2018 茨城(二日目) |
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翌朝、これは今は家族用になってしまったというもう一つの浴室。 |
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源泉井戸。
ちなみに湯の色が濃くなったワケは震災の影響でもなんでもなく、鉄分の濾過を止めたからだそうです。「こんなに豊富な鉄分を捨てちゃダメです」ってアドバイスされたらしい(笑)。 |
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私たちの泊まった離れ。
良く手入れされた庭が美しい。 |
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ここの鉱泉の印象って、何だか藤なんですよねぇ~・・・・・・。 |
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ホラーな風合いの飛び出し看板。 |
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旅館の裏手の建物が気になって、行ってみて驚きました。
湯ノ網鉱泉、かつては一軒宿ではなかったんですね。 |
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こちらは「上の湯」。
廃業してどれくらいになるんでしょうか、いささか荒廃が進んでいます。 |
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忘れ去られた三輪車には独特の情感がありますね。 |
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旅館としてはこちらの方が遥かに大きく、また素晴らしく古風な佇まいです。 |
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障子の破れ具合からかなりキテることが伺われます。 |
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気になって調べてみたところ、以前も定義温泉で引っ掛かった「近代日本精神医療史研究会」というブログに僅かに情報が載ってるのを見付けました。
・・・・・・不思議と行き当たるんですよ、このブログに。 |
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精神疾患と湯治には密接な繋がりがあると思ってるんですが、ネット上でそれをマトモに紹介してるのは寡聞にしてココくらいしか知りません。
「温泉は日本の文化だ!」などと軽々しく口走る連中の多さに比べると寂しいコトだと思います。 |
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どうやら鹿ノ湯よりもこちらの上の湯方が「脳」の元祖なのかも。 |
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しかし、初めて湯ノ網を訪ねた時には既に営業してなかった気がします。 |
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それにしても惜しい。
いささか荒廃しつつあるとは申せ、手を入れればまだまだ使えそうなのに。 |
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ちなみに今でも敷地内には別に新しく建てた家があって、普通に生活しておられるようでした。 |
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昇り掛けた朝日に映えるサツキの赤。 |
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色飽和も起こさず好い感じに撮れました。 |
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部屋に戻りました。
ヨメの体調は昨日よりはマシ。 |
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そいでもってすぐに朝食。
カレイの一夜干し。
添えられたタップリの大根おろしが嬉しい。 |
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生玉子。
思えば最近ド直球に生玉子を出す旅館って少なくなったかも。 |
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サラダ、っちゅうよりは生野菜。 |
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ムチャクチャに一口サイズの納豆。 |
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味付け海苔。 |
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この味噌汁は美味かった。 |
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ご飯に・・・・・・ |
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・・・・・・オレンジと至ってシンプル。 |
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奥のポスター、一体全体いつの時代の松田聖子なんやろ?
この横溢する「昭和感」はいつまでも残して欲しいと思います。 |
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あ、だいぶ表情が元気になって来ましたね。
湯ノ網鉱泉、いつかアンコウの季節に訪ねたいと思います。 |
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この季節でも紅葉するこの木、たまに庭木で見掛けますよね。
名前なんて言うのかな? |
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旅館全景をバックに。
ちなみに上の湯はさらに裏手になります。 |
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昨日の浄蓮寺近くより狭い山道を上がって、花園渓谷に抜けることにします。 |
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手持ちでも被写体が風景なら、かなりのスローシャッターで粘れますね。 |
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何となく花園神社に寄ってみることにします。
体調良ければもっとナサケ容赦なくいろいろ考えてたんですが・・・・・・(笑)。 |
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元は寺だったけど廃仏毀釈で鞍替えしちゃった系のようですね。 |
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稚拙を通り越して「ナメとんのかコラ!」な造りの仁王像。
あまりにヒドい(笑)。 |
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初めてこの花がシャクナゲってコトを知りました。
これまでは色の薄い山躑躅だと思ってました。 |
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広い境内には朝も早よからチラホラと人の姿が。 |
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たしかに良く見ると躑躅とは咲き方が全然違うわ。 |
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・・・・・・ボカシ入れたんぢゃないっすよ。 |
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朱塗りで、元お寺で山の中、ってトコが何となく奈良の談山神社を想い出させました。 |
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まぁ、あんまし今日はムリせずに行きましょう。 |
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あれ?ここで何か買ったような・・・・・・。 |
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これも手持ちで撮りました。
実は風景撮りなら長秒撮影結構得意なんです。 |
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昨日も同じような写真撮ったなぁ~・・・・・・ワンパターンに陥ってるなぁ~。 |
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実はもう三脚イチイチ立てるのが億劫でして。
これくらい流せれば十分ではないか?と・・・・・・以前は目一杯絞ってISO下げまくって、さらにはNDフィルター噛ましてSS10秒とか律儀にやってたんですけどね。 |
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渓谷を抜けた辺りにある亀谷地湿原に到着。 |
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実はワタシ、「ショボい湿原」が大好きなんですよ。 |
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理由は分かりません。
広々としてるよりは、、ちょっとチマッとしてるくらいのに妙に心惹かれるんです。 |
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そらまぁ、撮影ロケーションに使えないかな?ってセコい気持ちもなくはないんですが・・・・・・。 |
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タンジュンに春の山あいの湿原の風情が何だか好きなんです。 |
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ちなみにココはすぐ横を道路が走ってて、あきませんでしたが。 |
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そのままガーッと走って次に着いたのは見ての通り。 |
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クルマ一台がようやく通れる山道を少し上がったところに、小さな校舎が悄然と残ります。 |
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右は先生の官舎で、左側が校舎だった模様。 |
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ロケーションも光の具合も好い感じです・・・・・・ |
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・・・・・・ですが、先ほど上がって来るときにちょっとアレな雰囲気のジーサンがいたのと、 |
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・・・・・・厳重に施錠されてて中に入れなかったので、撮影はパス。 |
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地元の教育委員会が未整理の遺跡出土品の保管場所にしてたりすることがたまにあるんですよね。 |
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かなり小さな建物で、ひょっとしたら低学年限定の冬季分校だったのかも知れません。 |
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再利用されることもなく集められただけで放置された足踏み式オルガン。
1台欲しいもんです。 |
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道路の整備や冬季の除雪体制が進んだことで分校は急速に姿を消しましたが、今度は過疎化で本校そのものが整理統合される時代になってしまいました。 |
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朝礼台が隅っこに残っていました。 |
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分校全景。
こうして見ると、校舎は意外なくらいに小さい。 |
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まぁ、この辺りならそのうち再訪することもあるでしょう。 |
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ちょうどお昼も近付いて来たんで、未訪のままになってた大菅鉱泉に寄ってみることにします。 |
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元湯旅館と里美屋旅館の2軒の小さな宿が並ぶだけの、素朴な雰囲気が好印象。 |
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これ以上はない、っちゅうくらいにシンプルな浴室。 |
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湯はホンの微かに黄色味がかった硫黄泉。 |
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誰もいない宴会場で待つことしばし。 |
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まずは付出。
左から甘酒、餡、山菜の醤油漬け・・・・・・すべて自家製とのコト。
中でも甘酒が劇的に美味!素晴らしくフルーティーでこれまで飲んだどの甘酒よりも美味かった。 |
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そして蕎麦。
茨城一帯は蕎麦街道として、もっと全国的に名前を売るべきではないかと思ってます。 |
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体調、戻ってますなぁ・・・・・・。 |
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大菅鉱泉、食事の美味さで泊まりも期待できそうな気がしました。 |
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さらに南下して旧・町屋変電所。 |
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別にタイアップを意識して訪ねたワケではありませんけど、ここは朝の連続TV小説「ひよっこ」のロケ地だそうです。 |
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私は観てなかったんで分かりませんが、ヨメは覚えてました。 |
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ちなみに付近はかつては石切り場が多数あった模様。 |
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さらに南下して那珂湊に到着。 |
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以前から気になってた反射炉跡に行ってみることにします。 |
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おお~!リッパぢゃあ~りま温泉! |
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このように素晴らしい状態なんですが、実はこれ、再建されたもの。
オリジナルは明治維新のちょっと前に、アホな住民共の手によって打ち壊されたみたいです。 |
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ちなみに反射炉は全国に四ヶ所しかありません。
伊豆・韮山とココ、あとは山口と鹿児島にあるみたいですが、そこは礎石しか残ってないみたいです。 |
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何か教会っぽい。
これまたちなみに、鉄骨で物々しく補強された韮山より、こちらの方がより本来の姿に近いんだそうです。 |
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ここは頑張って撮りたかったなぁ~・・・・・・。 |
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でも結構な頻度で人が来るんだモンなぁ~・・・・・・(笑)。
も一つちなみに、反射炉の技術って輸入された時には既に本国では時代遅れになってたようです。つまり日本は、古い技術をバカ高い値段で掴まされてたワケっすね。 |
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横にあるのは登り窯。 |
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・・・・・・って、これも再建モノ!レプリカ! |
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要はココで耐火煉瓦を焼いた、、っちゅうこってすが、こんなんで1000℃を遥かに超える焼成が可能だったんでしょうか? |
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今は巨大芋虫みたいな不思議な姿で斜面に横たわってます。 |
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ようやく体調が戻った頃に・・・・・・・ |
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こうして今回の旅はお仕舞い。何となく尻切れトンボに終わった二日間でした。やっぱし旅は体調万全で望まないといけませんねぇ~。
後は常磐道を一路東京に戻りました。 |
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