2019 愛知(二日目・後半) |
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続いて到着したのは、何だか既視感のある巨大チンポ石。 |
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「本座峠の岩神」と呼ばれる陰陽石で、やはり隣はマンコ石となってます。
・・・・・・え!?「陽石・陰石」と書けや、って!? |
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だってどれだけ取り繕ったってチンマン系はチンマン系ですもん。
古い時代の習俗は「おおらか」、今の習俗ならナゼか「猥褻」ってのも解せませんよね。 |
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・・・・・・小難しいハナシはともかくとして、撮影は敢行(笑)。 |
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しかし、大して距離も離れてないトコでこんな同じようなのが2ヶ所存在するって、単なる偶然には思えない気もします。 |
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上の岩神から100mも離れてないトコにある「大畑のお不動さん」。
また例の看板が建ってます。 |
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すごく分かりにくいんですが、左後方の岩がそうみたいです。 |
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大体においてお不動さんと水は切っても切れない関係にあるもんなんで、背後の沢を上がると或いはまだ何かあるのかも知れません。 |
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・・・・・・え!?
いや、ここは特に何も・・・・・・。 |
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続いては「御前様の祠」。
実は以前、岩谷観音を訪ねた時に行きそびれたトコをなぞるようにこの辺は回ってます。 |
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県道脇の山道を少し上がって行くと・・・・・・ |
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ドォ~ン!っとありました。
この一帯はこれくらいの規模のならゴロゴロある印象。 |
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足助次郎重範公の奥方(御前様)がこの地に於いて没したのをどぉたらこぉたらと、何だか良く分からんいわれが書かれてありましたが、間違いなくもっと古くからの巨石祭祀の空間だと思われます。 |
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ここは今でも地元の篤い信仰を集めてるようで、一帯は綺麗に掃き清められてありました。 |
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続いては「白倉天ヶ峯」へ。
以前訪ねたシンメイサンから上がった山のてっぺんの岩場です。 |
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ちなみに3kmほど南西方向には「天下峯」というトコもありますが、こちらはロッククライミングのゲレンデになっててちょと宜しくないですね。 |
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祠が祀られてありました。
近くには寄進者のワリと新しい石碑があったりして、現役磐座ってカンジです。 |
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少し離れた所は巨大な一枚岩の平場があります。 |
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そんなこんなでいそいそと。 |
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ホント、この辺一帯の巨石濃度はハンパないっすね。
・・・・・・移住したいくらいです(笑)。 |
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以前訪ねたシンメイサンの上の方に行く脇道があったんで、入ってみたらビンゴ。 |
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・・・・・・ってーか、こっちが御神体となる巨石ではないかって気がしました。 |
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謎めいたシンメイサンを再訪。 |
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それにしても、こんな風に自然に石が重なり合うモンなんでしょうかねぇ? |
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続いては「下国谷熊野神社」。
この辺ではかなり大きな神社です。 |
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その隣の御嶽社・・・・・・ってアータ、巨石にこんなコンクリートのスロープ付けたらあきまへんがな。 |
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オマケに上はセメント流してフラットにしてあるし。
神楽の舞台にでもするんでしょうかねぇ? |
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ハシゴくらいなら分からないでもないですけど、こんなコテコテにするのはどうかな?って正直思いました。 |
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他にも行きたいところは山のように残ってるんですが、今夜の宿のこともあるんで一気に南下してやって来たのは・・・・・・ |
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豊田東ジャンクションの北方の山中。 |
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「高根神社」です。
元はもちょっと下にあったのが、高速道路建設でこちらに移転したみたい。 |
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その裏手にあるまたもやチンマン系な陰陽石。 |
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・・・・・・ちょっと勃起度が足りませんね(笑)。 |
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・・・・・・ってーかこっちがマンコの方なんかな? |
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もう一つがこちら。
どっちも「形態を正しく捉える」ってコトで若干しくじって残念なコトになってるような・・・・・・。 |
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それにしても傾きかけた西日がガンガンに強いです。
朝の冷え込みが信じられないくらいに暑い。 |
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時間が大分押して来てはいるんですが、朝夕の斜めの光はやはり絶対に外せません。 |
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・・・・・・空家になってて良かった。 |
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ちなみにこの辺は地名が岩倉町となっており、下ったトコには山ノ神って字もあってその由来の巨石があるみたいなんですが、、見付けられませんでした。 |
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高速道路ができて便利になるのと引き換えに、喪われる習俗や伝統は多いんでしょうねぇ。 |
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一気に高速を豊川まで東進し、宿に付いた頃にはもう日没近く。 |
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これまで何度かここは候補に挙げてたんですが、予約が一杯だったり休みだったりで、ようやく来ることが出来ました。 |
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暮れなずむ秋の空に飛行機雲。 |
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取り敢えずはちょと一服です・・・・・・ってまぁ、ビールを1本開けるだけですけど(笑)。 |
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異様に狭い廊下を通って・・・・・・ |
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あ、宿の名前を言ってませんでしたね。
「石巻山温泉・ナツメ別館」です・・・・・・厳密に言うと鉱泉でさえないんですが。 |
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到着が遅かったんで、ササッと汗だけ流して早々に夕食開始。 |
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今夜の宿泊は私たちだけみたい。 |
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食前酒は梅酒。 |
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モズクの酢の物。 |
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揚げ出し豆腐。 |
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刺身四種盛はオーソドックスに鮪・ハマチ・烏賊・甘海老。
あしらいの菊とイクラがカラフルですね。 |
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天麩羅盛り合わせもオーソドックスな組み立てでしたが、先っぽにピンクのあられをくっ付けた春雨の唐揚げがカラフル。 |
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茶碗蒸し。 |
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吸い物・・・・・・夕食には味噌汁よりこっちの方が好きかも。 |
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漬物はフツーの市販品。 |
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デザートは柿。 |
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何で別館なんですか?って尋ねたら、元は蒲郡の方でおばさんがやってたのが本家で、それを暖簾分けして建てたのがこちらとのコトでした。
ちなみに本家は廃業して今はもう残ってないそうです。 |
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しかしこの旅館、調度といい料理の雰囲気といい、メッチャ昭和してます。 |
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例えばスナックコーナーの絨毯とかチェリオの冷蔵ケースなんかにもそれはプンプン感じられます。 |
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最近の「狙ったアザとい昭和趣味」ではなく、自然に昔のままやってたらコッテコテに昭和テイストが残った感じがとても良い。 |
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昭和が終わって30年以上が過ぎ、ついこないだのことかと思ってたらそこにもいつしか重層化した様々なモノはあるワケで。 |
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そのゴチャッとしながらも何となく漂う時代性、みたいなんがここにはあるんです。
多分それは、旅館の人たちが自覚してウリにしようなんて考えた途端、喪われちゃうんでしょうけどね。 |
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ここで意外な事実を発見。
石巻山温泉、現代のルールでは該当しないかも知れませんが、古来霊泉として知られ、明治時代には豊橋十八連隊の療養所が設けられました。
それが戦後のレジャーブームで温泉郷として発展した、と。 |
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改めて風呂に出掛けます。
眼下に広がるのは豊橋の町の夜景。 |
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本来は男女別になってます。
他にお客さんもいないんで一緒にどうぞ、とのことで。 |
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単なる山の水ではありますが、ややアルカリ性なのかちょっとヌルッとした印象。 |
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ちなみに露天風呂は近年、建て増されたもののようです。 |
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意外に滑るんでちょっとビビってます。 |
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・・・・・何だか、阿形・吽形みたいになってしまった(笑)。 |
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いやしかしこの露天風呂、雰囲気はかなり良いと思います。
もっと大々的に宣伝すりゃエエのに。 |
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まぁしかし、飽きもせず撮り続けてる自分もアレですが、ヨメの変わらなさもナカナカのモンだなぁ~。 |
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スローシンクロとかやれば後ろの夜景も写せるんでしょうけど・・・・・・。 |
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内湯に移動。
細長い湯舟が一つあるだけのシンプルな浴室。 |
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岩風呂というほど岩でもない。 |
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沸かし湯でこれだけ大きな浴槽を一杯にするのはケッコー大変でしょうね。 |
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浅くて細長いコトがお分かりいただけるかと思います。 |
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露天風呂側を望む。
かつては内湯を展望風呂とか呼んでたんでしょうね。 |
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何だかんだで一日の大半は服着てないような・・・・・・(笑)。 |
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脱衣場は結構狭い。
後ろの扉が露天風呂入口、内湯からは行けません。 |
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何か見付けました。 |
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これが単なるレジオネラ菌の検査結果表だったりして(笑)。
雑にガムテで貼られてるのがこれまた何とも。 |
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ホント、規定泉ではない温泉旅館の方がむしろ意外な拾い物や発見が多いような気がします。 |
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チャンと正直に「石巻山の湧水」と書かれてあるのが好感持てます。
先ほどの説明書きによれば「秘密坊の洞窟」ってトコから湧出してるのを引いてるようです。 |
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こちらが女湯の露天風呂。
ここまで厳重に囲って露天風呂である必要性はかなり疑問。 |
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男湯と意匠は同じなものの、広さは1/4くらいしかありません。 |
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そんなこんなで長かった一日も終わり。
明日は朝食前に一旦出掛け、東京に戻りながらもう何ヶ所か回る予定です。 |
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