴの卸和えだったかな?
サバの味噌煮に飾り切りの酢蓮添え。
ちょっと洋風にイカの海鮮サラダ、ガーリックトースト添え。
やはりこちらの地方ではマストな、飛騨牛の朴葉味噌。
天麩羅盛り合わせ。
キノコの吸い物。
どれも奇を衒ったものはなく、ひじょうに手堅くオーソドックスなんですが、とても美味い。

「料理旅館」を名乗るだけのことはあります。
実はこの旅館、通りの表側では居酒屋もやってるんで、食材の回転が良いのかも知れません。

何はともあれ満腹。
すっかり夜になった通りを散歩してみます。
古い街道筋特有の雰囲気がそこかしこに感じられます。
建て替えられて味気ない姿の中川辺駅。
痩せても枯れても本線、ローカル線としてはまぁまぁ走ってる方でしょう。
跨線橋はオリジナルの姿のままのようです。
しっかし、この列車密度で跨線橋って必要なんですかねぇ?

昔みたいに貨物の入換があるワケでもないし。
それにしても、まだそんなに遅い時間でもないのに人っ子一人歩いてません。
みんな、コロナってコトで家の中で息を殺して出控えてるのかな?(笑)
手持ち長秒撮影に挑戦してみました。

これで2秒。ヨユーです。もっとISO落とせば良かった。
こんな寂れた街で旅館が続けられるワケは、街灯のコピーで判明。漕艇のメッカとして、合宿や大会が行われてるみたいです。

明日は南下して愛知に入ります・・・・・・いやぁ~、メチャクチャに長い一日でした。
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